シーン2『カメラの裏側へようこそ、親愛なるリスナーさん』
雑居ビルの急な階段を上りきった最上階。表向きは『クローバー撮影事務所』という、うだつの上がらない個人事務所の看板を掲げたその場所は、深夜になると全く別の顔を見せる。
「お疲れ様、薫ちゃん。初日の『仕込み』としては百点満点、いや、それ以上だね」
ディレクターの栂野が、上等な缶ビールを掲げながら、下卑た笑みを浮かべて言った。
昼間の薄暗かった事務所は、今や壁一面に設置された最新型の超高精細モニターの光で白々と照らされている。
モニターには、先ほどサインを終えて初層のゲートへと向かった城ヶ崎湊の横顔や、バイタルデータ、そして彼が開設したばかりの配信アカウントのダッシュボードが映し出されていた。
「当然よ。誰がカメラを構えていると思っているの?」
薫は手元に置いたメインカメラのレンズを、専用のクロスで丁寧に、愛おしそうに拭きながら答えた。
彼女はソファに深く腰掛け、長い足を組んでいる。
その美しい瞳には、昼間、湊に向けていたような聖母の如き慈愛の光は、欠片も残っていない。ただ、極上のワインを吟味する時のような、冷徹で貪欲なビジネスマンの目がそこにあった。
「驚来ました。あの少年、サインする時、書類の表面しか見ていませんでした。薫さんの胸元と、その綺麗な顔ばかりに視線がいっていて、文字なんて一文字も頭に入っていないのがデータでも丸分かりでしたよ?」
部屋の隅で、ノートパソコンのキーボードを無機質な速度で叩いていたオペレーターの千早が、淡々とした声で会話に加わる。彼女が画面をクリックすると、湊が先ほどサインしたばかりの契約書がスキャンされ、真っ赤な『同期完了』の文字が浮かび上がった。
「若い男の子なんてあんなものよ」
薫はフッと、夜の闇に溶けるような艶やかな笑みを漏らした。
「『お母さんのために頑張る』なんて健気なことを言うから、ちょっと可哀想になっちゃった。だから、最大級のファンサービスをしてあげたの。手を握って、目をじっと見つめて、『約束よ、ミナト君』ってね。あの子、あの瞬間に心拍数が跳ね上がって、私のために死んでもいいって本気で思い込んだ顔をしてたわ」
「最高だねぇ!」
栂野がビールをあおり、手を叩いて笑う。
「お涙頂戴の『母親孝行』だけでもバズるのに、そこに『年上の美人カメラマンへの淡い恋心』までトッピングされちゃったわけだ。リスナーが一番喜ぶドキュメンタリー枠の完成だよ。千早ちゃん、現在の登録者数と予測収益はどうなってる?」
「アカウント開設からわずか一時間ですが、薫さんの告知効果もあり、現在のチャンネル登録者数は三万人を突破。初層ゲートに足を踏み入れた瞬間の同時視聴者数は、最低でも一万五千人からスタートすると予測されます」
千早の細い指が、モニターのグラフを指し示す。
「さらに、彼の『実家が貧しく、母親が重病』という事前情報をギルドの裏ネットワークから補強し、配信の概要欄にそれとなく匂わせる一文を挿入しました。これにより、同情による高額投げ銭の発生確率が、通常の新人配信者の平均値より四七〇%上昇しています」
「素晴らしい。さすがだね、千早ちゃん」
栂野は満足げに頷き、薫を見た。
「さて、薫ちゃん。これから彼をどう『調理』していく? どのあたりまで生かして、どのタイミングで『最高のアングル』を狙う?」
薫は、磨き終えたカメラのファインダーを覗き込み、事務所の壁に貼られたダンジョンの階層図に焦点を合わせた。
「そうね……ミナト君は大剣使いだから、初めのうちは派手で見栄えのいい絵が簡単に撮れるわ。私が最高の『神アングル』で彼を英雄みたいに映してあげる。リスナーたちは彼に熱狂し、投げ銭をこれでもかってくらい投げ込むでしょうね。彼の実家のアカウントからも、なけなしの貯金を叩いた赤いスパチャが飛んでくるはずよ。あの子、お母さんから応援されたら、嬉しくてさらに命を懸けちゃうでしょうね」
そこまで言って、薫はカメラから顔を離し、形の良い唇をぞっとするほど冷たく歪めた。
「でも、あの子の大剣の技術は荒削り。調子に乗って中層、深層へと進めば、どこかで必ず手痛い一撃を喰らうわ。私たちはそれを助けない。だって、契約書にそう書いてあるんだもの。それに……リスナーが本当に狂喜乱舞して、配信が歴史的な爆発を起こす瞬間がいつだか、あなたたちも知っているでしょう?」
事務所の中に、一瞬の静寂が訪れる。
栂野も、千早も、そして薫も、その『瞬間』が何を意味するかを熟知していた。
「――配信者が、モンスターに惨殺される瞬間だ」
栂野が、楽しげに呟く。
「ええ」
薫は頷き、髪に飾られたヘアピン型の隠しカメラを指先で弄んだ。
「人間、本当の絶望に直面した時の顔が、一番美しくて、一番数字が稼げるのよ。ミナト君が血を吐いて倒れ、私に向かって助けを求めるように手を伸ばす……その最期の瞬間を、私は一ミリのブレもなく、最高にドラマチックな神アングルで世界中に生中配信してあげるわ」
「そして、息を引き取った瞬間に配信を切る。第十条の『ロスト時特約』の執行だね」
千早が淡々と、未来の業務予定を読み上げるように言った。
「配信切断と同時に、彼の個人口座の残高、および身に付けている高級な装備品、ダンジョンで獲得した魔晶石の所有権は、すべて我が社に強制移転されます。母親へのロストの通知義務もありませんので、実家への事後対応コストはゼロです」
「完璧なビジネスじゃない」
薫はソファから立ち上がり、窓の外で怪しく光るダンジョン『大穴』を見つめた。
「あの子が死んだ後のアーカイブ動画の収益も、一銭もお母さんには渡さない。全部、私たちの次の機材費と、今夜のワイン代に変えさせてもらうわ……ふふっ」
3人は見つめ合って悪い顔を笑い、笑い声が事務所にこだまする。
「配信を見てくれてありがとう! カメラマンの千歳薫よ。
ミナト君のこれからが、そして彼がどんな『最高のアングル』で最期を迎えるのかが気になって仕方がなくなっちゃったあなた。
その熱い気持ちは、ぜひ【ブックマーク】登録で私に見せてちょうだい。
それから、下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に、満点の星の数で染めてくれると嬉しいわ。
君たちがくれる星の数(評価)の分だけ、私たちはもっと残酷に、もっと美しく、彼の命を輝かせて、そして……すべてを剥ぎ取ってあげられるんだから。
みんなからの熱いコメント(感想)も待っているわね。
それじゃあ、また次回『初配信、大剣を振るう少年』の配信でお会いしましょう。……うふふ、私たちのビジネスに、応援をよろしくね」




