シーン8:『歪みゆく騎士道と、痛ましき残響』
――ひとつだけ、先にお伝えしておきます。
これは、純愛物語ではありません。
それだけ覚えて、この先をお楽しみください。
ダンジョン中層・第七層。上層の冷気とは一転し、この階層は肌をじっとりと濡らすような、生温かく悍ましい熱気に満ちていた。
赤黒い岩肌の隙間からは、絶えず硫黄に似た刺激臭を含む瘴気が噴き出し、視界をかすかに歪ませている。
「……よし、薫ちゃん。配信カメラの映像同期、魔力電波の補正ともに完璧だ。前回の『騎士様演出』がSNSで大拡散されてね、待機画面の時点で同接は早くも四万を超えてるよ。今日もリスナーをたっぷり泣かせて、スパチャをガンガン回収してよ!」
薫の耳の奥に仕込まれたインカムから、事務所のコントロールルームにいる栂野の、カネの亡者そのものの軽薄な声が響いてくる。
その瞬間、薫は不快そうに小さく眉間にしわを寄せ、栂野の声を頭の中から閉め出すようにフイと頭を横に振った。手元に抱えた業務用メインカメラのスイッチをパチンと押し下げる。レンズの脇で、赤いランプが血のように点灯した。
「――はーい、リスナーのみんな、お待たせしました! カメラマンの薫よ。みんなの温かい応援のおかげで、ミナト君の傷も無事に癒えて、今日はさらに深い第七層の探索に突入します。ほら、ミナト君、みんなが待っているわよ?」
薫が優しくカメラを向けると、ミナトは少し照れくさそうに笑いながら、レンズをまっすぐに見つめた。前回のぎこちなさは消え、その佇まいには確かな冒険者としての成長の跡が見える。
「皆さん、こんにちは! 冒険者のミナトです。前回はたくさんの応援、本当にありがとうございました。中層の魔物はすごく強いけど……僕、後ろにいる薫さんを絶対に守って、もっともっと奥まで進みます! 今日も僕たちの冒険を、見守っていてください!」
カメラに向かって力強く、爽やかな決意を語るミナトの姿に、配信のコメント欄が凄まじい速度で動き出した。
【コメント欄・冒頭】
『ミナトくん挨拶めっちゃ上手くなってる!!』
『今日も笑顔が爽やかで格好いいぞ!』
『タイトル【お姉さんを守る『騎士』の新たな挑戦】ってマジで尊い』
『お姉さん今日も声が優しくて綺麗。二人お似合いすぎだろ!』
同接数が開始一分で早くも五万人を突破する中、赤黒い通路の最奥から、ズズ……ズズ……と地を這うような不気味な足音が響いてきた。
中層深部の凶悪なモンスター――『アイアン・ゴルゴン(鋼鉄の鱗を持つ大蛇)』だ。
身の丈十メートルを超える巨体に、鈍い銀色に輝く鋼鉄の鱗をまとい、その三つの眼からは、触れた者を硬化させる怪しい光が放たれている。
「ミナト君、気をつけて……! あれは上層の化け物とは格が違うわ!」
「大丈夫です、薫さん。僕が、あなたの盾になりますから!」
ミナトは大剣を引き抜き、鋭い踏み込みで大蛇へと突っ込んだ。
しかし、アイアン・ゴルゴンの防御力は凄まじかった。ガギィィィンッ! と、大剣が鱗に弾かれ、凄まじい火花が散る。大蛇は激昂し、丸太のような太い尾を容赦なくミナトへと叩きつけた。
「がはっ……!?」
強烈な衝撃がミナトを襲い、彼の身体が岩壁へと叩きつけられる。防具がひしゃげ、口元から鮮血が流れ落ちる。
普通なら、ここで一度距離を取り、体勢を立て直すべき局面だった。しかし、ミナトの脳裏に浮かんでいたのは、全く別の、歪んだ欲望だった。
(もっと……もっと僕が傷だらけになって戦えば、薫さんは僕のために、あの綺麗な涙を流してくれる。僕を、特別な騎士として、本気で心配してくれるんだ……!)
