シーン3:『初配信、大剣を振るう少年』
世界を隔てるダンジョン第一層のゲート前は、ひんやりとした濁った空気に満ちていた。
人工的に整備された入場ロビーを抜けると、そこから先は荒涼とした岩肌が続く異界の地だ。天井のない闇の奥から、時折モンスターの不気味な鳴き声が風に乗って響いてくる。
「っ……、ふぅ、ふぅ……」
城ヶ崎湊は、身の丈を超える大剣の柄を両手で強く握りしめていた。
ゲートをくぐれば、そこはもう本物の戦場だ。
いくらこれまで素人同然のゴブリン狩りを経験してきたとはいえ、これから自分の命が、あるいは戦う姿が世界中に生配信されるのだと思うと、心臓が肋骨を突き破りそうなほど激しく鳴り響く。緊張のあまり、大剣を握る手のひらは嫌な汗でじっとりと濡れ、指先が小さく震えていた。
「どうしたの、ミナト君。そんなに肩に力が入っていたら、せっかくの格好いい顔が台無しよ?」
すぐ隣から、鼓膜を甘く揺らす声がした。
振り返ると、千歳薫がすぐ間近に立っていた。まだカメラは回っていない。彼女は巨大な業務用カメラを軽々と片手で抱え、もう片方の手で、湊の強張った肩をそっと優しく揉みほぐした。
ふわりと鼻腔をくすぐる、大人の女性の上品な香水の匂い。そのあまりの美しさと距離の近さに、湊は喉がカラカラに乾くのを感じた。緊張とは全く別の、甘く熱い動悸が胸の奥から突き上げてくる。
「あ、すみません、薫さん……。僕、なんだか急に、足がすくみそうになっちゃって。それに、薫さんが隣にいると思うと、なんだかその、無様なところを見せられないなって……」
「あら、嬉しい。私のために頑張ってくれるの?」
薫はいたずらっぽく微笑むと、湊の顔にさらに一歩、距離を詰めた。
彼女の艶やかな黒髪が湊の鎖骨のあたりに触れ、切れ上がった美しい瞳が、じっと湊の視線を絡め取る。
「いい? ミナト君。私を信じて。あなたの後ろには、いつも私がいるわ。あなたがどれだけ泥にまみれたも、私は世界で一番あなたを格好よく撮ってみせる。だから君は、迷わずその大きな剣を振るいなさい。私に、君の最高の姿を見せて?」
耳元で囁かれたその言葉は、湊にとって極上の劇薬だった。
男として、この綺麗な人に認められたい。認められて、いつかこの人を守れるような立派な冒険者になりたい。恐怖は一瞬で消え去り、代わりに全身の血が沸騰するような熱いモチベーションが湊の身体を支配した。耳を真っ赤に染めながら、湊は力強く頷いた。
「はい……! 僕、やります。薫さんを、絶対にガッカリさせません!」
「ええ、その意気よ。……じゃあ、始めるわね」
薫は満足げに微笑むと、湊から一歩下がり、手元のカメラをしっかりと両手で構えた。
彼女の耳のインカムから、事務所でモニターを見つめる栂野の声が飛ぶ。
『カメラ、音声、魔力電波の同期オッケー。視聴者の初期流入も上々だよ。タイトルは【病気の母を救うため!期待の大剣ルーキー、運命の初配信!】で行くからね。薫ちゃん、スイッチ入れて』
薫は湊にウインクを一つ送り、カメラの横のスイッチをパチンと押し下げた。
カチリ、という小さな音と共に、レンズの脇のランプが血のように赤く点灯する。配信開始だ。
「――さあ、リスナーのみんな、お待たせ! クローバー撮影事務所が贈る、期待の大型新人! お母さんのために命を懸ける、純情大剣士のミナト君の初配信よ!」
薫の声のトーンが、一瞬で「人当たりの良い、頼れる美人お姉さんカメラマン」のものへと切り替わる。
レンズの向こうで、湊は大剣を斜めに構え、少し緊張しながらもカメラに向かって真っ直ぐな、若々しい笑顔を見せた。
『うおおおお!新人きた!』
『大剣使いとかロマンあるな!』
『というかカメラマンのお姉さん、声が綺麗すぎん?』
