シーン6:『引きつる微笑と、冷たい笑声』
深夜三時。ネオンの明かりが白々とにじむクローバー撮影事務所のオフィスは、昼間のうらぶれた空気など微塵も感じさせないほど、不気味な熱気に満ちていた。
壁一面に設置された最新型の超高精細モニターには、つい先ほど生中継を終了したばかりの、第五層のボス部屋の残響が映し出されている。
フロストオーガの引き裂かれた巨大な死骸と、石畳を真っ黒に染める赤黒い血溜まり。その凄惨な戦場の中心で、血と汗にまみれて崩れ落ちていた城ヶ崎湊の純朴な笑顔が、静止画として大画面に固定されていた。
「お疲れ様、薫ちゃん! いやあ、完璧! 完璧すぎるよ! 新人の二回目の配信で同接六万五千、売上七百万円突破なんて、業界の歴史を塗り替えるレベルの大爆発だ!」
事務所の扉が閉まる音と同時に、統括ディレクターの栂野が、パチパチと下卑た拍手を送りながら大声で叫んだ。彼の前には、すでに一本数万円は下らない高級シャンパンのボトルと、三つのクリスタルグラスが用意されている。
薫は栂野の興奮した声を気にする様子もなく、まずは手元に抱えた業務用メインカメラへと視線を落とした。
彼女はデスクの脇に敷かれた、滑らかな最高級シルクのクロスの前に立つ。息を吹きかけることすら躊躇うような手つきで、カメラを信じられないほど静かに、優しく、細心の注意を払ってその上に置いた。
彼女にとって、このカメラはただの機材ではない。愚かな冒険者たちの命を最も美しい映像へと変え、莫大な富を運んでくる神聖な宝物そのものだった。
「カメラのレンズ清掃と魔力中継器のログ回収、千早ちゃんお願いね。魔気の結露があるかもしれないわ」
「了解しました、薫さん。すでに同期とログの吸い出しを開始しています」
部屋の隅で、巨大なコントロールパネルに向き合っていたオペレーターの千早が、感情の起伏がない無機質な声で答えた。彼女の細い指先がキーボードを叩くと、モニターにミナトの配信の総合データが鮮やかに展開される。
「まあ、まずは乾杯しましょう。栂野さん、せっかく冷やしてくれたんだから、早く開けて頂戴」
「おっと、そうだったな! よし、クローバー撮影事務所の、新たなる輝かしい『商品』と、我々の大勝利に乾杯だ!」
ポン、と小気味よい音が響き、透明なグラスに黄金色の泡が注がれる。
三人はグラスを合わせ、冷えたアルコールを喉へと流し込んだ。薫はソファに深く腰掛け、長い足を組んでふぅ、と艶やかなため息をつく。
「それで、千早ちゃん。今回の正確な収益分配のデータを見せて」
薫がグラスを弄びながら尋ねると、千早は感情の籠もらない目でモニターのグラフを指し示した。
「はい。第五層のボス戦における総スーパーチャット額は、合計で七百十二万円。契約書第四条に基づき、総収益の70%である四百九十八万四千円が我が社の取り分。残る30%の二百一十三万六千円がミナトの取り分ですが、ここから口座管理手数料、魔力電波維持費などの固定手数料として、一律二十万円を自動天引きします」
「つまり、あいつの手元に残るのは百九十三万六千円か」
栂野が鼻で笑う。
「命を懸けて大剣を振り回して、死にかけて限界突破までして、丸腰のカメラマンより遥かに取り分が少ない。おまけに我が社の取り分からさらにピンハネした広告費も上乗せして回収する。これだからダンジョン配信ビジネスは辞められないねぇ」
「あら、栂野さん。ミナト君への搾取は、それだけじゃないわよ」
薫は私物バッグのジッパーを開けると、中から、リボンのついた化粧品会社の小さな紙袋を無造作に取り出し、デスクの上へと放り投げた。
中から転がり出たのは、ミナトが「薫さんの手が荒れないように」と、初配信の手残りから一生懸命に選んで買ってきた、あのガラス製の小さなハンドクリームの小瓶だった。
栂野がそれを手に取り、じろじろと眺めて笑う。
「おや、これはチューブじゃなくて小瓶タイプか。昨日、事務所の洗面所で、薫ちゃんが直接この中身を自分の特注高級クリームにギューギュー詰め替えているのを見たときは大笑いしたよ。ミナトくん、目の前で嬉しそうにそのクリームを塗る薫ちゃんを見て、顔を真っ赤にして喜んでいただろう? 本当に男を狂わせる天才だよ、薫ちゃんは」
