シーン15『消えゆく残響と、最後の約束』
深夜二時。街のネオンが白々とにじみ、怪しく発光するダンジョンの大穴が夜空を汚す頃。
クローバー撮影事務所の古びた鉄の扉が、静かに開いた。
入ってきたのは、現場カメラマンの千歳薫だった。
彼女の両腕には、つい先ほど第十層の凄惨な血溜まりの中で息絶えた城ヶ崎湊の遺品――あの子が病気のお母さんのために必死に振り回し続けた、あの重々しい形見の大剣と、中にいくつかの魔晶石が詰まった血汚れの小袋が、力なく抱えられていた。
薫は顔を下に向き、肩を激しく震わせながら、トボトボとした足取りで一歩ずつ、静まり返ったオフィスの中へと進んでいく。その目元には、未だにぬぐいきれない本物の涙の痕が白く残っていた。
「……おい、薫」
部屋の隅、ウイスキーのボトルを並べたデスクの前から、統括ディレクターの栂野が、引き締まった冷淡な視線を彼女へと向けた。
その隣では、オペレーターの千早が、感情の消えた指先でキーボードに手を置いたまま、動かずに薫を見つめている。モニターには、バッテリー切れによってプツンと生配信が暗転した、あの第十層の静止画が映し出されていた。
「湊はもう死んだんだ。あいつはもう死んだんだよ。……おい、いつまで落ち込んでるんだ。お前が昨日、あのガキのために俺に食ってかかってきた時は焦ったが……まぁ、終わったことはもういい。ただ、次の仕事はしっかりやれよ。これ以上、俺をがっかりさせるなよ」
栂野の、呆れたような、だけどこれ以上の私情を許さない冷酷な釘刺し。
しかし、薫は二人の冷たい声を完全に無視した。顔を下へと向けたまま、何も言わずに、ただ肩を小刻みに震わせながら、事務所の奥にある大きな会議テーブルの真ん前へと歩み進めていく。
薫はゆっくりと、顔を上げた。
その美しい手がおもむろに、まっすぐ前へと伸ばされる。栂野たちの方ではない。彼女の指先が向けられたのは――【今まさに、この画面を覗き込み、この小説をスクロールして読んでいる読者の視線】の真ん前だった。
「ひぐっ……、う、うう……。ミナト君……死んじゃったね……っ。あんなに、あんなに必死に、私のために……っ、う……っ」
涙を堪えて、今にも消え入りそうな、悲痛極まりない咽び泣き。
――しかし、そのか細い泣き声は、次の瞬間、奇妙な呼気へと変わった。
「うふふ……っ、あは、あはははっ! ははは、アハハハハハハハ!!!!」
薫の細い指先が、【力いっぱい、読者が見つめているこの画面】をガシッと鷲掴みにした。
そのまま、画面の向こう側のあなたを、底意地の悪い笑顔でのぞき込む。
メキメキ……バキバキバキバキッ!!!!
凄まじい力で画面のガラスが粉々に引き裂かれる破壊音が響く。彼女が掴んだ手の力によって、読者が読んでいる文章の至るところに蜘蛛の巣状のヒビが入り――次の瞬間、あなたが読んでいるこの小説の【文字列】そのものが、バラバラと音を立てて奈落の床へと崩れ落ちていった。
文字の消え失せた画面に まばらに、歪に散り散りになって残ったのは、薫の地鳴りのような嘲笑の言葉だけだった。
ハハ ギャハハ ハ ハ アハハ ハ
ア ハ ハ ハ
ハ ハ アハハハッ ハ
アハ ハハハッ ハ
アハハハハハハハ!!!!
ハハッ フフッ
アハハハハハハハ!!!!
