第八章 其々の謀叛
床に転がる、空の黒檀箱。
虚ろに広がる、濃紺のベルベット。
そこに在るべきであった輝きが失われているという事実を眼裏に焼きつけ、リッカは、肺の底から深く息を吐き捨てた。
「説明してもらおうか、エルフィム」
執務机の前に佇むエルフィムは、胸の前でそっと指を組み、控えめに目を伏せていた。
誤魔化す様子もない。
言い訳を探す素振りすらない。
その静寂。その沈黙。それこそが、何よりの肯定であった。
「……アッシュさんに、頼み事をしたのです」
息をひそめた、小さな声である。
だが、静まり返った石の部屋には、それだけで十分すぎるほどに響いた。
「頼み……? あいつにか?」
リッカの眉間に、深く、根の張るようなシワが刻まれる。
胸の奥で、かすかな、しかし確実な嫌な予感が渦を巻きはじめていた。
「はい。人造魔法石の背後に潜む、危険な錬金術師集団──『円環の双蛇』。彼らの根城を突き止め、王都に迫る危機を打ち払ってほしいと……。その対価として……」
対価──。
続く言葉を聞くまでもない。答えはすでに、目前に突きつけられていた。
どこかで「まさか」と打ち消そうとしていた淡い疑念が急速に冷え込み、逃げようのない確信へと変わっていく。
あの男に渡したのだ。
エルフィムが何より大切にしていたはずの、あの白金貨を。
「……本気で言ってるのか!?」
声のトーンを抑え込もうとしながらも、リッカの叫びが冷えた石壁に跳ね返る。抑圧された熱となって、部屋を満たす。
「なんであんな、王都を捨てて出て行ったような奴に……! よりにもよって、お前が歩んできた半生の証だろうが! どうしてそれをあいつに……っ!」
声が途切れた。
喉の奥が引き攣り、吐き出したい言葉が熱い塊となってつっかえる。
対するエルフィムは、ただ静かに佇んでいた。
眼鏡の奥の瞳をゆっくりと持ち上げ、まっすぐに見つめ返してくる。
いつもはおどおどと控えめな彼女の声音に、退くことのない、静かな覚悟が宿っていた。
「敵の拠点は、隣国アル・ザハルの領域内です。我ら王都の者が表立って跨げる国境ではありません。一歩間違えれば領土侵犯、重大な外交問題に発展します……。手に負えなくなる前に……王都とそこに生きる人々が失われるかもしれぬ時に、私個人の半生の栄誉など……何の価値もありません」
「エルフィム……っ!」
一歩を踏み込んだ手が、虚しく空を切った。
己を顧みず平然と言い切るその愚直さが、たまらなく歯がゆい。
だが、何よりも胸の奥を焼き尽くすのは、黒く渦巻く感情であった。
なぜ、あいつなんだ。
王都最強の殲滅部隊『葬槍の姉妹達』の長姉として、重ね続けてきた研鑽。それのみが築く絶対の槍技を信じ、立ちはだかる全てを真っ向から穿ち抜いてきた。
それに対し、あの男はいつも飄々と真芯を外し、煙に巻く。
認めたくない。絶対にだ。
だが──いざとなれば圧倒的な実力を見せつけ、土壇場の難局をあっさりとひっくり返してしまう。
その確かな強さに対する激しい対抗心。
認めたくないからこそ沸き立つ、嫉妬のような苛立ち。
探していたはずの解決の手がかりを頼りにされたのが、正面から戦う自分ではなく、あのかわし続ける男だという事実。
激しい屈辱と悔しさが、喉の奥をきつく絞め上げた。
「……勝手にしろ」
低く吐き捨てるように言い放つと、リッカは疾風のごとく踵を返した。
重い木扉を静かに閉め、音を殺すようにして石床の廊下を疾駆する。
取り戻す。
胸の奥で荒れ狂う火が、明確な殺意へと変わっていくのを、リッカは感じていた。
