亡命
重たく腫れあがった瞼をこじ開けると、天高い木立の向こうに青空が広がった。呻きながら朴は身を起こした。何時間経過したのだろう。周囲にはぼろきれのような作業服を着た同志が転がっていた。
「金め…。」
日差しが山中に降り注いでいた。方角は分からないが、昼頃だろうか。少なくとも数時間はここで気を失っていたらしい。周囲の同志たちも、何人か起き上がってきていた。
「崔!起きろ!」「白、大丈夫か。」「金!大丈夫か!」
6人の同志たちに、死んだ者はいなかった。金はもう山中へ潜伏しているのだろう。我々にはここで自決するか、出頭するかしかない。どうにかして本国へ帰っても、その先にあるのは粛清だけだ。
「朴同志、出頭しましょう。」
そう提案した部下に皆が同調した。偵察総局員は日本に詳しい。殺されることはないだろう、そう確信があった。
「亡命することになるぞ。」
脅すように言ったが、誰も首を横には振らなかった。7人は腫れあがり捻挫し動かし辛い四肢を何とか引きずり、市街地へ降りた。
ボロボロの服を着た一団が、坂を下ってきていた。子供を連れて散歩をしていた八木素子は、県道沿いのドラッグストアに駆け込むと子供を奥へ押しやり、携帯を出し110番を押した。
「…どうされましたか?」
愛知県警豊橋署に勤める戸部巡査は、二川交番の受付で座っていると7人の男が入り込んできた。見るからに不審な刺すような目つきと、身体中腫れあがり、泥と落ち葉にまみれた緑色の作業服に驚いた戸部は、恐る恐る声を掛けた。
「朴と言います。保護してください。」
簡潔に言った男。戸部は混乱しつつ詳細を聞き出し、こっそりと無言で無線機を押した。
県警指令センターに八木からの通報が飛び込み、不審船との関連が疑われると豊橋署に急報が入り、豊橋署のかなりの人員と、工作員の捜索をしていた機動隊のうち1個小隊が通報地点へ向かった。
「二川交番から、無言の無線が。…SOSと来ています。」
戸部からの合図に気が付いた署員は、現場へ向かっていた刑事課と機動隊を二川交番へ差し向けた。そこには襤褸切れのような7人の男たちがひしめいていた。
「手を上げろ!」
戸部は何か大きなものに巻き込まれてしまったと直感した。機動隊に面食らいながら、人員輸送車に押し込まれる男たちを見つめていた。
「撮らないでくださーい!」「そこ!携帯見せて!」
白昼の市街地では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。彼らの姿がネット上に投稿されたりしたら最悪だ。豊橋署刑事課と近隣の人員は二川交番の周りに規制線を張っていた。
20XX年7月26日14時半過ぎ、首都高速4号新宿線を過ぎ、中央自動車道へ差し掛かろうとしていた望月らに一報が入った。
「本当ですか?」
高見が素っ頓狂な声を上げた。望月が聞くと、工作員の一部が豊橋署に出頭したと言うのだ。すぐに自衛官を向かわせたいところだが、愛知県警本部の組織犯罪対策課と外事課の捜査員が急行しているとのことだ。
「情報が入り次第逐次上げてくれ。本部に警察との協力要請もしよう。」
「ウチからも向かわせます。」
望月と菊池が言った。車は高井戸を通過し、立川までは順調にいけばあと40分ほどというところだった。




