シーン4:『黒鉄の扉と、偽りのてぇてぇ』
剥き出しの不気味な岩肌が続いていたダンジョン上層は、第四層を越えたあたりから、人工的に組まれた古い石造りの通路へとその姿を変えていた。
天井の隙間からは、凍てつくような冷気を含んだ風が吹き抜けている。壁に設えられた魔力灯の薄青い光が、石畳の上に二つの長い影を落としていた。
「よし、魔力電波の安定、音声の感度、ともに良好だよ、薫ちゃん。初配信のバズをそのまま引き継いでるから、待機画面の時点で同接はすでに一万を超えてる。タイトルは予定通り【大剣ルーキー、早くも第五層へ!お姉さんカメラマンと行くドキドキ日常探索】で行くからね。いつでもどうぞ」
薫の耳の奥に仕込まれたインカムから、事務所のコントロールルームにいる栂野の、弾んだ声が聞こえてくる。
薫はそれを聞きながら、手元に抱えた業務用カメラのスイッチをパチンと押し下げた。
レンズの脇で、小さなランプが血のように赤く点灯する。配信開始の合図だ。
「――はーい、リスナーのみんな、お待たせ! カメラマンの薫よ。前回の初配信では信じられないくらいの応援とスパチャをありがとう。みんなの熱い声に応えて、今日はミナト君と一緒に、上層の難所と言われている第五層の探索に来ちゃいました!」
薫の声のトーンが、一瞬で「人当たりの良い、親しみやすいお姉さんカメラマン」のものへと切り替わる。
カメラを少し引き、自分のすぐ斜め前を歩く城ヶ崎湊の背中を、一番見栄えの良い角度で画面へと収めた。ミナトはカメラのランプが点いたことに気づくと、少し照れくさそうに振り返り、若々しい笑顔をレンズへと向けた。
『うおおおお! 待ってた!』
『ミナトくんだ! 今日も大剣が格好いいね!』
『お姉さん今日も声が最高に綺麗。結婚してくれ』
『配信始まって数日でもう五層とか、成長スピード早くない!?』
コメント欄がものすごい速度で流れ始める。インカムからは千早の無機質な声が被さる。
『配信開始から一分。同時視聴者数、二万二千人を突破。お母さん属性への同情で流入した一般リスナーの定着率、極めて良好です、薫さん』
そんな裏方の声には一切動じることなく、薫はカメラのファインダーを覗いたまま、あずき色の唇を柔らかく綻ばせた。
「ねえ、ミナト君。みんながミナト君の大剣、格好いいって言ってくれているわよ? 今日もみんなに、あなたの素敵なところ、たくさん見せてあげてね」
「あ、はい……! が、頑張ります! でも、その前に……あの、薫さん」
ミナトは通路の真ん中で突然足を止めると、顔を真っ赤にしながら、背負った大きなリュックをごそごそと漁り始めた。
やがて彼の手の中から現れたのは、小さな、だけど少し上等なリボンがかけられた、化粧品会社の小さな紙袋だった。ミナトはそれを、壊れ物でも扱うかのように両手で差し出し、薫の目を見られないまま俯いた。
「これ……薫さんに、受け取ってほしくて」
「あら? 私に? これはなあに?」
「あの、この間の初配信で、僕がもらった分配金……薫さんからもらったお金で、その、買ってきたんです。薫さん、防具も武器も身につけない丸腰の格好で、いつもあんなに重いカメラをずっと握りしめているから……。手が、荒れちゃうんじゃないかって、心配で。だから、手荒れにすごく効く、ちょっと良いハンドクリームなんです。休ませてくれたお礼と、僕を輝かせてくれた、お礼です!」
一生懸命に言葉を紡ぐミナトの耳は、今にも血が噴き出しそうなほど真っ赤に染まっていた。
薫は一瞬、レンズの裏側で冷淡な目を細めた。
(初配信の端金でわざわざこんな安物を買ってくるなんて、本当に貧乏人の発想ね。こんな化粧品、私の肌には合わないわよ)
内心でそう酷く冷酷に毒づきながらも、薫はカメラの画角を絶妙に調整し、ミナトの差し出した紙袋が画面の中央に一番美しく映えるようにセットした。そして、まるで心の底から感動したかのように、少し声を震わせてみせる。
