シーン14:『残された温もりと、暗転の回収』
静まり返った第十層のボス部屋に、床に転がった業務用メインカメラの微かな駆動音だけが、無慈悲に響き渡っていた。
画面には、広大な赤黒い血溜まりの中に仰向けに横たわる城ヶ崎湊の肉体と、その傍らで膝をつき、両手で顔を覆って泣き崩れている千歳薫の姿が、斜め下のローアングルから鮮明に映し出され続けている。
先ほどの激しい衝撃でメインカメラが床に叩きつけられた際、魔力通信の内部回路が激しく歪んでショートしてしまっていた。
その致命的なアクシデントのせいで、事務所の千早がどれだけ強制切断コマンドを送信してもすべてを無差別に弾き飛ばしてしまい、配信がどうしても止まらなくなってしまっていたのだ。
その結果、世界中に現場の生々しい映像が、リアルタイムで垂れ流され続けるという最悪の放送事故が引き起こされていた。
「ミナト君……っ! ミナト君、嘘でしょう……!?」
薫は、極限まで音量を絞り込まれたインカムの奥から聞こえるはずの声を無視し、血溜まりの中に横たわるミナトの元へ縋り付くようにして擦り寄った。
ミナトの左肩の少し下、鎖骨の隙間には、ヘル・キマイラの蛇の尾が遺した猛毒の刃が深く、深く突き刺さったままだ。
衣服はズタズタに引き裂かれ、皮膚の表面は急速に土気色へと変貌し始めている。しかし、胸元の真ん中は辛うじてその凶刃を避けていた。
「嫌よ……目を開けて、ミナト君……っ!」
薫は涙をボロボロと流しながら、彼の開いた胸元に触れ、その肩を細い両手で強く揺さぶった。
その瞬間、薫の指先から脳髄へと、痛烈なまでの衝撃が駆け巡った。
――温かい。
ミナトの肉体には、つい数十秒前まで限界を超えて大剣を振るい、猛火の嵐とぶつかり合っていた、あの生々しい生命の熱量がまだ確かに残っていた。
彼が流したばかりの、床に広がる大量の血も、まだ生温かく蒸気を上げている。死んだばかりの、あまりにもリアルな人間の温度。
しかし、その生々しい温もりとは裏腹に、ミナトの身体からはあらゆる筋力と緊張が完全に抜け落ちていた。
薫がいくら強く揺さぶろうとも、彼の頭部は力なく左右に揺れるだけで、大剣を誇らしげに振るっていたあの力強さは消え去り、ピクリとも動かない力なき人形のようになってしまっていた。
その生温かい温もりと、力なき人形のようになってしまった肉体の凄惨な落差に、薫の胸の奥から、言葉にならない悲痛な咽び泣きが突き上げてきた。彼女の脳内で、これまでのミナトとの短い思い出が、激しいフラッシュバックとなって濁流のように駆け巡っていく。
薄暗い事務所で、私の顔と胸ばかり見て、規約の一文字も読ずに顔を真っ赤にしてサインを交わした、あの初めての契約の夜。
初配信でゴブリンを倒した後、息を切らしながら『格好よかっただろうか』と言わんばかりに純粋な笑顔を向けてくれた、あの瑞々しい表情。
彼が一生懸命に魔物を倒して、自分の雀の涙ほどの取り分の中から、丸腰でカメラを握り続ける私の手を気遣って、あのリボン付きの小瓶のハンドクリームをプレゼントしてくれた、あの優しくて温かい気持ち。
第五層のボスを倒した後、血溜まりの中で『薫さん、勝ちましたよ!』と、人生で一番最高の、誇らしげな笑顔を見せてくれた、あの頼もしい背中。
そして――昨日の第七層の通路で、私がハンドクリームをつけすぎちゃったとき、私の手を引いて指を深く絡ませ、顔を真っ赤にして『薫さんには優しい香りがすごく似合いますね』と、しみじみと嬉しそうに語り合ってくれた、あの愛おしい手の温もり。
「なんで……なんで死んじゃうのよぉぉぉおオオッ!!」
薫はミナトのまだ温かい、人形のようになってしまった身体を、骨が軋むほどの力で強く、強く抱きしめ、感情を完全に爆発させた。
彼の胸にしっかりと抱きつく。彼女の悲痛な絶叫が、静まり返った広大なボス部屋の岩壁に反響し、凄まじい哀音となって響き渡る。
「伝えたいことが、あったんじゃないの……っ!? ボスを倒したら、私にどうしても言いたいことがあるって……そう言ったじゃない!!最後まで言ってよ!!」
薫はミナトの胸元に顔を埋め、彼の血に汚れた衣服を両手で強く、引きちぎらんばかりに握りしめた。大粒の涙が滝のように流れ落ちて、ミナトのまだ温かい肌を濡らしていく。薫は彼の首筋に腕を回し、小さな、今にも消え入りそうな震える声を絞り出した。
