#130
「さて、と」
アイリスの協力もありながら、借り受けた部屋へと戻って。ひとまず、状況を整理をしようとして。
「なんで、さも当然のごとく。こっちの部屋に来てるんだ?」
「えへへ。せっかくなので悪ぅい夜ふかしをご一緒に、と思いまして?」
先程、部屋の前で別れたはずの彼女は、にっぱりと笑いながらにそう言ってくる。
なるほど、これはかわいい。かわいいんだが。
「いや、だめだろ。明日はリヴァ子爵との対談の予定があるし。そうでなくとも、一緒に寝るとかは問題だろ?」
「アイリス、としてであればそうかもしれませんが。今は侍女のイラ、ですので!」
「侍女の時間は既に時間外だ」
浩一が淡々とそうあしらうと、彼女はむう、と。そうほっぺを膨らませる。
「……それで? どういう事情でこっちに来たんだ?」
「へ? それは、その」
「アイリにしては誤魔化し方が変だったからな」
いつもの彼女であれば、来るときはもっと真っ直ぐに攻めてくる。
そこを迂遠な言い方をしていたということは、まあ、そういうことだろう。
「部屋に戻ろうとしたら、正面からリヴァ子爵がいらっしゃって」
どうやら、アイリスがいることには気づかなかった様子ではあるらしい。
他にも何人か一緒に歩いていたらしく。ただ、その人たちに見覚えはないとのこと。
「それで、リヴァ子爵たちが、私の部屋の前でなぜか立ち止まっていて」
「……は?」
「それで、思わず戻ってきてしまったのです」
なにをしていたのかについては、詳しいことはわからなかったらしいが。なにか、中を伺っているような素振りではあったらしい。
「それで。もしかしたら抜けて出していたのがバレたのかもしれない、とそう思ってしまいまして」
浩一のところで仕事をしていたのだ、という体裁を作るためにやってきた、と。そういうわけらしい。
「でも、たしかに既に夜更しをしてしまっている現状、これ以上に遅くなってしまうのはよろしくはありませんわね」
「いや、でも――」
「今日は、帰りますの! すみません、こんな夜中に」
笑顔を浮かべるアイリス。しかし、いつものような明るさはなく。どこか、頼りなさげで。
今日は、一緒にいてやったほうがいいかもしれない。でも、先程自分が言ったように、彼女がそう言ったように、立場というものがあるわけで。
「せめて。部屋までは送る」
少しの不安を抱えたまま。浩一たちは部屋から出た。
存外にも、道中でリヴァ子爵と出会うことはなく。いちおう、彼女の部屋の中を改めてみたが、なにか変わったところがあったわけでもなく。
ご心配をおかけしました、と。そういうアイリスに、やっぱりどこか後ろ髪を引かれるような思いをしながらも。鍵だけしっかりと施錠するように伝えて、自室に戻る。
「いろいろと、気にはなるけど。……ともかく、今のうちに今日わかったことを整理しておかないと」
明日は、再度のリヴァ子爵との対決。事前準備を怠るわけにはいかない。
睡眠時間を確保するためにも、早々に考えを整理しておかないと。
ひとまず、先程のことを思い起こす。
店主の男性とのやりとり、ミズチアの外郭部の様子。
セリザとの邂逅は全くの想定外だったが。とはいえ、意外なところで進展をくれた。
「ミズチアの経済が、普段停滞していて。俺たちがいるから、現在は好調……それは、わかってる」
だからこそ、今が商機であると、セリザがミズチアに足を運んで指揮を執る事態にまでなっている。……と、浩一はそう考えたわけだが。しかし、彼女からの解答は、順序が逆。
単純にひっくり返すと、セリザたちがミズチア
もといリヴァ子爵領に来ているからこそ商機が発生している、となるが。仮にそれだけなのであれば、わざわざ浩一が来ているタイミングに合わせてくる必要はないだろう。
だから、今の考えは間違っていなくとも、少しズレている。
