シーン47『跳ね上がる盾、繋がる声』
――カチッ。
澪の靴底から伝わった、あまりにも小さな感触。
「……え?」
第二層へ足を踏み入れたばかりの澪が、その場で立ち止まった。
薄暗い石造りの通路には誰の姿もなく、胸元に取り付けられた小型カメラだけが、澪の視線とほぼ同じ高さから、その先に続く闇を映し続けている。
『今なんか音しなかった?』
『カチって聞こえた』
『澪ちゃん止まって』
『それ罠じゃね?』
コメント欄が一斉にざわめき始める。
「……罠?」
澪が足元へ視線を落とした、その瞬間だった。
――ガコンッ!!
左右の石壁の奥から、重たい何かが作動する音が響いた。
「えっ――」
次の瞬間、無数の風切り音が一直線に澪へ迫ってきた。
「きゃあっ!!」
考えるより早く、澪の体が動いた。薫から何度も何度も叩き込まれた動き。何が起きたのか分からない時ほど、まず盾を自分の前へ。
ガシャッ!!
大きな盾を胸元へ引き上げる。
ガガガガガンッ!!!
猛烈な勢いで飛んできた矢が、次々と盾の表面へ突き刺さるような衝撃を叩き込んだ。
「うぅぅっ!!」
一発ごとの威力は致命的なほどではないけど、数が多すぎて両腕で必死に押さえていた盾が、最後の一本を受けた瞬間、大きく上へ跳ね上げられた。
「きゃっ……!」
澪の顔が一瞬、完全に露出する。
『盾!!』
『早く戻せ!!』
『次くるぞ!!』
澪は弾かれた両腕を必死に引き戻し、すぐさま盾を胸元へ構え直す。
「相手を見る……足元を見る……盾を、体から離さない……!」
自分自身へ言い聞かせるように呟いた、その直後。
――ヒュンッ!!
「っ……また来る!」
ガガガガンッ!!!
「うぅぅぅっ!!」
再び無数の矢が盾へ突き刺さり、その度に澪の小さな体が後ろへ押し込まれていく。
一歩。また一歩。最後の矢を受けた瞬間、盾が再び大きく跳ね上げられた。
「っ……!」
澪は歯を食いしばりながら、跳ね上がった盾をすぐに引き戻す。胸元のカメラには、盾が上がるたび、その内側に貼られた一枚の小さなプリクラが何度も大きく映り込んでいた。頬を寄せ合って笑う、薫と澪。
『プリクラ……』
『お姉ちゃんとの写真映るたび怖いんだけど』
『頼むから耐えてくれ』
『【赤いスパチャ:50,000円】絶対盾離すな!!』
『【赤いスパチャ:100,000円】薫お姉ちゃん早く来てくれ!!』
リスナーの願いとは裏腹に、また壁の奥から機械音が響く。
「まだ……あるの……?」
澪の腕は、すでにじんじんと痺れているけど逃げれば、その瞬間に背中を射抜かれるかもしれない。だから構えるしかない。
「……大丈夫」
震える息を吐きながら、もう一度だけ盾を握り締める。
「薫お姉ちゃんだったら……絶対、下げない……!」
◇
「澪ちゃん……!」
第一層を駆け抜けていた薫は、スマートフォンに映る映像を見ながら、ほとんど悲鳴のようにその名前を口にした。
胸元カメラから送られてくる映像は、矢が盾へぶつかる度に激しく揺れ、そのたびに画面いっぱいへ、自分と澪が一緒に笑っているプリクラが映し出されている。
そして映像が揺れる度、同接数も投げ銭も異常な速度で跳ね上がっていく。
『同接、六万八千。現在も上昇しています』
千早の淡々とした報告がインカムへ流れる。
『ギャハハハハ!! 最高じゃねえか! 見ろよ薫ちゃん! お前とのプリクラ抱えて必死に耐えてるぞ! こりゃまだ伸びるぜ!』
「配信を切って」
薫の声から、完全に温度が消えた。
『は?』
「今すぐ配信を切って!!」
『切るわけねえだろ! 六万八千だぞ!? しかもまだ伸びてんだ!』
「澪ちゃんが死ぬかもしれないのよ!!」
『だから数字になるんだろうが!』
薫の足が、一瞬だけ止まり、耳元から聞こえてきた栂野の笑い声が、さらに続く。
『つーかよぉ、薫ちゃん。お前が言ったんじゃねえか』
「…………」
『死なせなくても稼げるって』
薫の瞳が大きく見開かれた。
『ギャハハ! だったら今のこれ、最高じゃねえか! ちゃんと生きてる! ちゃんと稼いでる! お前の理想通りだろ!?』
「…………栂野」
握っていたスマートフォンが、軋むほど強く握り締める。自分が見つけたはずだった誰も殺さなくても、ちゃんと数字は伸びるし、誰も死ななくても配信は面白くできる。
それなら澪だけは守れると思ったその言葉が今、澪を危険な場所へ置き続けるための理由として、自分へ突き返されている。
「……千早ちゃん」
『はい』
「私の音声を澪ちゃんのカメラへ繋いで」
『…………』
「今すぐ!!」
ほんの僅かな沈黙のあと、栂野が鼻で笑った。
『いいじゃねえか、千早ちゃん。繋いでやれよ』
「…………」
『感動の姉妹通話だ。絶対数字上がるぞ』
『了解しました』
千早の指がキーボードを叩く音が聞こえた。
◇
――ヒュンッ!!
「また……!」
澪は盾を構える。
ガガガガガンッ!!