あいつが自分を捨ててまで抱いた覚悟なら、私がそれを上回るまでだ。親友の半生の証を、あの男の手へ渡したままにしておけるものか。
『円環の双蛇』も、王都の危機も──すべて、私のこの銀槍で薙ぎ払う。
隣国への不法干渉だ。正規軍の許可など、得られるはずもない。
であれば、据えられた眼が捉える答えはただひとつしかなかった。
◇
昼間、執務室から兵舎へ戻ったリッカの背中を、副隊長ヒルダは見逃さなかった。
内に激しい火を孕み、周囲の音すら遮断しているかのような、鋭すぎる気配。長年リッカの右腕を務めてきたヒルダの直感が、冷やかな警鐘を鳴らしていた。
夕刻。茜色に染まる兵舎の中庭、鍛錬場の隅。
長身のすらりとした体躯を柱に預け、切れ長の目で遠くを伺うヒルダの横顔には、冷徹なまでの観察眼が宿っている。短い銀髪を夕風になびかせ、彼女の視線の先──兵舎の武具庫を行き来するリッカの影を追っていた。
「ねえ、ヒル姉。姉様、さっきから何か探しもの? 兵舎と武具庫を何度も往復してるけど……」
ひょっこりと柱の陰から顔を出したのは、ミサーシャだ。眉のすぐ上で真横に揃えられた前髪と、腰まで伸びた眩い金髪。隊内でも小柄で可憐な容姿が目を引くが、その華奢な肩には常に己の丈ほどもあるスピアが担がれている。
「……探しものではないな。遠征用の保存食糧と、予備の油束。それに刃物用の研ぎ石だ」
ヒルダが低い声で応じると、反対側の壁から重い足音が近づいてきた。
「へっ、やっぱりただ事じゃねえな」
分厚い肩幅と鍛え上げられた豪快な肉体を揺らし、大股でやってきたのはアイネだ。首元で短く元気にはねる赤毛のクセ毛をガシガシと乱暴に掻きむしり、肩に担いだ重槍をドスンと床に突く。野性的な凄みをまとった立ち姿だが、その瞳には明らかな不審の色が浮かんでいた。
「姉貴のあの目……あれは完全に腹を括った時の眼光だぜ。またろくでもねえ無茶をやる気じゃねえだろうな」
「……昼間、エルフィム様の執務室から戻られて以来だ。ろくに口も利かず、ただ静かに戦支度を整えておられる」
ヒルダは短く息を吐くと、静かに腕を組んだ。
「ミサーシャ、アイネ。手筈を整えておけ」
「ミサーシャ、行ってくる!」
「へへっ、退屈させねぇよな、あの姉貴は」
◇
そして深夜。
静まり返った兵舎の裏手。
青白い月明かりを避けるように影を潜め、足音を完全に殺して裏庭の雑木林へ抜け出したリッカは、湿った草の匂いと鬱蒼とした木立ちの暗がりに隠された、古い石壁の前で足を止めた。
戦の際に敵の背後を突く奇襲や、城塞落城時の緊急脱出用として極秘裏に築かれた地下通路。
周囲の苔むした石積みと同化し、一見するとただの壁にしか見えない岩扉へリッカがそっと手をかけた、その時であった。
「──お待ちいたしておりました、姉様」
背後から耳元へ潜り込むような、潜行音の囁き。
夜気が、僅かに揺れた。
リッカが鋭く振り返ると、樹影の暗がりからゆっくりと歩み出てくる影があった。副隊長ヒルダである。
リッカの肩が微かに揺れた。
背負ったずっしりと重い革袋、手にした銀槍、そして暗がりの中でも隠しきれない、死地へ踏み入る者の凄惨な表情。
ヒルダは一歩を踏み出し、岩扉とリッカの間を遮るように立つ。その声音は夜の静寂に溶け込むほど低く、だが退かぬ覚悟に満ちていた。
「一人で征かんとされる戦地にて、姉様の葬槍とならんべく、控えておりました」
そう呟いたヒルダが、静かに半身を引く。
ざッ──。
夜気を引き裂く音すら立ち得ぬほど完璧に殺された動作で、二十の影が同調した。
樹影の暗がり、鬱蒼とした茂みの中に一糸乱れぬ整列で控えていたのは、すでに完全な遠征の旅装を整えた妹たちであった。