『この声なら絶対美人だわ間違いない』
『お母さんのためってマジ?泣けるんだが』
配信画面のコメント欄が、ものすごい速度で流れ始める。インカムを通じて千早が『同時視聴者数、一万人を突破。さらに上昇中、薫ちゃん』と冷静に告げた。
「キィィィイイイッ!」
その時、前方の岩陰から、醜悪な緑色の肌を持ったゴブリンの群れが飛び出してきた。その数、五匹。手には錆びた短剣や木棍を握っている。
「ミナト君、前方からお客様よ! 派手に行っちゃって!」
「お任せください、薫さん! ハァァァッ!」
湊は地面を蹴った。
薫への憧れと熱い興奮に突き動かされるまま、身の丈を超える大剣を力任せに振り抜く。
ブンッ、と空気を切り裂く重々しい音が響き、先頭のゴブリンが衝撃波だけで吹き飛んだ。だが、湊の剣筋は粗く、大振りだ。
しかし、千歳薫のカメラワークは、それを『天才の戦い』へと昇華させた。
薫は完全な丸腰でありながら、ゴブリンの爪が鼻先をかすめるほどの至近距離を並走し、モンスターの攻撃を紙一重でかわしていく。
それでいて手元は1ミリもブレさせない。大剣が風を切る瞬間は地面すれすれのローアングルから捉え、武器の圧倒的な質量感を演出する。
湊がゴブリンを叩き斬る瞬間には、わざと一瞬だけスローモーションのような滑らかなカメラ移動を加え、まるで映画のワンシーンのようなカタルシスを視聴者に与えた。
『すげええ! 一撃の重さが伝わってくる!』
『この新人、身こなした半端ないな!』
『いや、カメラワークが神すぎるだろこれ!!』
コメント欄が狂熱に包まれる。栂野がインカムで『いいよいいよ! 同接二万五千突破! 投げ銭の導線確保、千早ちゃん、例のアカウントのコメントをピン留めしろ!』と叫んだ 。
「これで、最後だぁぁぁッ!」
湊は大剣を上段から振り下ろし、最後のゴブリンを真っ二つに叩き割った。
切り裂かれた肉体から赤黒い血が飛び散り、岩肌を汚していく。ゴブリンたちは消えることなく、ドロドロとした血溜まりの中に無惨な死骸となって横たわった。鼻を突く血生臭さと、引き裂かれた内臓の生々しさが、ダンジョンのリアルな悪意を物語っている。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
湊は荒い息を吐きながら、大剣の先を地面につけて、折れそうな身体をどうにか支えた。全身の筋肉が悲鳴を上げ、指一本動かすのも億劫なほどの疲労感が一気に押し寄せてくる。
彼はすぐに振り返り、カメラを見た。どうだ、僕、格好よかっただろうか。そんな承認欲求に満ちた笑顔。薫はカメラを向けたまま、空いた左手でミナトに小さく拍手を送り、最高の笑みを返してみせた。
「素晴らしいわ、ミナト君! 初戦で見事な完全勝利ね!」
画面が祝福のコメントで埋め尽くされる中、コメント欄の最上部に、ひときわ小さな、だけど鮮やかな「緑色の枠」が固定された。
【お母さん:500レイル(※下級ポーション1個分)】
【湊、本当に凄かったね。でも、無理だけはしないで。ポーション1個分しか応援できなくてごめんね。怪我だけは一番気をつけるのよ】
それを見たリスナーたちが、一斉にコメント欄でざわつき始めた。
『え……500レイルって、本当にポーション代ギリギリじゃん……』
『仕送りするために頑張ってる息子に、なけなしの金を絞り出してスパチャしたのかよ……』
『お母さん、病気で本当に生活切り詰めてるんだな……うわ、泣けてきた』
'『ミナト! お母さんのポーション代は俺たちが代わりに稼がせてやるよ!』
『よしお前ら、お母さんの代わりに俺たちがスパチャ投げるぞ!!』
その瞬間、画面が爆発した。