「ええ。あの子、私が戦闘外の作業を手伝って、さらにそのクリームを目の前で使って見せたら、本当に優しい聖母か何かだと勘違いしちゃったみたい。自分で自分の遺品を、前払いでよこしたのよ。本当に可愛い男の子。どうせ契約書第十条に基づけば、あの子が死んだ瞬間に、身に付けている防具も、大剣も、すべての資産が私のものになるのにね。それを生きているうちから自分から差し出してくれるなんて、本当にいい子だわ」
栂野は笑いながらハンドクリームの小瓶を薫に戻した。薫はそれを手元に引き寄せ、じっと見つめる。
その横で、千早は感情の消えた指先で淡々とキーボードを叩き、新たなバイタル予測グラフを画面に呼び出す。
「ミナトのバイタル、および今回のフロストオーガ戦における戦闘データを詳細に解析しました。彼の大剣の技術は依然として荒削りであり、今回の限界突破は一時的な精神的高揚によるアドレナリンの分泌に依存したものです。
次からの階層は中層。モンスターの攻撃力は倍加します。現在の進行ペースを維持した場合、彼の生存確率は――一二・五パーセントから、さらに一桁台へと低下しました」
「いいねぇ、最高にいい確率だ」
栂野はモニターに映るミナトの純朴な顔写真を眺めながら、引き締まった笑みを浮かべた。
「次からは中層、そして深層の入り口へとあいつを誘導する。薫ちゃん、さらにあいつを煽って、その気にさせてよ。リスナーが『もっとこの少年の成り上がりが見たい!』『お姉さんカメラマンとの恋の行方はどうなるんだ!?』って狂うくらいにね。最高値までバズらせたところで、最高の『神アングル』でロストしてもらうんだからさ」
栂野の冷酷な言葉が、深夜のオフィスに響く。
その瞬間、薫は自分の胸の奥に、今までに感じたことのない妙な感情の揺らぎが突き上げてくるのを感じた。
(でもなんでミナト君の事考えたら胸が高鳴るの? あんな世間知らずでお金も持ってない年下の子に……私に限って、そんな事ないわよね?)
自分の心の中に芽生えた、言語化できない不穏な戸惑いに、薫は一瞬だけ立ち止まる。
しかし、彼女はプロのビジネスマンとして、即座にその心のノイズを押し殺した。いつものように、冷酷な営業スマイルをその美しい顔に張り付けると、栂野のゲスな会話に話を合わせて、くすくすと笑ってみせる。
けれど、その笑顔はどこか微かに引きつっており、今までの彼女のように心の底から素直には笑えていなかった。
薫のトーンがどこか歪に抜け落ちた、栂野と千早の、二人の悪魔のような笑い声だけが深夜のオフィスに冷たく響き渡り、ミナトの命のカウントダウンが、裏で静かに、そして確実に進んでいくのだった。
「配信に付き合ってくれてありがとう……。カメラマンの千歳薫よ。
事務所に戻って、栂野さんたちがミナト君のくれたハンドクリームを『安物』だとか『前払いの遺品』って大爆笑していて……。いつもなら、私もビジネスだと割り切って一緒に笑っていたはずなのに。
本編の最後で少し独白しちゃったけれど……私、どうしちゃったのかしら。あんな世間知らずで、お金も持っていない年下の子なのに……ミナト君のことを考えると、胸の奥が痛いくらいに高鳴るの。
私に限って、ビジネス(商品)を相手にそんなことあるわけないのにね……。栂野さんたちのカネの話や笑い声が、今はなんだか、すごく冷たく聞こえてしまうわ。
私の中に芽生えた、この不穏な戸惑いの行く末を最後まで見届けたいって思ってくれた画面の前の、そう、そこのあなた。
もしよければ、その温かい気持ちを【ブックマーク】という形で、私の揺れる心にそっと届けてくれたら嬉しいわ。
『二人の関係の始まりを応援したい』『薫お姉さんのこの切ない変化に胸を打たれた』
と思ってくれたら、下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に、満点の星5個で染めて……どうか、私たちの未来のために、あなたの本当の想い(評価)を私に託してほしいの。
君たちの一票(星)だけが、私のカメラワークと、この不穏な物語を最後まで描き切るための心の支えになるから……。みんなからの温かいコメント(感想)も、大切に、大切に読ませてもらうわね。
さあ、次回からは難易度が跳ね上がる中層の探索が始まるわ。私たちの運命がどうなっていくのか――次の配信『中層の洗礼と涙痕』を……。
……ごめんなさい、次の配信を楽しみにしててね、なんて今の私には言えないかも……」




