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#131

 アイリスが、いない。

 部屋には、鍵がかかっていなかった。


 室内にはアイリスの荷物がそのまま残されている。――無論、彼女の箒も。


 浩一の脳裏に、嫌な予感が走る。


「レインドールさん」


「は、はい!」


 状況が正確に飲み込めていない様子のレインドール。仕方がない。浩一だって、飲み込めていない。飲み込みたくない。

 けれど、ここで止まっていてもなにも解決はしない。無策というわけにはいかないだろうが、動かなければなにも解決はしない。


「イラが、消えました」


 言葉に出して、状況を改める。


 レインドールも、その言葉は覚悟をしていたことだろう。それでもなお、空気に緊張が走る。






 それから、浩一は時間の許す限りアイリスのことを探した。

 レインドールの協力もありながら、屋敷の中を駆けずり回り、屋敷の外にも――浩一は箒で飛べないので行動範囲には限りはあるが――可能な範囲で走り回った。

 もしかしたら、ただ、散歩をしていただけ、なんて。そんな可能性にすがりながら。


 しかし、現実はそんなに甘くはない。

 着崩れた正装、肩で呼吸し、不安を抱えた表情。

 結果は、屋敷に戻った浩一の姿からわかるとおりであった。


「アイリ……」


 誰にも聞かれないよう、小さな声で彼女の名前を呼び。ギリ、と歯を噛む。

 昨晩、彼女の不安を放置しなければ。そんな思考が頭をよぎる。


(完全に、俺のミスだ)


 アイリスからは、たしかな救難信号が出ていたというのに。

 あのとき、彼女の不安にもう少し付き合っていたら。彼女の訴えのとおり、部屋に止まらせていれば。


 しかし、起こってしまったことはもはや覆らない。たら、だの、れば、だの言ったところで、とうしようもない。

 ならば、どれだけ後悔があろうとも、前を見て、今ある手札で行動するほかない。


「コーイチ様。やはり、こちらにも」


「レインドールさん……」


 レインドールも精力的に協力をしてくれていた。視察中に自領で発生した事件、ともなれば間違いなく不祥事となってしまうからだ。

 アイリスの捜索はもちろんのこと、


「申し訳ありません。お館様には再度日延べについての具申はしてみたのですが」


「いえ、レインドールさんが悪いわけではありませんから」


 元々、今日の予定は再度のリヴァ子爵との面会だった。

 そこに発生したアイリス、もといイラの失踪。

 浩一の感情としては、後者を優先したい気持ちもあるし、レインドールとしてもそちらを支持しようとしてくれていた。もちろん、人としての感情はもちろん、イラが失踪しているという現状はリヴァ子爵家にとっても不都合であるからだ。

 しかし、そのことについてをリヴァ子爵に打診した結果は、否。予定は予定であるから、そのとおりに執り行う、と。


 まあ、間違った判断、というわけではない。レインドールのように柔軟な応対を見せる、というのもひとつの手立てだが。事前に決まっていた工程はそのとおりに進めるべきである、ということもまた正しい。

 視察、という建前がある以上、この期間中は大なり小なりリヴァ子爵領にも負担は発生する。浩一たちが来ることに対して工作をしているかどうかを抜きにしても、だ。


「イラ様の捜索につきましては、我々で引き続き行いますので」


「……ええ、お願いします」


 正直なところ、浩一の立場からレインドールたちが信用できるかどうかで言えば五分五分であった。

 とはいえ、現状ではひとりでも多くの手が欲しいというのも事実。敵であった場合に工作をされてしまう可能性も否定はできないが、それを織り込んでも人手が増えることのメリットは大きい。


