第五話 冷笑された証言
第五話 冷笑された証言
ベイカー街二二一Bの居間には、朝の薄い光が差し込んでいた。
シャーロック・ホームズは、机の上に三枚の紙を並べていた。十年前の事件について、ワトスンが記憶を頼りに書き出した記録、マーサ・ベルの証言を聞き取った覚え書き、そしてロンドン市街の地図である。
地図には、アーサー・ヴェイルの家を中心として、周辺の教会が小さな鉛筆の丸で囲まれていた。
「ワトスン、君は昨夜の話をどう聞いた?」
ホームズは顔を上げずに尋ねた。
「マーサの証言かね?」
「そうだ。彼女は真夜中に十三回、鐘が鳴ったと言ったのか。それとも、十二回のあとに、もう一つ鐘のような音を聞いたと言ったのか」
ワトスンは少し考えた。
「後者だろう。彼女は、自分が鐘の数を正確に数えたわけではないと認めていた。いつもの十二時の鐘が鳴り終わったあと、少し間を置いて、もう一度、似た音がした。そういう話だった」
「そのとおりだ。ところが、十年前の記録では、彼女の証言は『十三番目の鐘を聞いた』という一文に縮められている」
「意味は同じではないのか?」
「違う。かなり違う」
ホームズは鉛筆を置いた。
「前者は、彼女が聞いた音についての証言だ。後者は、その音が何であったかについての解釈を含んでいる。彼女が聞いたのは本当に十三回目の鐘だったのか。それとも、別の鐘だったのか。あるいは、鐘に似た別の音だったのか。そこを確かめる前に、われわれは答えを決めてしまった」
ワトスンは地図を見下ろした。
「しかし、十年前の捜査官が、わざと証言を書き換えたとは限らないだろう」
「もちろんだ。人は、話を理解しやすい形に整える。悪意がなくともね。『十二時の鐘のあとに、もう一つ音がした』という話より、『十三番目の鐘が鳴った』という話のほうが、ずっと覚えやすい」
ホームズは三枚の紙をそろえた。
「だが、覚えやすい話と、正確な話は同じではない」
その言葉には、いつもの皮肉よりも、いくらか自分自身への厳しさが感じられた。
*
午前十時、二人はロンドン市内の教会を訪ねることにした。
最初に向かったのは、ヴェイル家からそれほど離れていない古い教会だった。石造りの壁は長い年月に黒ずみ、入口の扉には、何度も塗り直された跡が残っていた。
ホームズは教区の記録を管理する年配の書記に面会を求めた。
「十年前のある夜、真夜中に鐘が鳴った時刻について、記録を調べたいのです」
「鐘が鳴った時刻ですか?」
書記は不思議そうな顔をした。
「礼拝や葬儀なら記録がございますが、鐘を何時何分に鳴らしたかなど、毎晩記録しているわけではありません」
「それは承知しています。では、当時の時計の管理についてはどうでしょう。鐘楼の時計は、毎日、決まった時刻を示していましたか?」
「時計はございました。しかし、時刻が正確だったかどうかは、別の話でございます。機械というものは、ときどき人間以上に気まぐれですからな」
書記は笑ったが、ホームズは笑わなかった。
「その時計の修理記録は残っていますか?」
「古い帳面なら、地下の保管室にあるかもしれません」
しばらくして、書記は一冊の台帳を持って戻ってきた。表紙は擦り切れ、背の革はひび割れていた。
ホームズは頁をめくった。記録には、鐘楼の時計の調整や、鐘を吊るす金具の修理などが記されていた。しかし、十年前の該当する日付には、時計の故障も、深夜の特別な鐘の使用も見当たらなかった。
「この記録だけでは、その夜に鐘が鳴ったかどうかまでは分かりませんね」
ワトスンが言った。
「そのとおりだ。記録がないことは、出来事がなかった証拠にはならない。だが、少なくとも、ここに記録された修理が、あの音を説明してくれるわけでもない」
ホームズは台帳の該当頁を写し取った。
教会を出ると、ワトスンは通りの向こうを眺めながら尋ねた。
「次はどこへ?」
「ヴェイル家から聞こえた可能性のある、ほかの鐘を調べる。だが、その前に一つ確認したいことがある」
「何だね?」
「マーサが、音を聞いたとき、どの窓のそばにいたのかだ」
「台所だと言っていたね」
「そうだ。では、その台所の窓から、どの方向が見えたのか。窓が閉まっていたという話も含めて、もう一度、家の構造を確かめる必要がある」
ホームズは歩き出した。
「音の出所を探すのに、地図だけでは足りない。証言した人間が、どこにいて、何をしていたかを知らなければならないのだ」
*
午後、二人はヴェイル家を再訪した。
エドマンド・ヴェイルは、時計工房から戻ったばかりだった。二人を見ると、わずかに眉をひそめたが、今度はすぐに応接間へ通した。
「まだ何かあるのですか、ホームズさん。弟の失踪については、もう十年も前に決着がついたはずです」
「決着がついたと、あなたは考えておられる」
