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本能型天才と、理性型軍師と、板挟み中間管理職の帝国奇譚  作者: 青羽 イオ


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第14話「返上」

 シラセは三段ほど上がったところで止まった。


 鳥居の柱が近い。下から見ていたときにはわからなかった傷が、そこからは見えた。柱の内側、人の手が届く高さに、細い刻みが無数に入っている。


「中尉。こちらへ」


 アキツキが上がる。ブルナイも当然のように続こうとして、シラセに手で制された。


「少佐はそこで」


「なんでだよ」


「刻み傷を数えます」


「私だって数えられる」


「数えながら削ります」


「やらない」


「やります」


 少し考えて、ブルナイは言った。


「……ばれたか」


 ばれる。最初から全員に見えている。そこはせめて恥じてほしい。


 アキツキは柱の内側へ顔を寄せた。


 刻みは古いものと新しいものが混じっていた。刃物でつけた真っ直ぐな傷、爪でひっかいたような浅い傷、高さがそろっていない。だが、どれも内側にある。外から見せるための印ではなく、くぐる者かくぐらせる者がそこでつけた傷だ。


「人数、ですね」とシラセが言う。


「その可能性が高いです」


 アキツキは指を伸ばしかけて止めた。触らない。記録だけを見る。


「一定の間隔でまとめた痕があります。十ごと、あるいは家ごと……いや」


 視線を少し上へずらす。


「古い傷ほど高い」


「どういうことです」


「最初は大人がつけていた。途中から、子どもの高さにも増えています」


 自分の声が少し硬くなったのがわかった。想像したくない順番が、頭の中で揃い始めている。


 シラセは黙ったまま柱の反対側を見た。こちらにも傷がある。表と裏ではない。入口の両側で数えたのだ。通した数か。返した数か。どちらであっても、まともな用事ではない。


 下からブルナイの声がした。


「それ、泣いたやつだな」


 アキツキが振り向く。ブルナイは鳥居を見上げたまま立っていた。目は柱でなく、もっと奥を見ている。


「何がです」


「通りたくないってひっかいた」


 理屈はない。ただ一言だった。


 その瞬間、柱の浅い傷の見え方が変わった。爪だ。短く、乱れていて、途中で切れている。子どもの高さにもある。大人の高さにもある。くぐる直前についた傷だと考えれば、数が合いすぎる。


 アキツキは何も言わなかった。言葉にすると、その場で何かが固まりすぎる気がした。


 代わりに石段へ視線を落とす。段の中央だけが減っている。左右には泥が薄い。ばらけないように。登らせるために。石段は道ではなく、流れを作るための幅だった。


 霧が、鳥居の向こうから少しだけ下りてきた。



 風はない。なのに流れる。冷たいのではない。湿って重い。石の間から沁みてくるような気配だった。


「中尉。上を見てください」とシラセが低く言う。


 鳥居の貫の裏側。縄か何かを長く擦らせた跡がある。注連縄だけではつかない深さだった。


 アキツキの頭の中で、村の帳面と石段の磨耗と柱の刻みが一つにつながりかける。


「ちなみに……」


 今度は誰も止めなかった。


「各地の供犠儀礼では、境界の通路に人数の印を残す例があります。渡した数と返した数を一致させるためです。人間を神域へ送る、あるいは神域の側へ返すという発想がある場合、鳥居や橋や門は入口ではなく計数点になります。ここも同じなら――」


 そこで言葉を切った。


 この村は、山へ逃げたのではない。数えて、通した。


「十分です」とシラセが短く言う。


「ええ」


 十分だった。十分すぎた。


 下で待たされていたブルナイが、鳥居の真正面へ出た。止めるより先に、柱の間を睨んだ。馬の鬣をむんずとやっていた人間と同一人物とは思えないほど、顔から余計なものが消えている。


「この先、いる」


「何がです」


「まだ、やってるやつ」


 シラセの目が細くなる。アキツキはこめかみに指をあてた。


 いるだろう。むしろいない方が困る。ここまで仕組みだけ残って肝心の手が消えていたら、話が悪趣味すぎる。いや十分悪趣味だが。疑う相手は今いない。


 石段の脇に、小さなものが落ちていた。


 シラセが先に気づき、屈む。拾わない。枝で軽く泥を払う。出てきたのは木片だった。札の切れ端らしい。水を吸って膨らみ、字は半分消えている。それでも墨の残り方に、人が握っていた痕がある。


 アキツキが膝を折って見た。判読できる字は二つだけだった。


 ――返

 ――上


 それで十分だった。


 ブルナイが急に顔をしかめる。


「くる」


 言った瞬間、鳥居の向こうから水音がした。川の音ではない。もっと近い。木の根の下を何か大きなものが擦ってくる音だった。山の中から、水の気配だけがこちらへ寄ってくる。


「全員下がれ。石段から離れろ」


 シラセの声は低かったが、兵たちは即座に動いた。生き残るやつの声をしている、とアキツキは思った。


 アキツキは石段から一歩下がり、鳥居を見上げた。事故でもなければ避難でもない。ここは境界で、石段は通路で、柱の傷は数で、村はそれを使っていた。あるいは使わされた。そのどちらかだ。そして、その先にまだ何かがいる。


 ブルナイの指が、また小さく鳴った。


「行くぞ」


「待ってください」とアキツキが言う。


「やだ」


「予想通りです」


 シラセが横で銃を構えた。


「中尉。順番を決めてください」


 アキツキは眼鏡を押し上げた。石段、鳥居、刻み傷、札の切れ端、水音。次は、証拠を持ったまま中へ入る番だった。


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