 レインドールがイラの捜索に向かったのを見届けてから、浩一はリヴァ子爵の元へと向かう。


 コンコンコン。浩一がノックをすると、中から面倒くさそうにした適当な返事がくる。


「失礼いたします」


 相変わらずの不遜な態度でイスに座り、浩一のことを見下すようにするリヴァ子爵。

 しかし、先日の彼とは違い。得意げなような、あるいは嘲るような。なにやら気味の悪い笑みをその表情に貼り付けている。


「おやおや、今日は侍女を連れていないようだなあ」


 わざとらしい声音で、リヴァ子爵が言ってくる。

 日延べの相談をしている時点で、こちらの事情についてはある程度開示しているところにこの物言いである。十中八九わかっていてやっている。


「ついに愛想でもつかされたのかな? ハハッ、まあ無理もない。高々平民程度の侍従をしていたところで将来など知れているからな。見限るのも懸命な判断というものだろう」


「……私としても、彼女に頼まねばらならない仕事がありますから。早くに期限を直して出てきてくれればいいのですが」


 場面が場面なだけに、最低限に合わせておくが。本音を言えば、今すぐにでも問い詰めたいところではある。

 まず間違いなく、犯人は、リヴァ子爵であろう。

 偏見がないといえば嘘にはなるが、とはいえ、ここまでの彼の横柄な態度や昨晩のアイリスの証言。

 そして、なによりも今の物言いから鑑みるに、これで関与していないというのならば驚き以外のなにものでもないだろう。


「まあ、そうだなあ。早々にこの交渉はなしが決着するのであれば、私としても暇が生じるのでな。もしかしたら、どこかで貴様の侍女を見かけたときに口利きをしてやらんでもない。もっとも、こちらは条件を緩める気は微塵もないがな」


 つまるところは、リヴァ子爵(こちら)の条件を全て呑め、と。そう迂遠に言ってきているのであろう。なかなかに性格の悪いことをしてくるものだ。

 しかし、問題なのは。ここにいるのがあくまで浩一とリヴァ子爵のふたりきりでしかない、ということ。

 発言に対する証言性も上に、更にはリヴァ子爵自身、確証と取れるような物言いはしていない。


「そもそも、口利きをしてやったところで。イラ、とか言ったか? やつがお前のところに帰りたがるとも限らんがな。クハハッ」


 今すぐにでも子爵の顔を蹴り飛ばしてからアイリスのことを探しに行きたい気持ちはあるが、それを、ぐっと堪える。

 ここで、下手に不利になるような行動を取るわけにはいかない。非常に業腹だが、我慢をするしか。






 そんな状態で話し合いが進展することなど、当然にあるわけもなく。今日の場は解散となる。

 リヴァ子爵の執務室から退室した浩一は、やる気持ちに突き動かされるように今すぐ飛び出していこうとして。


「おっ、と。すみません」


「こちらこそ、失礼いたしました。コーイチ様」


 廊下の角でレインドールと鉢合わせる。


「……イラは?」


「申し訳ありません。全力で捜索はしたのですが」


 続く言葉を尋ねる必要はないだろう。浩一はギリと歯を噛む。


「レインドールさん。ひとまず俺は、街の方を捜索しますので」


「はい。お気をつけて向かわれてください」


 正装が乱れるとか、そんなことは微塵も厭わず。とにかく、街中へと走り出した。

 地図は、大まかには頭に入っている。さすがに裏路地などまでは頭の中には入っていないが。


「――情報は、命」


 まず向かったのは、商店通り。

 アイリスが消失したタイミングは、ほぼ確実に夜中ではあるだろう。

 だが、普通ならば寝静まっているそんな時刻でも、この街は起きている。


(犯人が、そんな簡単に見つかるようなルートで移動してるとは思いにくいけど)


 とはいえ、あらゆる視線をかいくぐる、というのもまた困難ではある。


「おう、また会ったな、あんちゃ――」


「すみません。急なお願いにはなるのですが」


 何度目かの店主。声をかけてくれたそれに食いつくようにして、浩一は話しかける。

 ミズチアは、商業が中心に広まっている街だ。なれば、その耳目は商人を中心に形成されている。


「なんだ。随分と穏やかな状況ではなさそうだな」


 そんな浩一の様子に、彼も事態を察してくれた。


「俺にできることは少ないかもしれないが。これもまた縁だ」


 ニカッ、と。店主の男性は頼りになる笑顔を浮かべてくれる。


「たしか、偉いところさんの人なんだろ? 貸しの精算にはちょこっと期待させてもらうけどな」


 実に商人らしい、人情と打算の入り混じったその言葉に。「俺に、できる範囲なら」と、浩一は首肯で返した。

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