お母さんの切ない少額スパチャに心を動かされた一般リスナーたちが、次々と一万レイル、五万レイルといった高額な赤いスーパーチャットを怒涛の勢いで投げ込み始めたのだ。
「あ……母さん……! スパチャ、届いたよ……!」
湊の瞳に、じわりと涙が浮かんだ。彼はカメラのレンズに向かって、大きく手を振り返した。
まさかこれが、実際には病床で放送を見る環境にすらない母親のアカウントを千早が偽装して投げた、悪質な『フェイクスパチャ』だとは夢にも思わずに。
「母さん、ありがとう! 僕、薫さんと一緒なら、もっともっと強くなれるよ! 絶対にたくさん稼いで、すぐに仕送りするからね!」
カメラに向かって純粋な決意を叫ぶ湊。
彼女の耳元では、栂野の汚い笑い声が鳴り響いていた。
『ギャハハハ! 千早ちゃんの仕込みスパチャ大成功! リスナーが勝手に勘違いして高額スパチャの雨が降ってるよ! 薫ちゃん、初配信は大・成・功だ!』
薫はカメラの裏側、リスナーには絶対に見えない暗がりで、その形の良い唇を冷酷に、歪に吊り上げたのだった。
「今日の配信はここまでよ、みんな、次の配信も応援よろしくね!」
薫は涙ぐむような優しい声を絞り出し、手元のスイッチを切った。カメラの赤いランプが消灯する。配信終了だ。
薫は持っていた重い業務用カメラを、近くの平らな岩場へと丁寧に置いた。レンズに傷がつかないよう慎重に、だがその手つきは、先ほどまでの熱い余韻を一切感じさせないほど冷え切っていた。
「はぁ、はぁ……薫さん、僕、やりました……」
「ええ、よく頑張ったわね、ミナト君。本当に素晴らしい戦いだったわ」
薫は床に座り込んで息を切らせている湊に、いつもの営業用の笑みを顔に張り付け、彼のすぐ隣に腰を下ろした。
「ミナト君、すっかり疲れちゃったわね。戦闘後の魔石回収は、私が手伝ってあげる。あなたはそこで少し休んでいなさい」
「えっ!? そんな、薫さんにそんな汚い仕事をさせるわけには……!」
「いいのよ、私たちはパートナーなんだから。これくらいさせて?」
薫は流れるような手つきでナイフを抜くと、ゴブリンの死骸へ近づき、赤黒い血溜まりの中に躊躇なく手を突っ込んだ。そして手際よく、肉の奥から小さな魔晶石をほじくり返していく。
戦いはもう終わっている。カメラも止まっている。だから、自分が作業を手伝っても『戦闘をしない』という契約違反にはならない。
(どうせ後で、すべて私たちの物になる大切な『資産』なんだもの。取りこぼしなんて一粒たりとも許さないわよ)
薫は内心でそう冷酷に毒づきながら、回収した魔晶石の血を衣服で雑に拭い、小袋へと収めていく。
その血に汚れた横顔を見つめながら、湊は「薫さん、なんて優しくて、素敵な人んだ……」と、胸の奥の恋心をさらに熱く燃え上がらせ、彼女を盲信していくのだった。
「配信を見てくれてありがとう! カメラマンの千歳薫よ。
『続きを読みたい!』と思ってくれた画面の前の、そう、そこのあなた!
その熱い気持ち、ぜひ【ブックマーク】で私に直接届けてちょうだい!
『面白かった!』『この新人、次からどうなっちゃうの!?』
そう思ってくれたら、下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に染めるという名の、私への『最高額スパチャ』を投げてくれたら嬉しいわ。
あ、でも、今回のお話みたいに千早ちゃんが用意した『フェイクのスパチャ』じゃ困るから――もちろん、満点の星5個、フェイク抜きの本物でお願いね? うふふ。
君たちの一票(星)が、私のカメラワークと、この物語をもっと強く、もっと輝かせるエネルギーになるの。コメント(感想)も大歓迎よ!
さあ、ミナト君のこれからに期待して――次の配信『黒鉄の扉と、偽りのてぇてぇ』を楽しみにしててね♡」