草むらを叩く膝当ての重奏は、かすかな擦過音となって闇に沈む。二十名の妹たち全員が同調して片膝をつき、こうべを下げたまま、息を潜めて静かに長姉の命令を待っていたのである。
「……お前たち、なぜここに」
息を潜めていた全隊員の気配を一度に察知し、リッカが抑えた声で問うと、ヒルダは緩やかに首を振った。
「なぜここに、ではありません。……我ら妹たちを置いていくとは、どういうおつもりでしょうか。昼間からの御様子と眼光に秘めたる決心に、どれほどのものを背負い込もうとされているのか、このヒルダには分かります」
「おいおい姉貴ぃ、水臭いじゃねえか」
整列の先頭、片膝をついた姿勢のまま不敵な笑みを浮かべたのはアイネだ。赤毛のクセ毛を夜風になびかせ、重槍を構え直しながら身を乗り出してくる。
「あたしらを置いて一人で面白いヤマを踏みに行こうなんてさ。いくら姉貴の命でも、そんなつれねえ仕打ち、飲むわけにはいかねえなぁ」
「そうだよ、リツ姉……!」
その隣で金髪を揺らして身を乗り出したミサーシャが、顔を上げて声を殺して叫ぶ。
「ミサーシャたちを置いていくなんて絶対ダメ! リツ姉がいないと、誰がご飯の時にあたしの嫌いな野菜を食べてくれるのさ!」
「ミサーシャ、いま話すことの筋がズレているぞ。そして声が大きい」
「ひぐっ……ヒル姉、だってぇ……」
ヒルダが低い声で咎めると、ミサーシャは慌てて口を両手で覆い、身を縮こまらせた。
だが、夜気の中に漂う緊張感は少しも衰えない。
控える全員がこうべを下げた姿勢のまま静まり返り、揺るぎない覚悟と圧をリッカへと投げかけていた。
「……退け」
リッカの低く殺気立った声が夜空を凍りつかせる。
無数の修羅場をくぐり抜けてきた隊長としての鋭い威圧が、正面に立つヒルダと、その背後に並ぶ全員の肌を重く打った。
「退きません」
だが、リッカの眼前を塞ぐヒルダは、その殺気を真っ向から受け止め、眉一つ動かさずに見つめ返してくる。
「これは私の個人的な落とし前だ。軍の許可もない。私についてくれば軍規を乱した謀反者として、お前たちまで咎められるぞ。すべてを失うことになる」
「失う? 何をおっしゃいますか」
誰一人として顔を上げず、うつむいた姿勢のまま、ヒルダの言葉に妹たちが深く頷く。
「我らが誓いを立てしは王都に非ず。我らが誓いを立てしは、襲いかかる幾千もの敵勢に笑みを浮かべ、葬槍の歯牙を剥く白銀の雌狼、リッカ・イ・ルシールヴァ──姉様、あなたにございます。我らが命、猛々しき銀狼の贄として、とうに捧げております。失うもの既に無し。ただひとつ、姉様……あなたを除いては。どうか……我らに、共に征く命を」
「お前たち……っ」
巻き込みたくない一心で突き放した言葉は、彼女たちの熱い意志に易々と弾き返された。
なんなんだよ、どいつもこいつも。
執務室に残してきた親友の、あの頑なな顔が脳裏をよぎる。
『私個人の栄誉など、何の価値もありません』と言い切った、あの愚直な女の姿が。
呆れと、情けなさと、そして胸の奥を激しく揺さぶる熱さ。
リッカは深々と溜め息を吐き出すと、乱暴に頭を掻きむしった。
「……勝手にしろ」
エルフィムへ叩きつけた時と、全く同じ言葉が低い呟きとなって漏れた。
「ついてくるなら、死ぬ気でついてこい。……『円環の双蛇』を潰し、あのバカの白金貨を取り戻すぞ」
「──ハッ」
息を揃えた二十人分の声が、夜の帳の底に低く沈む。
『葬槍の姉妹達』が一斉に立ち上がるやいなや、ヒルダが鋭い眼光で妹たちを一張り倒さんばかりに睨みつけた。