「そうです。弟は姿を消した。書斎は内側から施錠されていた。窓から出た形跡もなかった。残された手紙も、あの子が自分の意思で去ったことを示していました」
「その手紙の原本を、もう一度見せていただけますか」
エドマンドの表情が変わった。
「以前にも申し上げました。手元にはありません」
「では、最後に原本を見たのは、いつですか?」
「事件のあと、警察に渡しました。その後は……戻ってきたのかどうか、はっきり覚えていません」
「写しは?」
「ありません」
ホームズは、エドマンドを見つめた。
「十年も前のことです。記憶が曖昧になるのは不思議ではありません。しかし、あなたが弟の失踪を決着した事件と考える根拠の一つが、その手紙だった。原本がどこにあるか分からない以上、われわれは、その内容を確かめることさえできないのです」
「あなたは、私が嘘をついているとおっしゃるのですか?」
「いいえ。私は、確かめられないことを、確かめられたこととして扱うのをやめようとしているのです」
エドマンドは黙った。
ホームズはそれ以上、手紙について追及しなかった。代わりに、台所の窓を見せてほしいと頼んだ。
マーサが働いていた当時と、家の間取りはほとんど変わっていないという。台所の窓は庭に面しており、そこからは通りの一部と、隣家の屋根が見えた。窓を開ければ、遠くの鐘の音が聞こえる可能性は十分にある。ただし、どの教会の鐘なのかを、音だけで特定するのは難しそうだった。
「この窓は、事件の夜も閉まっていたのですか?」
ホームズが尋ねると、エドマンドは首を振った。
「私は知りません。マーサがそう言ったのでしょう?」
「ええ」
「ならば、そうだったのでしょう。彼女は長年、あの家に仕えていました。嘘をつく理由などありません」
その言葉に、ホームズは一瞬だけ視線を上げた。
「嘘をつく理由がないことと、記憶が正確であることは、別の問題です」
エドマンドは不快そうに口を閉じた。
しかし、ホームズの言葉には、マーサを疑う響きよりも、証言を丁寧に扱おうとする慎重さがあった。
*
帰り道、ワトスンはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「君は、十年前の捜査をやり直しているというより、十年前に自分が何を信じたのかを調べ直しているようだね」
「よく気がついたな」
「褒められているのかね?」
「半分は」
ワトスンは苦笑した。
「では、残りの半分は?」
「君が、私の顔色を読むことに時間を使いすぎているという意味だ」
「まったく、君という男は」
二人は人通りの多い通りを歩いた。
やがてワトスンは、先ほどのエドマンドの言葉を思い返すように言った。
「それでも、弟が自分の意思で去った可能性は残っている。帳簿に不審な点があったとしても、手袋が片方だけ残っていたとしても、それだけで殺人を意味するわけではない」
「そのとおりだ」
ホームズはすぐに答えた。
「エドマンドには、弟と意見が合わなかった理由がある。帳簿にも、説明されていない点がある。だが、それは彼が弟を殺した証拠ではない。マーサの証言も、殺人の証拠ではない。そして、十三番目の鐘も、まだ存在していない」
「存在していない?」
「われわれが確かめたのは、十三番目の鐘ではない。十二時の鐘のあとに、もう一つ音がしたという証言だけだ」
ホームズは足を止め、霧の薄い空を見上げた。
「私は十年前、証言を一つの物語にまとめた。その物語の中では、弟は自分の意思で消え、書斎は閉ざされ、鐘は十三回鳴った。すべてが、ひとつの説明に収まっていた。だから私は、それ以上、疑わなかった」
「しかし、今は違う」
「今は、説明に収まらないものを、説明の外へ追い出してはならないと思っている」
その日の夕方、ベイカー街に戻ったホームズは、机の上に地図を広げ直した。ヴェイル家から聞こえる可能性のある鐘を調べるため、教会の位置を一つずつ確かめていく。
その作業の途中で、彼はふと手を止めた。
「ワトスン」
「何だね?」
「十年前の記録には、マーサの証言を聞き取った人物の名が記されていない」
「そうだったか?」
「少なくとも、私が見た写しにはなかった。彼女が最初に何と言ったのか。誰が質問し、誰が文章にまとめたのか。それを確かめる必要がある」
ワトスンは椅子を引き寄せた。
「つまり、鐘の音を調べるだけでは足りない。証言が、どのように記録へ変わったのかも調べるわけだ」
「そういうことだ」
ホームズは、地図の端に小さく印をつけた。
十三番目の鐘が鳴ったのかどうか。
それを知るためには、鐘の音だけでなく、その音を聞いた人間の言葉が、どのように変わっていったのかを知らなければならない。
そして、十年前の事件を記録した誰かが、なぜその音を「十三番目の鐘」と書いたのか。
その問いは、まだ地図の上には記されていなかった。