前回の戦闘で薫が流した涙と、マイクに入った鼻をすする音。あの「本物の温もり」が、ミナトのブレーキを完全に破壊していた。彼はわざと防御を捨て、大蛇の牙が自分の腕を抉るのも構わず、さらに泥泥の泥仕合へと身を投じていく。
「嫌……ミナト君! もうやめて……っ! お願いだから、私のためにそんなにボロボロにならないで……っ!!」
カメラを構える薫の声が、激しく悲痛に震えていた。必死にミナトの姿を捉える彼女の切れ上がった瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ落ち、床の赤黒い岩肌を濡らしていく。配信のマイクには、彼女が本当に胸を痛めているかのような、小さく激しく鼻をすする生々しい音が何度も混ざり込んでいた。
【コメント欄・戦闘中】
『ミナトまじで死ぬぞ! 避けろ!!』
『お姉さんの泣き叫ぶ声と鼻すする音がツラすぎる……泣けてきた』
『自分の身を挺してお姉さんを守ってるんだな……漢だわミナト』
『頼むから二人とも生きて帰ってくれ! 回復薬代だ!!【赤いスパチャ:150,000円】』
『お姉さんをこれ以上泣かせるなミナト!!【赤いスパチャ:300,000円】』
二人の命懸けの純愛に脳を完全に焼かれたリスナーたちから、画面が真っ赤に染まるほどの怒涛の高額スーパーチャットの嵐が吹き荒れる。
『ギャハハハハ! 薫ちゃん最高! 涙と鼻すする音のダブルパンチで同接八万突破だよ! 売上がバグって画面が見えねえ!』
『現在のスパチャ総額、六百万円を突破。同時視聴者数は過去最高を維持しています、薫さん』
インカムから流れる栂野のゲスな歓声を完全に無視し、薫はハウンドの突撃や大蛇の尾の風圧を完全な丸腰で紙一重でかわしながら、メインカメラを必死に構え続けた。
ミナトの流血、砕け散る防具の破片、そして彼が虚勢を張って戦うその凄惨な姿を、最も美しく、最も痛ましく、世界中が涙する「神アングル」で執念深く切り取り続ける。
「これで……終わりだぁぁぁッ!!」
ミナトは自分の肉を大蛇の牙に噛みつかせ、その動きが止まった一瞬の隙を見逃さなかった。全身の残りの魔力を全て大剣へと注ぎ込み、ゴルゴンの脳天へと上段から叩きつけた。
ズシャァァァァァンッ!!!
鋼鉄の鱗が消し飛び、大蛇の巨体が地響きを立てて石畳へと倒れ込んだ。切り裂かれた肉体から、ドロドロとした赤黒い血溜まりが津波のように広がり、通路を無惨に汚していく。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
ミナトは勝利の瞬間、全身の傷から激しく出血し、そのまま血溜まりの中に崩れ落ちた。大剣を握る手は痙攣し、指一本動かすこともできない。
薫はメインカメラを構えたまま彼へとそっと歩み寄り、カメラを床へ置くと、すぐに膝をついて自分の白いハンカチをミナトの傷口へと押し当てた。彼女の涙に濡れた瞳が、痛ましそうに激しく揺れている。
「薫、さん……。ほら……僕、薫さんの……特別な、騎士、ですから……。だから、もう……泣かないで……」
血まみれの顔で、消え入りそうな声で微笑むミナト。薫は彼の傷を必死に抑えながら、消え入りそうな、切ない声を絞り出した。
「バカね……本当に、バカな子……。どうして、そんなに無茶をするの……っ」
薫はミナトをいたわるように、慈愛に満ちた声をマイクに残したまま、手元のスイッチをパチンと押し下げた。
カメラの赤いランプが静かに消灯し、世界中の画面がブツ切り(カット)になる。
【コメント欄・放送終了】
『お姉さんの「バカな子」がガチすぎて号泣した』
『こんなのもう完全に映画以上の純愛だろ……』
『ミナト、絶対に死ぬなよ! お前ら早く病院へ行け!』
『次の配信も絶対に見る! 二人の未来に幸あれ!!』
画面の向こうで、余韻に浸るリスナーたちの狂熱のコメントが虚しく流れ続ける中、薄暗い通路には冷たい静寂が戻る。
「無茶をすればするほど、彼女が自分を特別に想ってくれる」という、破滅への最悪な学習をさらに深めてしまったミナトを、薫は涙の残る瞳で、ただ静かに見つめるのだった。
「配信を見てくれてありがとう……。カメラマンの千歳薫よ。
ミナト君ったら、配信の最初の挨拶、すっごく上手にできるようになっていて、彼の成長が本当に眩しかったわ。でも、中層の凶悪な化け物相手に、あんなにボロボロになってまで私を守ろうとするなんて……。
……正直ね、前まではただのビジネス(商品)だと割り切ろうとしていたの。でも、あんな風に傷だらけになりながら『薫さんの盾になります』なんて言われて、本当に私のために命を懸けてくれる姿を見せられたら……守られるのも、悪くないのかなって、本気で胸が締め付けられちゃった。
事務所の栂野さんたちは相変わらず『売上がバグった』なんてカネの話ばかりしていて、本当にうるさくて嫌になっちゃうけれど……私はもう、ビジネスなんてどうでもいい。彼のあの真っ直ぐな騎士道を、これからも一番近くで、私の命に代えても守っていきたいな。
『ミナト君の怪我が心配!』『二人の絆の行く末を最後まで見届けたい!』
そう思ってくれた画面の前の、そう、そこのあなた!
その熱い気持ちを、ぜひ【ブックマーク】登録で私に直接届けてちょうだい。
『二人の純愛を応援したい!』『薫お姉さんのあの涙に胸を打たれた!』
と思ってくれたら、下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に染めるという名の、私たちの未来への『スパチャ』を投げてくれたら嬉しいわ。もちろん、満点の星5個、贅沢な本物のスパチャ(評価)でお願いね?
君たちの一票(星)が、私のカメラワークと、この物語をもっと強く、もっと輝かせるエネルギーになるの。みんなからの熱いコメント(感想)も、大切に読ませてもらうわね。
さあ、最高値へと向かう彼の命の灯火がどこへ向かうのか――次の配信『最深部の輪郭と、託された約束』を楽しみにしててね♡」