「……約束守ってよ、バカ……。一人で逝っちゃうなんて、許さないから……。」
薫はそのまま、ミナトの体の上に完全に力なく崩れ落ちた。
そのあまりにも痛ましく、切ない二人の抱擁の姿。世界中が見つめる生配信の画面の上で、二人の極限の悲劇と、約束を果たせぬまま引き裂かれた純愛の結末を目の当たりにしたリスナーたちの感情が、ついに限界を突破した。
【コメント欄・決戦直後/番組終盤】
『うわああああああああああああああああああ!!』
『嘘だろミナト……! なんでこんな結末になるんだよ……っ!!』
『お姉さんの「約束守ってよ、バカ」がツラすぎる……ガチで号泣した』
『カメラが壊れて配信が止まらないのか……こんな残酷なことってあるかよ!』
『ミナト、逝くな! 二人で地上に帰るんじゃなかったのかよぉぉぉ!!』
『俺たちのスパチャで生き返ってくれ!! 頼むから神様!!【赤いスパチャ:500,000円】』
『二人の愛は本物だった! ミナト、天国でお母さんとお姉さんを見守ってくれ!!【赤いスパチャ:1,000,000円】』
薫が崩れ落ちたその瞬間、コメント欄は絶叫と涙の海に沈み、画面の下から上へと、文字通り激しい滝のように、画面全体を真っ赤に染め上げるほどの【大量の赤い高額スーパーチャット】が、怒涛の勢いで、天井を突き破るほどの速度で流れ落ち続けた。
同時視聴者数は驚異の十五万人を突破。世界中が、二人の凄惨で美しい純愛の先の悲劇に、脳を完全に焼き切られていた。
その狂熱と悲劇が最高値に達した時。
ピシ、とメインカメラの画面の隅に、真っ赤な『バッテリー残量:0%』の警告が点滅した。丸腰の身体で猛吹雪の階層と灼熱のボス部屋を並走し続け、極限まで魔力電波を消費し続けた業務用メインカメラの命の限界。
プツン――。
何の前触れもなく、不意に、生配信の画面が完全に暗転した。
世界中の人々のスマートフォンやパソコンの画面が、真っ黒な闇に包まれる。カメラの充電切れ。最高値の悲劇を垂れ流し続けた舞台は、自然のシャットダウンというこれ以上ない無慈悲な形で、唐突に幕を下ろしたのだった。
――画面が真っ暗になった直後。
誰も見ることのできなくなった、静まり返った第十層のボス部屋の中で、薫はミナトの身体に顔を埋めたまま、じっと動かなかった。
部屋全体が静寂に包まれたことで、今まで極限まで音量を絞り込んでいたはずのインカムのレシーバーの隙間から、事務所で大声を上げて喚き散らしている栂野の、狂ったような怒鳴り声が微かに漏れ聞こえてきた。
『おい薫! カメラの充電が切れてこっちのモニターも真っ暗になったぞ! 配信終了だ! 完璧だ、完璧すぎる数字が出たよ! 総売上は一千万円を軽く突破した! おい薫、聞こえてるか!? 画面が消えたんだから、さっさと次の業務に移れ! 規約第七条および第十条に基づき、今すぐそのガキの形見の大剣と、財布と、ゴブリンやキマイラから剥ぎ取ったすべての私的資産を回収しろ! 一粒の魔石も残すなよ!』
インカムの隙間から漏れる、栂野の冷酷で非情な、カネの亡者そのものの指示。
薫はミナトの体の上に崩れ落ちたまま、涙を絶え間なく流し続け、その指示を静かに聞いていた。
彼女はゆっくりと顔を上げると、袖で乱暴に涙を拭うこともせず、涙に濡れた瞳のまま、力なく、従順に、ミナトの傍らに転がっていた「形見の大剣」へと手を伸ばした。
あの子が病気のお母さんのために、身の丈を超える重さに耐えながら必死に振り回し続けた、大切な大剣。
薫はその冷たい金属の柄を力なく握り締めると、引きずるようにして自分のほうへと手繰り寄せた。さらに、ミナトが命を懸けて守り抜いた、衣服のポケットの中にある「魔石の小袋」や、彼の財布、防具の破片に至るまで、栂野の指示通りに、一つずつ、力なく自分の手で回収し始めるのだった。
世界中のリスナーが、画面が消えた暗闇の向こうで、薫がミナトの遺体にすがりついて泣き叫んでいる姿を想像し、最高の悲劇の余韻に包まれて涙していることなど、今の二人には何の意味も持たなかった。
ただ静かに、冷酷な搾取のシステムだけが作動する暗闇の戦場で、静かに、重々しく幕を閉じるのだった。
【後書き】
「ミナト君……どうして私を置いていっちゃったの……
…………。」




