シーン9:『最深部の輪郭と、託された約束』
中層の探索を開始してから、早くも数週間が経過していた。
第七層、第八層と這うようにして血路を開いてきた二人の足跡は、ついに中層の最深部である、第十層のボス部屋へと続く長い回廊にまで達していた。
周囲の岩肌は、ただの赤黒い石から、まるで心臓のようにかすかに脈打つ禍々しい魔力の結晶へと変貌し、通路の奥からはこれまでの雑魚とは比較にならないほど重苦しい圧迫感が漂ってきている。
「……よし、薫ちゃん。配信カメラの映像同期、魔力電波の補正ともに完璧だ。今回の十層ボス戦はね、これまでの比じゃないくらい売上が跳ね上がる予測が出てる。薫ちゃん、しっかり煽って、最高の数字を回収してよ!」
薫の耳の奥に仕込まれたインカムから、コントロールルームにいる栂野の、カネの亡者そのものの軽薄な指示が響いてくる。
薫は冷ややかな目で手元の小さなレシーバーを操作し、栂野の音声ボリュームをノイズに聞こえるほど極限まで絞り込んだ。そして、インカムから流れる世俗的なノイズを完全に無視して、目の前のミナトだけに優しい視線を向けた。
薫が手元に抱えた業務用メインカメラのスイッチをパチンと押し下げる。レンズの脇で、赤いランプが血のように点灯した。配信開始の合図だ。
「――さあ、リスナーのみんな、大変お待たせしました! カメラマンの薫よ。前回の過酷な大蛇戦では、ミナト君へのたくさんの温かい応援とスパチャを本当にありがとう。みんなの想いに応えて、私たちはついに、中層の最深部……第十層のボス部屋の前に近づいてきました! ほら、ミナト君、みんなに元気な顔を見せてあげて?」
薫が優しくカメラを向けると、城ヶ崎湊は、大剣の柄を背中にしっかりと固定し、レンズに向かって堂々と真っ直ぐな笑顔を見せた。これまでのぎこちなさは完全に消え去り、その佇まいには一流のプロ配信者としての風格と、冒険者としての頼もしい成長の跡が刻まれていた。
「皆さん、こんにちは! 冒険者のミナトです。ここまで来られたのは、画面の前の皆さんの応援と……何より、いつも僕を一番近くで支えてくれた薫さんのおかげです。中層の主は今までで一番強い化け物だけど、僕、絶対に勝って、もっと強くなります! 今日も僕たちの決戦を、見守っていてください!」
カメラに向かって滑らかに、かつ格好よく決意を語るミナトの姿に、配信のコメント欄が驚異的な速度で動き出した。
【コメント欄・冒頭】
『ミナトくん挨拶まじでプロの風格出てきたな! 格好いいぞ!』
『ついに中層ボスか……! 待機画面の時点で同接六万超えはヤバすぎる』
『今日も二人の最高のてぇてぇを頼むぞ!! ミナト、お姉さんを護れよ!』
同接数が開始一分で早くも過去最高の七万人を突破する中、二人はボスの部屋へと続く、静まり返った一本道の通路をゆっくりと歩み進めていた。
道中、パチパチと周囲の魔力結晶が爆ぜる不気味な音が響く中、薫は何気ない様子で、歩きながら私物バッグから小さなガラス製の小瓶を取り出した。ミナトが自分のためを想って一生懸命に選んでプレゼントしてくれた、あの高級ハンドクリームだ。
薫は蓋を開け、白いクリームを自分の手の甲へと少しだけ落としたが、「あ……ちょっと、つけすぎちゃったわ」と小さく声を漏らした。
薫は歩調を緩めると、大剣の調子を確かめていたミナトのほうを向き、小瓶を持ったまま、もう片方の手をそっと差し出した。
「ミナト君、ちょっと手を出して?」
「えっ? あ、はい……っ」
ミナトが言われるがままに自分の大きな右手を差し出すと、薫はそこに自分の細く白い手を重ねた。そして、互いの指を深く、一本ずつ絡め合わせるようにしながら、手の甲に残った余分なハンドクリームをミナトの肌へと優しく塗り広げていった。
薫の柔らかい手のひらの感触と、指先から伝わる甘い熱量。あまりの刺激に、ミナトの心臓はボスのプレッシャーを遥かに凌駕する勢いで激しく高鳴り、顔を一瞬で真っ赤に染め上げた。
「ミナト君の手、すごく大きくて温かいのね。……いつもこの手で、重い大剣を振るって私を守ってくれているのね」
「あ、あの……! やっぱり、薫さんにはそのクリームの優しい香りが、すごく似合いますね。毎日大切に使ってくれて……僕、本当に嬉しいです」
「ええ、ミナト君がくれた大切な宝物だもの。毎日助かっているわ。ありがとうね、ミナト君」
二人は通路の真ん中で、絡め合った指先を名残惜しそうに離しながら、本当の恋人同士のように嬉しそうに微笑みを交わし合った。
【コメント欄・移動中】
『うおおおお指絡めた!? 完全に公開プロポーズじゃねえか!!』
『お姉さんのあの愛おしそうな微笑み、ガチでミナトのこと愛してるだろこれ!』
『ミナトの手の温もりを確かめるような仕草、てぇてぇの限界突破だわ……』
『この声と仕草は絶対ガチ。二人ともお似合いすぎて涙出てきた』
