第13話「石段」
村の北端を抜けると、地面の質が変わった。
泥だった足元が少しずつ締まり、代わりに細かな砂利が増える。山へ向かう道だ。村の中ほどまで染みていた湿り気はここでも消えていない。乾いた土の上に薄く水を引いたようなぬめりが残っていて、踏むたび靴底がわずかに滑る。
先頭を歩いていたブルナイが止まった。
何かを見つけたというより、急に進まなくなった、という止まり方だった。落ち着きがない人間がぴたりと止まると、それだけで周囲の空気が変わる。
アキツキはその背に追いついて、視線の先を見た。
石段があった。
山道の入口にだけ、唐突に作られた石の階段だった。下から数えて二十段ほど、その上に鳥居が立っている。村から見えたときより近い。近いはずなのに、輪郭がはっきりしない。霧のせいだけではなかった。目が形を捉えたあと、どこかで判断をためらう。鳥居のかたちをしているのに、鳥居として頭に収まらない。
シラセが一歩前に出た。
「ここから先は私が見ます。中尉、少佐は後ろで」
「やだ」
即答だった。
シラセは少しも動じない。
「言うと思いました。ですが足元の確認です。石段が滑ります」
「すべるなら私が先のほうがいい」
「転んだら困ります」
「転ばない」
「転ぶ人ほどそう言います」
ブルナイが口を開きかけたところで、アキツキが横から言った。
「隊長。今回は軍曹が正しいです」
「なんでだ」
「あなたは見つけたものをすぐ触るからです」
「触らない」
「今朝だけで三回触っています」
「三回しか触ってない」
少なさで押し切れる話ではなかった。シラセが何も言わず前へ出る。こういうときの軍曹は強い。真面目が岩盤になる。
*
石段の一段目に足を置いた瞬間、靴底がわずかに鳴った。
濡れている。表面に苔はない。雨後の湿りとも違う。石の奥から水がにじんでいるような濡れ方だった。そしてもう一つ、不自然なことがあった。段の中央だけが磨かれている。長年踏まれて角が丸くなる、あの減り方に近い。だが左右はまだ荒いままで、中央だけが帯のように滑らかだった。
シラセはしゃがみ込んだ。指で触れず、目だけで追う。段の角、表面の擦れ、端にたまった泥。軍曹は証拠を見るとき、余計な感想を挟まない。それがありがたかった。
「中尉」
「ええ。見えています」
「村の戸数に対して、使い込まれすぎです」
アキツキも同じことを考えていた。
祭礼の参道としては磨耗が深い。荷を背負った人間が頻繁に往復した痕にも見える。だが村の生活道としては位置が悪く、山へ薪を取りに入る道にしては踏み跡が中央へ寄りすぎていた。荷車も通れない幅だ。だったら何が、こんなに何度もここを上ったのか。
「下りてもる」
ブルナイが後ろから言った。
「……何ですか」
「上っただけじゃない。下りてもる」
言い直さなかった。自分でおかしいと気づいても、そのまま押し通す。勢いだけは常に立派だ。
だが内容は当たっていた。
石段の角の削れ方が、上りだけではない。上から下へ重いものを運んだ擦れが混じっている。中央の浅い溝はそのせいだろう。人が群れて上り下りした、しかも一度や二度ではない。
「ちなみに」とアキツキの口が動いた。「古い供犠の通路は、行きより戻りの痕が残る場合があります。抵抗するものを引く、あるいは運搬具を使うと――」
「中尉」とシラセが遮った。
「はい」
「今は短く」
「ええ。つまり嫌な道です」
「十分です」
ブルナイが一段目へ足をかけた。
「隊長」とアキツキがすぐ言う。
「のってない。かけただけ」
「その理屈は通りません」
「通る」
ブルナイはふてくされた顔で靴を戻した。だが目は石段から離れない。
紫に変わってはいない。髪も戻っている。それでも、戦闘前にだけ来るあの気配が、また近くにあった。コキ、と小さく鳴った。本人は気にしていない。




