#10 転生者、彷徨と邂逅:後編
「おいおい、契約って……お願いにしては結構重いな……まぁいい。どうせこのまま死ぬくらいなら、契約でも何でもしてやるさ」
ほんの少しばかり黙り込んだのち、ミシャリーゼはその内容を聞く前にそれを承諾した。ここまでは奇跡的に生き延びることが出来ていたが、その豪運がこの先どこまで続くのかも分からない。
この先の人生に希望なんて持てないことは明白であった現状を打破するためには、目の前に降りかかって来た分岐点を進む以外にない。と、彼女は判断したのだ。
「で? 私は何をすればいい――」
そこからミシャリーゼは、シエラから森の中で何が起こっているのかを聞いた。
妖精族や堕鬼族のこと。その二種族間での争いが徐々に大きくなり始めていること。そしてシエラがその戦いにおける重要人物――堕鬼族に殺された妖精王の娘……すなわち、妖精族の姫であったことも。
「……何故かは分からないけれど、貴方には魔力がほとんどない……だから私の力、その『器』になれるかもしれない」
――それは、賭けであるとのこと。
エルフの魔法は、この樹海という環境に流れる力を用いて発動出来る。妖精と人間のハーフが原点であるらしいこの世界におけるエルフという種族は、肉体が滅びても精神体にて生命活動を維持することは可能だそうだ。
だがしかし、その力は肉体の有無で効果に相当な差が出るらしい。だからこそ、最大限力を発揮できる今の間に己の力を別の肉体を有する存在へと移すことによって、妖精王の力を完全なまま保つ――
「――つまり、体が無いと全力出せないからシエラの代わりに私がその力使って堕鬼族と戦って欲しいと」
「まぁそうなる……かな。……出会ったばかりの貴方にこんなことを頼むのも、どうかなとは思うけど……」
「…………一つ聞いてもいいか?」
申し訳なさそうに話すシエラの息はどんどん荒くなっていく。顔も真っ青になり始めており、その体の限界がすぐそこまで迫って来ていることは明白であった。
そしてそんな中、ミシャリーゼは彼女に対して一つ問う。その表情、眉の一つだって動かさぬまま。
目の前で死にゆく存在がいたとて、結局は赤の他人。今この一瞬だけ会話した仲でしかない。少々酷いようであるが、この時のミシャリーゼにとっては大したことですらなかったのだ……問題は――
「?」
シエラはキョトンとした顔を見せた。一体何を聞かれるのかと。
現在の戦況、どちらが優勢であるのか。妖精王とは何なのか。そもそも、こちらを騙そうとしているんじゃないのか。そんな言葉ばかりが頭の中で一気に流れてくる。がしかし、現実は違った。
「もし仮に、お前が力を渡さずに死んで、その精神体とやらになるとしよう。その場合、他人の体を乗っ取ってその力を百パーセント使うことは可能か?」
「えっ……? ……え、えぇ。可能では、あるけれど」
そう答えると、ミシャリーゼはほんの少しだけ笑ったような気がした。
「だったら、そっちの方が良いだろう絶対。お前だって本当は、自分の戦いは自分で決着をつけたいはずだ……違うか?」
「…………」
シエラは黙り込んだ。まさか、彼女がそんな風に言ってくるとは微塵も思っていなかったから。
まるで、共に戦うことは既に前提として話を進めているかのような。
「……本当に、戦ってくれるの?」
「どうせやる事もないしなぁ。それに、ここで断れば多分……私にも未来はない。なら暴れだってしてやるさ」
「私が、貴方の体を乗っ取ったまま返さない……かも、しれないのに」
「そん時はそん時さ。……ハハッ。ていうか、んな事聞いてくる時点でそんなつもりないだろう。お前の目は、死にかけてる今も綺麗だしな」
そんなふうに言葉を並べたミシャリーゼの微笑みが、その時のシエラにはとても眩しいものに見えた。