「お前たち、姉様のお言葉を聞いたな。あくび混じりの足取りで足を引っぱる奴は、この私が真っ先に貫いて葬ってやるよ。音を立てずに、姉様に続け」
「「「……ハッ」」」
先ほどまでの悲壮感すら呑み込み、二十名の妹たちは一瞬で引き締まった殺気を放つ手練れへと顔つきを変えた。リッカが解錠した岩扉の奥、不気味に口を開ける地下通路の暗闇へと、一糸乱れぬ足取りで吸い込まれていく。
王都の外郭を潜り抜け、郊外の廃屋へと抜ける秘道。
冷え込む夜の静けさに紛れ、長姉の背を追うべく、彼女たちは迷いなくその手に槍を握り直すのであった。
◇
兵舎を囲む古木の枝頭。
月光を背に受け、風のそよぎすら殺して佇むひとつの影があった。
先端の尖った豊かな金髪を夜風になびかせ、透き通るような緑の瞳が、暗がりへと消えていく手練れの群れを見下ろしている。
王都の長き歴史と政治の醜聞を、その耳で幾度となく聞き届けてきた者の眼光であった。
腰に佩いた短弓の弦にそっと指先を滑らせ、彼女──リーフウィンドは微かに眉をひそめる。
「……やれやれ。相変わらず無茶ばかりだ」
かつての先王ユノーが精霊王と交わした古い盟約の記憶が、一瞬だけ脳裏をかすめる。
ユノー亡き今、インペリアルガードとして王都に残る義理も、果たすべき誓いも、リーフウィンドにはない。
ただ、泥濘の中で足掻く幼子のごとき背を見捨てられぬ己の性が、少しばかり恨めしかった。
溜め息とともに梢を鳴らした風が、影の姿を夜の闇へと溶かし去っていく。
◇
翌朝。
王都最強の殲滅部隊『葬槍の姉妹達』の兵舎が、人っ子一人いないもぬけの殻となっているという報せは、瞬く間に城内を駆け巡り、元老院の最奥へと激震を走らせた。
豪奢な意匠が施された円形裁判室。
高く聳える三つの座に腰を下ろし、冷ややかな視線を見下ろしているのは、深緑の長袍に身を包んだ三人の老臣たち──元老院であった。
その眼下、冷たい石床の上に、エルフィムはただひとりポツリと立たされていた。
「……何か知っておることはないかね? エルフィム」
中央に座す老臣が、静寂を切り裂くように低い声を叩きつける。
深く刻まれた皺の隙間から覗く瞳が不気味に揺れ、枯れ枝のように痩せこけた指先が卓上を叩くコト、コトという硬い音が、広間に重く跳ね返った。
「リッカをはじめとする『葬槍の姉妹達』全隊員が消えた。彼女らはどこへ行った? お前とリッカは昔からの旧知の仲であろう。昨日、お前の執務室にリッカが駆け込んだという目撃証言もある。何か聞いてはおらんのか」
右手に座る老臣が身を乗り出し、陰影の奥から粘つくような視線で射抜く。
「そうだ。お前たちの仲は周知の事実だ。全隊員を率いて兵舎を脱した背景に、何らかの意図がないはずがない。先月、そちとリッカは『国境付近の哨戒任務』と称して赴いていたな? 我らは知っておるぞ。あれはミネア様からの密勅を受け、国境の村々に現れた怪異と『人造魔法石』の手がかりを探る調査だったことをな。……今回、全隊員を率いて消えたのも、その件に深く関わっているのではないか?」
探るような言葉。彼らがエルフィムを呼びつけた理由はひとつ──「リッカと最も親しい人間」から強引に情報を叩き割り、自分たちの懸念を確かめるためであった。
取り囲む空気は、追及と疑心に満ちている。
だが──。
エルフィムは焦る素振りも見せず、聖衣の裾を静かに整えると、胸の前でそっと指を組んだ。
眼鏡の奥に暗い影が落ち、その表情を窺い知ることはできない。
親友の半生の証を賭けて己の誇りをあの男に託した彼女の心は、老人たちの威圧ごときに揺らぐことはなかった。
そっと息を吐き出すと、静かに顔を上げた。