「えっ……私のために、わざわざ選んでくれたの……? ありがとう、ミナト君。そんな風に私のことを見ていてくれたなんて、すごく……すごく嬉しいわ」
薫は空いた左手をそっと伸ばし、ミナトから紙袋を受け取ると、それを胸元に愛おしそうに抱きしめ、少し頬を染めるような仕草をしてみせた。年上の美しい女性が見せる、あまりにも完璧な「まんざらでもない雰囲気」の演出。
『ギャハハハ! いいよ薫ちゃん! その乙女なリアクション最高! リスナーの「てぇてぇ」需要のツボを完全に撃ち抜いたよ!』
『現在、一万、二万、五万の赤色スパチャが連続で発生中。一般リスナーからの「お姉さんを口説き落とせミナト!」「二人でデートしろ!」という応援コメントが爆発しています、薫さん』
インカムの向こうで栂野がゲラゲラと大笑いし、千早が淡々と収益の跳ね上がりをデータで報告する。
そんな大人の汚い悪巧みなど、ミナトが知る由もなかった。
目の前で自分を愛おしそうに見つめてくれる薫の笑顔に、ミナトの胸の奥の恋心は完全に限界突破していた。この人を、絶対に自分が守る。男として、もっともっと強くなって、この隣に並び立つにふさわしい男になるんだと、彼のピュアな心は深く激しく燃え上がった。
「キィィィイイイッ!」
「グルルルルッ!」
二人の甘酸っぱい空気を切り裂くように、石造りの通路の奥から、冷気をまとう醜悪なモンスターが数匹飛び出してきた。
第一層にいたゴブリンの亜種――『フロスト・ゴブリン』だ。肌は濁った青白色に変色し、その鋭い爪には薄氷の刃が張り付いている。数は四匹。
「ミナト君、前方から不粋な邪魔が入っちゃったみたい。怪我をしないように気をつけてね!」
「お任せください、薫さん! 薫さんには、指一本触れさせません! ハァァァッ!」
ミナトは地面を強く蹴り、身の丈を超える大剣を力強く引き抜いた。
薫への憧れと、格好いいところを見せたいという爆発的な闘志に突き動かされるまま、彼は通路の狭さを利用して大剣を横一文字に薙ぎ払う。
ブンッ、と冷たい空気を切り裂く重低音が響き、先頭のフロスト・ゴブリンの胴体が、大剣の質量によって一撃でへし折られた。
肉が引き裂かれ、内臓が飛び散る。モンスターはエフェクトで消えることなく、ドロドロとした赤黒い血溜まりを石畳の上に広げながら、生々しい死骸となって転がった。鼻を突く血生臭さと、凍りついた肉の焼けるような異臭が通路に充満する。
「すごいわ、ミナト君! 一撃の威力が前よりもずっと上がってる!」
薫は完全な丸腰のまま、飛び散るゴブリンの返り血をミリ単位の身のこなしでひらりと交わし、湊の斜め後ろへと滑り込んだ。
業務用カメラは重さを一切感じさせないほど安定しており、大剣を振り抜くミナトの背中を、戦場の英雄のように雄々しく捉え続ける。
「薫さんが後ろで見ててくれるなら、僕、何百匹でも、どんな強い化け物でも倒せます!」
「ふふ、頼りにしてるわね、私の騎士様?」
薫がわざと配信の音声マイクに拾わせるように甘い声で囁くと、ミナトの動きはさらに軽快さを増した。
大剣を上段から振り下ろし、残る三匹のフロスト・ゴブリンを次々と地面へと叩き伏せていく。
通路はゴブリンたちの引き裂かれた死骸と、急速に凍りついていく血溜まりで見るも無惨に汚されていくが、その凄惨な光景とは裏腹に、二人の掛け合いはどこまでも楽しげで、明るい日常のワンシーンのようだった。
『おいおいおい! ご馳走様です!』
『ミナトまじで騎士じゃん! カッコよすぎかよ!』
『お姉さんの「私の騎士様」発言で俺の心臓が止まった』
『これはガチ恋不可避。カメラマンのお姉さん、絶対ミナトのこと意識してるだろこれ!』
『てぇてぇなぁもう! ポーション代代わりに、俺からお祝いの十万円スパチャだ!』