ギャハハ
ヒビ割れて、文字が落ちて、そんな笑い声しか残らなくなった最悪の画面の奥で。
薫は突如、ドンッ!!! と凄まじい音を立てて、
【テーブルの上に片足をかけた】。
「アハハハハハハハ!!! ねえ、ねえ。そこでこの話を涙を流しながら盗み見ていたあなた……騙されちゃった?」
薫は、テーブルにかけた足をトントンと鳴らしながら、お腹を抱えて残虐に笑い転げた。
「私があんな年下の、実家も貧乏で泥臭い大剣をぶん回すだけのガキになびくと思った? ねえ!? 私が本当にミナトのことが好きになって、あの子が死んだとき、悲しくて、苦しくて泣いてると思ったの?そんなわけないでしょ?私が信用してるのも、愛してるのも、お金だけよ。お・か・ね♡アハハハ。はーおかしい。」
彼女は床に大剣を放り出すと、今度は事務所で唖然としている栂野と千早のほうを振り返り、勝ち誇ったように胸を張った。
「カメラが壊れて配信が止まらなくなったアクシデントも。」
「ボロボロになるミナトの前で流した、あの本物の涙も、マイクに入った生々しい鼻をすする音も」。
「ボス部屋の前で交わした、あの美しく切ない口づけの誓いも。」
「そして――昨夜ここで栂野さんたちと繰り広げた、あの冷酷な大口論すらも!」
「すべては、画面の向こうの十五万人のリスナーと、そしてこの話を覗き見している『読者』あんたらの脳を完璧に焼き切り、同情を最大値まで誘って、スパチャの売上とブックマークの評価を極限まで貪り尽くすための、私の【完璧なビジネス】、ただの神演技に過ぎなかったのよ!」
「ま……マジかよ、お前……っ」
栂野が、持っていたウイスキーのグラスを床に落としてガシャーンと割った。彼はあまりの恐怖と鳥肌に全身を激しく震わせ、度肝を抜かれて呆然と薫を見つめていた。
「おい、薫……お前、俺たち身内にすら一切の種明かしをしないで、昨日のあの本気の口論まで仕込んでやがったのか!? 騙されたよ! 完全に騙された! お前、本物の悪魔だよ……っ!」
「完璧なコンテンツでした、薫さん」
千早すらも、キーボードの上で硬直したまま、その無機質な声を微かに震わせて感服の言葉を口にしていた。
「強制切断コマンドを弾くための『魔力通信の内部回路のショート』。あれも、薫さんが戦闘中にハウンドの攻撃をかわすフリをして、手元で意図的にカメラの配線を焼き切った人工的なアクシデントですね。最初から最後まで、すべてが我が社の総売上を一千五百万円以上にまで引き上げるための、あなたの計算だったんですね。完璧すぎて、鳥肌が止まりません」
「ふふ、あったり前じゃない」
薫は笑いすぎて涙の浮かんだ目を指先で拭うと、私物バッグの中から、ミナトが自分の雀の涙ほどの取り分から一生懸命選んでプレゼントしてくれた、あのリボン付きの高級ハンドクリームの小瓶を取り出した。
彼女はそれを愛おしそうに眺めることもせず、そのまま、近くの汚い【ゴミ箱の中へと、無造作に放り投げた】。
カラン、と乾いたプラスチックの音が、少年の純情の終着点だった。
――だが、その時。
薫の美しく美麗な顔が、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、ふっとかげるように曇った。
それは誰にも気づかれないほど微小な変化。
そして薫本人でさえも、自分がなぜ今、ほんの一瞬だけ顔を曇らせたのか、その理由が全く分かっていなかった。
彼女は次の瞬間には何事もなかったかのように、そのかげりを消し去っていた。
「契約書第十条に基づき、あの子の個人口座の残高、身に付けている大剣、魔石の所有権は、今夜すべて我が社に強制移転されたわ。お母さんの入院している病院への、ロストの通知義務ももちろん無し。これで、実家への事後対応コストも完全にゼロ。完璧なビジネスの終了ね。」