「うぅぅぅぅっ!!」
猛烈な衝撃に耐え切れず、また一歩後ろへ押され、最後の一本が盾を強く弾き、澪の両腕が上へ持っていかれた。
「っ……!」
すぐに盾を戻すが腕が痛い、肩も震えている。
それでも、次が来る前に構えなければならない。
「はぁ……はぁ……」
胸元の小型カメラに備えられていた小さなスピーカーから、突然、ノイズ混じりの声が響いた。
『――澪ちゃん!!』
「…………!」
澪は、瞳を大きく見開らく。
「薫……お姉ちゃん!?」
『澪ちゃん、聞こえる!?』
「う、うん! 聞こえる!」
泣きそうだった顔が一瞬で明るくなる。
「お姉ちゃん、どこ!? 私、今二階層にいるの! もうすぐ――」
――ガコンッ。
「っ!」
『前見て!!』
「はいっ!!」
澪は反射的に盾を構えた。
ヒュヒュヒュヒュッ!!
ガガガガガンッ!!
「うぅぅっ!!」
矢を受けながら、澪は必死に叫ぶ。
「薫お姉ちゃん! 待ってて! 私、今そっちに――」
『私は二階層にいない!!』
「…………え?」
澪の表情が止まるがその瞬間にも、矢は盾を叩き続けている。
『澪ちゃん! 集中して! 盾を下げないで!!』
「う、うん!」
ガンッ!!
盾が跳ねるがすぐ戻す。
『お姉ちゃんは第二層へなんて入ってない! 今日はずっと第一層を調べてたの!』
「でも……」
ガガガンッ!!
「栂野さんが……薫お姉ちゃん、二階層まで下見に行ったって……!」
『嘘よ!!』
「え…………」
『全部、栂野の嘘! だからもう先へ進まないで! お姉ちゃんが今そっちに向かってるから!!』
「……嘘?」
澪の声から、ほんの少しだけ力が抜けた。
『そうよ! 澪ちゃんは何も悪くない! だから今はその場で耐えて! 絶対にお姉ちゃんが迎えに行くから!!』
「…………」
自分は、お姉ちゃんを助けに来たつもりでダンジョンに潜った。一人でも出来るところを見せたかったし、今度こそ自分がお姉ちゃんを守れると思った。
「……私」
再び壁の奥から駆動音が聞こえ、澪は涙が滲みそうになる瞳を強く閉じ、すぐに開らく。
「私……また、お姉ちゃんに迷惑かけちゃった……?」
『違う!!』
薫の声が、間髪入れず飛んできた。
『そんなこと今考えなくていい! お願いだから、生きることだけ考えて!!』
「…………うん」
『澪ちゃん、もう一回来るわ。盾をしっかり持って』
「うん!」
『足を止めて。もう後ろへ下がらないで!』
「分かった!」
澪は両足を踏ん張り、盾を強く握り締める。
しかし、何度も矢を受け続けた両腕には、ほとんど力が残っていなかった。
『来る!!』
――ヒュンッ!!
「っ……!!」
最後の一斉射。
ガガガガガガガガンッ!!!
「うああああああっ!!」
これまでで最も強い衝撃が盾へ集中し、澪の小さな体が一気に後ろへ押される。
「ダメ……っ!」
『踏ん張って!!』
「うぅぅぅぅっ!!」
盾が大きく跳ね上がる。それでも澪は歯を食いしばり、最後の一本まで受け切った。
カラン。
最後の矢が石床へ落ちる。
「…………」
壁の奥から、もう何も聞こえない。静寂が流れる。
「……終わった?」
『澪ちゃん、そのまま! 動かないで!』
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、澪は跳ね上がった盾をゆっくりと下ろす。腕は震え、足にもほとんど力が残っていない。
「……よかったぁ……」
張り詰めていた緊張が一瞬だけ緩み、澪は体勢を整えるため、無意識に一歩だけ後ろへ足を引いた。
――カチッ。
「…………え?」
その音を聞いたその時薫の顔から、血の気が消えた。
『澪ちゃん!! そこから離れて!!!』
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
澪の背後にあった巨大な石壁が、ゆっくりと横へ滑り始める。
「な、なに……?」
胸元カメラが振り返る。開いていく壁の向こうには、光の届かない大きな空間が広がっていた。
「グルルルルル……」
一つ、また一つ暗闇の中に、いくつもの赤い瞳が浮かび上がる。
『澪ちゃん後ろ!!』
『何かいる!!』
『一体じゃないぞ!!』
『逃げろ逃げろ逃げろ!!』
『薫さん早く!!』
澪は震える腕で、もう一度盾を構えた。
その内側に貼られたプリクラの中では、薫と澪が何も知らずに笑っている。
『澪ちゃん』
「…………うん」
通信越しの薫の声も、震えていた。
『お姉ちゃんの声だけ聞いて』
暗闇から、鋭い爪が石床を擦る音が響く。
「……うん」
澪は盾を握り締めた。
『絶対に、死なせないから』
次の瞬間。
暗闇の中に浮かんでいた赤い瞳が、一斉に澪へ向かって走り出した。
【あとがき】
「……澪ちゃんの声、やっと届いた。
もっと早く繋げてくれてたらって思うけど、今はそんなことどうでもいい。私の声が聞こえるなら、それでいいの。
怖くてもいいし、泣いてもいいから、私の声だけ聞いて。盾を下げないで、勝手に動かないで。私が絶対そっちまで行くから。
……栂野に何を言われたって、もうどうでもいい。
『死なせなくても稼げる』って言ったわよ。確かに私が言った。でも、こんなのが欲しかったんじゃない。
澪ちゃんを危険な場所に置いたまま稼ぎたかったわけじゃないの。
だからお願い……もう少しだけ耐えて。
お姉ちゃんが絶対に行くから。
絶対に、死なせないから……」