コメント欄が二人の純愛模様に激しく脳を焼かれ、お祝いのスパチャが早くも画面を真っ赤に染め上げる中、回廊の終点が見えてきた。
通路を抜けた二人の目の前に立ちはだかったのは、これまでの階層のものを遥かに凌駕する、巨大で禍々しい黒鉄の扉だった。
扉の表面には赤黒い血のような魔力紋様が発光しており、その奥からは、部屋全体を消し飛ばしかねないほどの圧倒的なボスのプレッシャーが、冷や汗となって肌を刺すように伝わってくる。
「……ここが、中層の主の部屋、ですね」
ミナトはゴクリと唾を呑み込み、巨大な黒鉄の扉を見上げた。
これまでの楽しげな日常の空気から一転、戦場の張り詰めた緊迫感がその場を支配する。ミナトは大剣を握り直し、隣に立つ薫へと、今までで一番真剣な視線を向けた。
「薫さん。この扉の向こうのボスを倒したら……その、僕、薫さんに、どうしても言いたいことがあるんです。だから……待っていてください」
男としての、命懸けの告白を約束する最高の背伸び。
薫はそんなミナトの真っ直ぐな言葉を受け止めると、その切れ上がった瞳をどこか切なげに潤ませ、彼の手をぎゅっと力強く握り締めた。
「ええ……待っているわ、ミナト君。……この先の主は今までの化け物とは格が違う。今日の配信は一度ここで終わりにして、地上に戻って万全の準備を整えましょう。勝負は、明日よ」
「はい! わかりました!」
ミナトが薫の的確なプロの判断に力強く頷き、次なる決戦への闘志を最高潮に昂らせたところで、薫が手元のスイッチをパチンと押し下げた。
カメラの赤いランプが静かに消灯し、世界中の画面がブツ切り(カット)になる。
【コメント欄・放送終了】
『告白フラグきたあああ! 明日のボス戦まじで絶対見る!』
『お姉さんのあの切ない決意に胸が締め付けられた。二人とも生きて帰ってくれ!』
『地上に戻って準備か。ミナト、装備しっかり直して明日絶対勝てよ!』
『次の配信まで夜も眠れない。二人の未来に幸あれ!!』
画面の向こうで、余獄の余韻に浸るリスナーたちの狂熱のコメントが虚しく流れ続ける中、薄暗いダンジョンの通路に冷たい静寂が戻る。
「じゃあ、薫さん。また明日、このゲートの前で」
「ええ、また明日ね、ミナト君。気をつけて帰るのよ」
地上へと戻った二人は、ダンジョンの入場ゲート前で互いに手を振り返しながら、それぞれの帰る場所へと別れて歩き出す。
「明日ボスを倒せば、彼女に想いを伝えられる」という純粋な希望を胸に、自分の宿舎へと帰るミナト。そして、彼が背を向けて人混みへと消えていった瞬間、薫は一人、冷え切った瞳で歩き出し、栂野たちの待つ『クローバー撮影事務所』の裏舞台へと静かに足を向けるのだった。
第9カット・あとがき
「配信(第9カット)を見てくれてありがとう……。カメラマンの千歳薫よ。
ミナト君ったら、配信の最初の挨拶もすっかりプロらしく堂々とできるようになって、その横顔が本当に格好よくて眩しかったわ。
それに、私がハンドクリームをつけすぎちゃったとき、彼の大きな手を引いて指を絡ませてあげたら、顔を真っ赤にして本当に愛おしそうに私のことを見つめてくれるんだもの……。
……正直ね、前まではただのビジネス(商品)だと自分に言い聞かせていたの。でも、あんな風に指先から彼の温もりが伝わってきて、ボス戦を前に『ボスを倒したら、薫さんにどうしても言いたいことがある』なんて命懸けの約束を託されたら……私の胸も、本気で張り裂けそうになっちゃった。
事務所の栂野さんたちは相変わらず『売上が跳ね上がる』なんてカネの話ばかりしていて、本当にうるさくて嫌になっちゃうけれど……私はもう、ビジネスの道具に彼を利用させたくない。
明日、彼が命を懸けてあの黒鉄の扉を開けるとき、私はカメラマンとしてではなく、一人の女性として、彼の隣で彼の騎士道を守りたいって思っちゃったの。
『ミナト君の告白の行方が気になる!』『二人の絆を最後まで応援したい!』
そう思ってくれた画面の前の、そう、そこのあなた!
その熱い気持ちを、ぜひ【ブックマーク】登録で私に直接届けてちょうだい。
『二人の純愛を応援したい!』『薫お姉さんのあの切ない決意に胸を打たれた!』
と思ってくれたら、下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に染めるという名の、私たちの未来への『スパチャ』を投げてくれたら嬉しいわ。もちろん、満点の星5個、贅沢な本物のスパチャ(評価)でお願いね?
君たちの一票(星)が、私のカメラワークと、この物語をもっと強く、もっと輝かせるエネルギーになるの。みんなからの熱いコメント(感想)も、大切に読ませてもらうわね。
さあ、一度地上に戻って、明日いよいよ中層のボス部屋の扉が開くとき、私たちの運命がどうなっていくのか――次の配信を楽しみにしててね♡」