コメント欄は二人の「疑似恋愛」の熱気に完全に狂い、画面の下から上へと、高額な赤いスーパーチャットが絶え間なく湧き上がり続けていた。
『ギャハハ! チョロいチョロい! バカなリスナーどもが二人のいちゃつきに脳を焼かれて財布を空にしてるよ! 同接は今、驚異の四万五千! 薫ちゃん、このままボスの扉まで引っ張って!』
『一般リスナーからの投げ銭の合計額、現時点で四百二十万円を突破。当初の予測値を大幅に更新しています、薫さん』
(ふふ、本当に安い命だわ。ちょっと色目を使ってあげるだけで、こんなに金を運んでくるんだもの)
薫はカメラの裏側、ミナトにも、リスナーにも絶対に見えない暗がりの中で、その美しい唇を冷酷に、醜悪に吊り上げた。
残ったゴブリンをすべて片付け、ミナトが荒い息を吐きながら大剣を背中に収める。
二人は血溜まりの残る通路をさらに奥へと進み、やがてその最奥へと辿り着いた。
二人の目の前に立ちはだかったのは、周囲の壁を圧倒するような、巨大な黒鉄の扉だった。
扉の表面には禍々しい魔力の紋章が刻まれており、その奥から、これまでの雑魚とは次元の違う、圧倒的なボスモンスターのプレッシャーが肌を刺すように伝わってくる。
「……ここが、第五層のボスの部屋、ですね」
ミナトはゴクリと唾を飲み込み、巨大な黒鉄の扉を見上げた。これまでの明るい日常の空気から一転、戦場の張り詰めた緊迫感がその場を支配する。
「ええ、そうよ、ミナト君。この扉の向こうに、この層の主が待っているわ」
薫はカメラをミナトの横顔へと限界まで近づけ、彼の緊張と、それを乗り越えようとする固い決意の表情を、最高のアングルで切り取った。そして、カメラの向こうのリスナー、そして目の前のミナトに向けて、これ以上ないほど優しく、どこか切なげな声で囁く。
「今日の配信は、ここまで。みんな、ミナト君がこの大きな扉に挑む姿、次の配信で絶対に、一番いい特等席で見届けてあげてね? ……ミナト君。私はいつでも、あなたの隣でカメラを回しているわ。だから……絶対に、無事で戻ってきてね」
薫のその、本気で自分の身を案じてくれているかのような情熱的な視線とセリフに、ミナトの心臓はボスの恐怖とは違う意味で、激しくドクンドクンと高鳴った。
「はい……! 僕、薫さんのために、絶対に勝って戻ってきます!」
ミナトが恋心と闘志をこれ以上ないほど最高潮に昂らせ、黒鉄の扉を見据えたその瞬間。
薫は冷徹な手つきで手元のスイッチを切り、カメラの赤いランプが静かに消灯した。
シーン4・あとがき
「配信(シーン4)を見てくれてありがとう! カメラマンの千歳薫よ。
ミナト君ったら、私のためにハンドクリームなんて買ってきちゃって、本当に可愛い男の子。画面の前のあなたも、私たちの『てぇてぇ』な掛け合いに、ついつい脳を焼かれちゃったんじゃないかしら? うふふ。
『二人の距離が気になる!』『ミナト君、ボス戦も頑張れ!』
そう思ってくれた画面の前の、そう、そこのあなた!
その熱い気持ちを、ぜひ【ブックマーク】登録で私に直接届けてちょうだい!
『面白かった!』『薫お姉さんに私も貢ぎたい!』
と思ってくれたら、下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に染めるという名の、私への『最高額スパチャ』を投げてくれたら嬉しいわ。
ミナト君みたいに安物の貢ぎ物じゃ困るから――もちろん、満点の星5個、贅沢な本物でお願いね?
あなた達の一票(星)が、私のカメラワークと、この物語をもっと強く、もっと輝かせるエネルギーになるの。みんなからの熱いコメント(感想)も大歓迎よ!
さあ、黒鉄の扉の向こうで何が待っているのか――次の配信 『氷の巨鬼と、熱を帯びる視線』を楽しみにしててね♡




