第8話「白」
霧の中に、紫の灯が見えた。
川岸から三十歩ほど先、葦と泥が堆積してできた中洲の、その真ん中あたりで、それはゆらゆらと揺れていた。炎というより光に近い、薄く柔らかい紫色だった。遠くから見ると、川面に落ちた月のように見えた。
私は川に入った。
冷たかった。九月の川は思ったより深く、一歩踏み出すたびに底の泥が足を取ろうとする。膝まで水につかったあたりで、流れが少し強くなった。
足を置くたびに持っていかれそうになる。腰を落として重心を作り、ゆっくり進んだ。遅れて、ブーツの縁から冷たい水が入ってきた。
ギョ人の死骸が、あちこちに浮いていた。
腹を上にして漂っているもの、半分沈んで手だけが水面に出ているもの、流れに乗ってゆっくりと下っていくもの。においは川に入ってからの方がひどかった。
中洲へ上がった。足を抜くたび、泥が靴底にまとわりついて離れない。
ブルナイがいた。
中洲の真ん中に、立っていた。立っている、というより、ただそこにある、という方が近かった。背筋は真っ直ぐで、呼吸はしている、怪我もない。妖刀マサカドを右手に下げたまま、川の下流の方をぼんやりと見ている。
刀がまだ、ほのかに紫色を纏っていた。燃えているというより、滲んでいるような光だった。戦闘中の激しさはもうない。ただ静かに、消えるか消えないかの境界で揺れている。
髪が白いままだった。
根元から毛先まで、全部白い。風にわずかに揺れるたびに、朝の光を受けて光る。
私は少し離れた場所に立った。
「ブルナイ」と呼ばなかった。呼んでも今は届かない。それはわかっていた。
ただ、待つ。
川が鳴っている。霧がゆっくりと薄くなっていく。ギョ人の死骸が一つ、流れに乗って中洲の脇を通り過ぎていった。においがまた少し濃くなって、また薄くなった。
妖刀の紫が、少しずつ小さくなっていく。
ブルナイの目はまだ川の下流を向いていた。焦点がどこにも合っていない目だった。石を積んでいるときの無邪気な集中とも、戦闘中の研ぎ澄まされた静けさとも違う。どこでもない場所を見ている目だった。
私はその隣に、黙って立った。
どのくらい経ったのかわからない。妖刀の光がほとんど消えたころ、ブルナイの右手が小さく動いて、刀を鞘に納めた。音もなく、すっと収まった。
髪がまだ白かった。
目の紫も、まだ薄く残っていた。
私は何も言わなかった。ブルナイも何も言わなかった。川だけが、変わらず鳴っていた。
しばらくして、ブルナイが口を開いた。
「......アキツキ」
「はい」
「腹へった」
私は息を吐いた。
それだけだ。それでいい。
「帰りましょう」と私は言った。「においがひどいので、早めに」
「なんか臭いね」とブルナイが言った。今気づいたような顔で。
「気づくのが遅いです」
「アキツキも臭い」
「川を渡ってきたので」
「なんで川渡ったの」
「あなたを迎えに来たからです」
ブルナイは少し首を傾けた。それからまた川の方を見て、また私を見た。何かを言いかけて、やめた。
「......ふうん」
それだけ言って、歩き始めた。中洲の端に向かって、泥を踏みながら。
髪はまだ、完全には金に戻っていなかった。根元のあたりに、白がうっすらと残っている。
私はその後ろを歩きながら、胸ポケットの手帳を指先で確認した。
記録する。戻るまでの時間、髪が完全に戻るまでの時間。毎回少しずつ変わっていく数字を、誰にも言わずに書き続ける。それも、仕事のうちだと思っている。