絶望の底でふっと現れたその光が、凍りかけていた彼女の心をゆっくりと溶かしていく。もう自分の力だけではどうすることも出来ないかもしれないと思いかけていた矢先に起こった出会いが、ほぼ確定していた望まぬ未来をほんの少しだけ捻じ曲げたのだ。
「――けれど、ミシャリーゼ……それだと、契約が成立しない……私は、何も差し出せていない」
「人間の世界にはこんな言葉がある……誰かを助けた見返りを求めてはいけないと。っていうか、そんだけ有名な言葉になってるなら、それだけで最初に言った奴は結構見返り貰ってるんじゃないかぁ?」
戦うことは自分の意思。報酬なんていらないと、遠回しにへらへら笑いながらミシャリーゼは言ってみせた。そしてその手元では、ここまで背負ってきた鞄をガサゴソと漁っている。
「……っても、それじゃあ納得いかないっていう顔だな」
何か言いたげにじっとミシャリーゼを見つめるシエラ。その口は噤まれてはいるものの、こぷっ、という聞き慣れぬ音と共に、彼女の血液がそこから漏れ出る。
もう、体が動かないのだろう。肉体が徐々に死んでいき、筋肉もそれを認識した。硬直が始まり、口内に溜まった血を吐き出す余力すら残っていない。
シエラの目からは、光が消えかけていた。
「――昔、文献で読んだことがある。生きたエルフの血を飲むと、人の体は想像を絶するほどの恩恵を受けるのだと」
そんな時、ミシャリーゼは途端に話題を変えると、いつの間にやら持ってきていたロープと護身用マチェットナイフを取り出し、ナイフを近くの木に括り付けた。峰を木の面に当て、刃を外側にして。
次に、布を食む。口の中にそれをギチギチに詰め込んで、力の限り歯を食いしばると――――
「すぅっ――――ッグフヴゥッッ!! ググゥッ!!」
あろうことか、その刃に自らの腕を差し出した。
腕と肩の付け根。最も刃の通りやすいであろう関節部分を狙って、何度も何度も己の身を差し出した。
もちろん、そんなことを続けていれば、同じ箇所に何度も食い込んだ刃は……
「フ――ッ……!! フゥ――ッ……!!」
(っ!? な……?)
瞬間、ボトリと重い何かが地面に落ちる音がした。そんな光景に、完全に沈みかけていたシエラの意識がほんの少しだけ起き上がる。
無論、それだけで生きながらえることなんてない。肉体の生命維持が保てないことには変わりないが、それでもその困惑が。きっと見届けねばならぬのだろうというシエラの意思が、一瞬目の前の死を拒んだ。
(……何を……考えて……)
「ハァッ……はぁぁぁ……」
それは、ある意味では恐ろしい光景とも言えるだろう。
紅に染まった一本の木と、その時もなおぽたぽたと血の垂れる刃。地面に転がる二本の腕は、それに刻まれた呪印も相まってその異質さは留まるところを知らない。そして人間は、立ち尽くしながら己のそれをじっと見つめていた。
およそ人間の胆力でそれをやってのけることが難しいことは、シエラもよく知っている。妖精族よりも感覚器官の鋭い人間の感じる痛みというものは、想像を絶するほどのものだ。
加えて、体から腕の重みが消えたことによる喪失感が今、痛みと同時にミシャリーゼを襲っているだろう……しかしそれでも、自ら望んで実行に移してみせた彼女の目は、そんな中でも正常を維持していた。
「――シエラ、契約だ。私、錬金術師ミシャリーゼ・ルーロが求めるは……その血。それを貰う対価として、お前と共にこの森で戦うことを誓おう」
一切濁らぬ、綺麗で真っすぐな目。揺るがぬ覚悟を宿した偽りなき精神をその人間の中に見たのだ。精神のみで構築される体へと変化しようとしているシエラは、確かに。
だからこそ、それを信じることにしたのだ。
彼女が力無くコクリと頷くと、ミシャリーゼは地面に膝を突き、上体を――自身の口をゆっくりシエラの唇へと近づけた。
(……さて、また錬金術が使えるようにと両腕まで賭けたんだ……上手くいってもらわねば困るぞ……!)
それを塞ぐと、先の口腔に溜まっていた血を吸い上げ――躊躇いなく飲み込んだのだ。




