シーン5:『氷の巨鬼と、熱を帯びる視線』
石造りの通路の最奥にそびえ立つ黒鉄の扉は、見る者を圧倒するほどの冷気と、禍々しい魔力のプレッシャーを放っていた。
城ヶ崎湊は、大剣の柄を握る手にぐっと力を込め、隣に立つ千歳薫を盗み見た。彼女は大きな業務用メインカメラを構え、黒鉄の扉を静かに見つめている。その美しい横顔を見て、ミナトの胸の奥に、先ほど私物バッグに大切に仕舞ってくれたハンドクリームの記憶が蘇った。
(薫さんは丸腰なんだ。僕が、絶対にこの人を守って、男としての格好いいところを見せるんだ……!)
ミナトが恋心と闘志を激しく燃え上がらせていたその瞬間、薫の耳元では、インカムから栂野の品のないダミ声が響いていた。
『よしよし、薫ちゃん。配信メインカメラの映像も、ヘアピンカメラが捉えてる現場の引きの映像も、こっちのモニターでバッチリ共有されてるよ! 待機画面の時点で同接はすでに三万を超えてる。ミナトくんのあのガチガチに背伸びした顔、ヘアピンの角度から見ると最高に傑作だねぇ。千早ちゃん、配信開始の合図を』
『了解。カウントダウン、三、二、一……配信開始、薫さん』
千早の無機質な声と同時に、薫はメインカメラのスイッチを入れた。レンズの脇で赤いランプが血のように点灯する。
「――さあ、リスナーのみんな、大変お待たせしました! カメラマンの薫よ。ついに、ミナト君が第五層のボス、黒鉄の扉の前に辿り着きました! 期待の大剣ルーキーの運命の決戦、みんなで一緒に応援してね!」
薫の華やかな声が響き渡ると同時に、重厚な黒鉄の扉が、地響きを立ててゆっくりと左右に開き始めた。
中から溢れ出してきたのは、肌を突き刺すような猛烈な吹雪。そして、部屋の中央に鎮座していたのは、身の丈四メートルを超える巨大な氷の巨鬼――『フロストオーガ』だった。
全身が青白い氷の鎧で覆われ、その巨大な手には、岩を切り出したような大棍棒が握られている。
「キシャァァァァァアアアッ!!」
オーガが咆哮を上げ、大棍棒を振り回しながら突進してきた。その風圧だけで、周囲の空気が一瞬で凍りついていく。
「薫さん、後ろに下がっていてください! ハァァァッ!」
ミナトは大剣を引き抜き、正面から巨鬼へと突っ込んだ。
しかし、五層のボスの力はこれまでの雑魚とは次元が違っていた。激しい金属音が響き渡り、オーガの棍棒を受け止めたミナトの足元が、衝撃でメリメリと石畳を砕く。
「くっ……、あ、あああッ!」
圧倒的な質量と、棍棒から放たれる凍てつく冷気の衝撃波に押され、荒削りなミナトの剣筋は完全に狂わされていた。防戦一方のまま弾き飛ばされ、ミナトは冷たい床を何度も転がる。防具が削れ、火花が散り、彼のバイタルデータが急速に削れていく。
『うわあああ! 相手が強すぎる!』
『ミナト逃げろ! 死ぬぞこれ!』
『というかカメラマンのお姉さん近すぎ! 丸腰なのに何で逃げないの!?』
メインカメラが映し出す臨場感あふれる絶望の絵に、世界中のコメント欄は悲鳴とパニックで大荒れになり、応援のスパチャの速度が跳ね上がっていく。
それを見つめる事務所のコントロールルームでは、栂野がデスクを叩いて狂喜乱舞していた。
『ギャハハハ! 同接五万突破! 投げ銭のグラフが垂直に突っ切ったよ! 薫ちゃん、ヘアピンカメラの映像で見ると君、本当にオーガの棍棒の数センチ横にいるね! 最高の臨場感だ、ミナトの絶望した顔に思いっきりズームして!』
薫は完全な丸腰でありながら、飛び散る鋭利な氷片や、オーガが振り下ろす大棍棒の風圧を、ミリ単位の身のこなしでひらりと紙一重でかわし続けていた。手元の業務用カメラは完全に彼女の肉体の一部となっており、激しい猛吹雪の中でも1ミリのブレすら発生させない。
ミナトが必死に口から血を吐きながら耐える表情、削られる大剣の火花を、薫は最も美しく、最もリスナーの同情を誘う「神アングル」で執念深く捉え続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
膝をつき、大剣を支えにどうにか立ち上がろうとするミナト。彼の視界は、流れ出る血と吹雪で白く霞んでいた。もう限界だった。心が折れかけたその時、レンズの向こうから、薫の切実な声が響いた。
「ミナト君、諦めないで……! 私は信じてるわ、あなたのその大剣が、お母さんの未来を、そして私たちの未来を切り開くって……! 私の、世界で一番格好いい騎士様……!」
もちろん、それは配信を最大最高値までバズらせるための、薫の冷酷な営業トークだった。
しかし、その言葉はミナトの魂に、再び爆発的な熱を灯した。薫さんが、僕を信じてくれている。僕を、騎士様と呼んでくれた。ここで無様に死ねるわけがない。男として、命を懸けて彼女を、そして母さんを救うんだ!