タイミングを浩一の訪問に合わせているということは。商機の発生の根源は浩一の来訪。
そもそも、彼ら輸送ギルドが来訪するだけで商機が発生するのであれば、最初から来ればいいだけの話であって――、
「いや、違う」
今の考えは、そもそもの大前提を見落としている。
なぜ今のミズチアの経済が好調なのか、ということも重要ではあるが。
そもそも、なぜ。今のミズチア。いや、リヴァ子爵領の経済が萎縮するような事態が発生しているのか。
税金による領民の疲弊など、そういった見えやすいところの原因もゼロではないだろうが。しかし、リヴァ子爵領の持つ物流の要衝という特性を加味するならば。国全体の経済が疲弊していないにもかかわらず、リヴァ子爵領単体の施策だけでここまで停滞することは少し考えにくい。
で、あるならば。起こっているのは、もっと根本的な話。
「たぶん、セリザさんたちは来なかったんじゃなくて――」
来れなかった。あるいは、来たくなかった。
だからこそ彼女は、順序が逆、と。
なるほど。たしかにそれならば、道理が通る。……そして。
「本当に、傑物がいるものだなあ」
浩一は、ぐぬぬ、と。顔をしかめる。
あまりにも、厄介な事実が目の前にある、ということを再度認識する。
なるほど。これはたしかに、正面突破は苦しいだろう。
ちらり、と。浩一は自身のカバンへと視線を遣る。
「できれば、頼りたくはないけど」
万が一の場合は、切り札に頼ることになるかもしれない。
借りの額がいかほどのものかわからないから。可能であれば、使いたくはないんだけれども。
翌朝。浩一は寝台から起き上がると、まだ少し重たい瞼をこすりながらにぐっと身体を伸ばす。
昨夜のアイリスとの夜歩きもあり、少しばかり疲れが残ってるな、なんて。そんなことを思いつつも、早々に身支度を開始する。
早くにしておかないと、いつ彼女の襲撃があるかわからない。
着替えているところにノック無しで突撃でもされようものなら……うん。考えないでおこう。
少し前のアイリスならば、元気な声で「別の方を向いておきますわ!」と言っていたものだが、最近は恥じらうようになってしまったし、なおのこと。……いやまあ、今の反応が真っ当なんだけれども。
今日は再度リヴァ子爵と対面して話をする日である。少々心持ちが重くはあるが、とはいえ避けては通れない道。
正装に着替えて、アイリスがやって来るのを待つ。……が、来ない。
昨日浩一と同じく就寝が遅くなったために寝坊をしているのだろうかと。彼女の様子をうかがうために部屋に向かってみる。
しかし、ノックをしても返事はない。眠っている可能性もあるので強めにノックをして呼びかけてみるが、やはり返事がない。
「どうされましたか、コーイチ様」
浩一の声を聞きつけたレインドールが、心配そうな表情で近づいてくる。
「ああ、えっと。アイ……じゃなくて、イラがまだ起きてこないので、少し心配になりまして」
別のことに意識が向きすぎていて、一瞬口を滑らせかけたが。ひとまず、レインドールに状況の説明をする。
彼は「なるほど、たしかにそれは心配ですね」と言うと、念の為鍵を取りに行こうとして。
そういえば、部屋の鍵が開いているかは確かめていなかったな、と。
ドアノブに手をかけると。
「……開いてる」
ノブが、回った。
浩一の言葉に、レインドールも足を止める。
一瞬、迷う。体裁上は浩一の侍従であるイラがいる部屋ということにはなっているが、それでも異性の部屋であることには違いないし。
なによりも、王女の部屋である。まあ、現在においては公式な話ではないが。
しかし。それを押してでも。ドアを押す。アイリスがすやすや就寝中なら、謝ればいいだけの話だ。
だが――、
「いな、い」
目の前の状況に。浩一は、息を呑む。
アイリスの姿が。どこにも、ない。