薫は深くソファに腰掛け、長い足を組み直すと、栂野が用意していた高級ワインのグラスを指先で弄んだ。
悪魔のような大爆笑の余韻がオフィスを包む中、三人はグラスを傾け、今回の歴史的な大勝利の果実を、ゆっくりと時間をかけて喉へと流し込んでいく。
栂野もようやくいつもの下卑た笑みを取り戻し、千早は次の資金運用データを静かにまとめ始めていた。
冷酷な搾取のシステムが完全に勝利を収め、室内の空気がすっかりと落ち着きを取り戻した、その時
カラァン、コロン……。
一階の集音マイクと二階のスピーカーを中継して、玄関の扉が開いたことを知らせるのどかな鈴の音が、静まり返ったコントロールルームに冷たく響き渡った。
三人の動きが、ピタリと止まる。 スピーカーの奥から聞こえてきたのは、一階に足を踏み入れた、何も知らない【次の哀れな依頼人】の気弱な声だった。
「あの……失礼します。ダンジョン配信のプロデュースをお願いしたくて、こちらの『クローバー撮影事務所』さんを訪ねてきたのですが……。今、よろしいですか……?」
その声が聞こえた瞬間。 栂野と千早は二階の作業席に腰掛けたまま、モニターのデータを隠すことすらなく、ただニヤニヤとした笑みを浮かべて一階を見下ろす位置のスピーカーに耳を傾けた。
千歳薫は、髪をサッと手で整えた。二階のコントロールルームから、新依頼人の待つ一階の綺麗な応接室へと、階段を静かに下りて移動していく。外の依頼人からは決してみえない、床にバラバラと崩れ落ちた文字列の残骸を踏み越えて。
栂野や千早のゲスな姿も、冷酷なデータモニターも一切存在しない、一階の純白の扉の前。
薫はその美しい顔に、あの慈愛と包容力に満ちた「聖母の笑顔」を、瞬時に完璧に張り付けた。
薫は大人の色香に満ちた、どこまでも優しくて温かい声を一階の空間へと響かせる。
「はーい、どうぞ? ようこそ、クローバー撮影事務所へ。……私が、あなたを世界で一番、格好よく撮ってあげるわね」
新たなる『商品』を蜘蛛の巣へと迎え入れるために一階の応接扉が開かれ、城ヶ崎湊という名の、最高値で散っていった哀れな騎士の物語は、次なる惨劇への不気味な余韻を残したまま完全に、そして美しく閉幕するのだった。
【後書き】
「最後まで、本当に私のファインダーの裏側まで付き合ってくれてありがとう、親愛なるリスナーさん。
カメラマンの千歳薫よ。私の仕掛けた最凶の『神アングル』の罠、楽しんでいただけたかしら?
ミナト君の純情に涙して、あとがきを読む私の言葉に本気で胸を痛めて、スクロールする指を涙で濡らしちゃった画面の前のあなた。
うふふ、本当に可愛い人。あなたみたいな単純なリスナー(読者)がたくさんいてくれるから、私たちのビジネスはいつまでも潤い続けるのよ。
もし、『この悪魔的な大どんでん返しに鳥肌が立った!』『最悪で最高の結末だった!』と思ってくれたなら、ぜひ、これが最後のご奉公よ。
下にある評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に、満点の星の数で真っ赤に染めて、私への『最高額のスパチャ』として届けてちょうだい。
あ、でも、千早ちゃんが用意したフェイクの星じゃ困るから――もちろん、あなた自身の本当の端末からの、フェイク抜きの本物の評価でお願いね?
あなた達がくれる星の数(評価)の分だけ、私はもっと残酷に、もっと美しく、次の哀れな『商品』の命を輝かせて、そして……すべてを剥ぎ取ってあげられるんだから。
みんなからのコメント(感想)も、事務所のデスクで、ワインを飲みながら全部楽しみに待っているわね。
それじゃあ、また次の『配信(物語)』でお会いしましょう。……うふふ、私たちのビジネスに、極上の応援をありがとう♡」