「おおおおおおお!! 薫さんを……絶対に、傷つけさせないぃぃぃッ!!」
ミナトの身体から、限界を超えた魔力が大剣へと流れ込み、刃が眩い光を放った。
オーガがトドメの一撃を振り下ろすよりも早く、ミナトは地面を爆発的な力で蹴り上げた。巨鬼の懐へと滑り込み、下段から上段へと、全身の力を乗せた渾身の一撃を振り抜く。
ガギィィィィィィンッ!!!
凍てつく空間を引き裂くような凄まじい衝撃音が響き渡り、大剣がフロストオーガの硬質な首筋を捉えた。次の瞬間、ボスの巨大な首が、ボトリと石畳の上に落ちる。
頭部を失った巨大な死骸が、地響きを立ててドスンと倒れ込んだ。切り裂かれた断面から、ドロドロとした赤黒い血溜まりが津波のように広がり、冷たい部屋の床をみるみるうちに赤く染め上げていく。鼻を突く強烈な血生臭さと、巨鬼の死骸が生々しい悪意となってその場に残った。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
ミナトは勝利の歓喜と、すべての力を使い果たしたさ脱力感で、血溜まりの中にペタンと崩れ落ちた。大剣の手を離し、両手で激しく上下する胸を押さえている。
配信のコメント欄は、未だかつてないほどの狂熱に包まれていた。
『うおおおおおお勝った!!』
『大逆転劇すぎるだろまじで鳥肌立った!』
『ミナトまじで騎士だよ! お姉さんのための奇跡の逆転劇じゃん!』
『お母さん! ミナトが勝ったよ! 治療費代わりに、十万円スパチャいくぜぇぇ!』
画面の下から上へと、目も眩むような真っ赤な高額スーパーチャットの嵐が、無限に湧き上がり続けていた。
『同接六万五千、今回の投げ銭総額は現時点で七百万円を突破! 完璧だよ薫ちゃん、最高のハッピーエンド(演出)の完成だ!』
インカムから流れる栂野のゲスな歓声を聞きながら、薫はメインカメラを構えたまま、血溜まりの中で息を切らすミナトへと近づいた。
ミナトは顔を上げ、カメラのレンズを、その奥にある薫の瞳を見つめた。血と汗にまみれた顔で、彼は人生で一番純粋な、最高の笑顔を薫へと向けた。
「薫さん……っ、僕……勝ちました……よ……!」
その純粋な少年の笑顔をメインカメラでドアップで捉え、世界中のリスナーが感動に震えたまさにその瞬間。
薫は形の良い唇を、リスナーにもミナトにも絶対に見えない暗がりの中で、冷酷に、歪に吊り上げた。
「ええ、本当に格好よかったわ、ミナト君。今日の配信はここまでよ。みんな、応援ありがとう!」
薫はあずき色の唇で最高のファンサービス用の笑みを浮かべたまま、手元のスイッチをパチンと押し下げた。
カメラの赤いランプが静かに消灯し、世界中の画面がブツ切り(カット)になる。ハッピーエンドの余韻を残したまま、少年を奈落へ落とすための舞台裏へと、静かに時間は移行していくのだった。
あとがき
「配信(シーン5)を見てくれてありがとう! カメラマンの千歳薫よ。
私の言葉一つでボロボロになりながら限界突破して、化け物の首を跳ねちゃうなんて……ミナト君ったら、本当に単純で可愛い私の『騎士様』。
画面の前のあなたも、あの命懸けの大逆転劇と、私たちの熱い視線の交わし合いに、ついつい脳を焼かれちゃったんじゃないかしら? うふふ。
『ミナト君の次なる激闘が見たい!』『二人の偽りの絆の行く末が気になる!』
そう思ってくれた画面の前の、そう、そこのあなた!
その熱い気持ちを、ぜひ【ブックマーク】登録で私に直接届けてちょうだい!
『面白かった!』『薫お姉さんのあのカメラワークにしびれた!』
と思ってくれたら、下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に染めるという名の、私への『最高額スパチャ』を投げてくれたら嬉しいわ。
もちろん、今回リスナーたちが投げてくれたみたいなフェイク抜きの、贅沢な本物の星5個でお願いね?
君たちの一票(星)が、私のカメラワークと、この物語をもっと強く、もっと輝かせるエネルギーになるの。みんなからの熱いコメント(感想)も大歓迎よ!
さあ、最高値へと向かう彼の命の灯火がどうなっていくのか――次の配信『引きつる微笑と、冷たい笑声』を楽しみにしててね♡」