「……知りません。リッカが何を考え、どこへ行ったのかなど、私にわかるはずがありません」
「白白しい! 昨日は執務室で二人きりで話していたのだろう!」
「ええ、来ました。ですが、ただの雑談です。少し話してすぐに出て行かれました」
淡々と答えるエルフィムに対し、左手に座る老臣が不機嫌そうに身を乗り出す。
その反応を見届けたエルフィムは、ふっと眼鏡の奥の瞳をわずかに細めた。
「……ところで、元老の皆様にお尋ねしたいことがございます」
「なに……?」
「先日の宝物保管庫における、先王ユノー様の遺品および文献の窃盗未遂事件。そして、それに端を発する『人造魔法石』の精製問題……。なぜ元老院は、これほど重大な事態を公にせず、秘匿され続けているのですか?」
静かだが、刃のように研ぎ澄まされた問い。
三人の老臣たちの表情が、一瞬で引きつった。
「人造魔法石の危険性もさることながら、奪われかけたのは先王様の遺品です。真実を公表し、正式に調査隊を編制すべき事案のはず。それを伏せ、ただリッカたちの動向ばかりを警戒される……。まるで、事件が明るみに出ることで『不都合な何か』が露呈するのを恐れておられるかのようです」
「口を慎め、エルフィム……!」
中央の老臣が、枯れ枝のような手を固く握りしめ、低く威圧的な声を絞り出す。
「一聖職者如きが元老院の決定に異を唱えるか。何が公表だ。無用な混乱を避けるための深慮遠謀であることくらい、貴様にも理解できよう」
「……深慮遠謀、ですか」
エルフィムはそれ以上、追及を重ねなかった。
元老たちの過剰な拒絶反応、衝動的で見せたわずかな狼狽。それだけで、彼女にとっては十分すぎる回答であった。
やはり、隠している。王都が、先王ユノー様が遺した、何か後ろめたい真実を──。
エルフィムは表情ひとつ変えず、深く、緩やかにお辞儀をした。
「失礼いたしました。私の知る限りの事実は、以上です。不審にお思いなら私の執務室でもどこでもお調べください。……失礼いたします」
老臣たちは苦虫を噛み潰したような顔で、去っていく彼女の背中をただ睨みつけることしかできなかった。
◇
カツン、カツンと響く足音。
冷たい石造りの回廊を抜け、エルフィムの足取りはやがて王都の地下深く──先王ユノーの遺品が眠る、封印された『黒曜の秘庫』へと向かっていく。
元老たちの不自然な隠蔽工作。
なぜ世を破滅へと導く脅威をここまで隠すのか。
その答えは、あの扉の向こう──ユノーの遺品の中にこそある。
三ヶ月前に起きた窃盗未遂事件を機に、先王の遺品のすべてはこの『黒曜の秘庫』へと移され、厳重を極める厳戒態勢のもとで保管されることとなった。
元老院の命なしにこの秘庫を暴くこと──それはたとえ、国王が認めた高位の聖職者であろうとも、王都に対する明確な『反逆』であり『謀叛』とみなされる大罪。
知ってしまえば、もう二度と無知な聖職者のままではいられない。王都がひた隠しにしてきた暗部へ、自らの手で引き返せぬ一歩を踏み出すことになる。
だが──足は止まらなかった。
王都の最深部。
手元のランタンが湿気を帯びた石壁を照らす。
辿り着いたのは、限られた者しか足を踏み入れることの叶わない巨大な扉の前。
削り出しの分厚い黒曜石で作られたその扉は、物理的な堅牢さのみならず、幾重もの封印魔法によって厳密に封じられ、表面を這うように淡い光の聖刻文字が揺らめいている。
並の術者であれば解読どころか正気を削られるほどの厳重な封印──だが、揺らめく聖刻文字を映すエルフィムの瞳に、一筋の戸惑いすら浮かびはしなかった。
眼鏡の奥で、その目元がどこか冷ややかに、小さく緩む。
躊躇うことなく黒曜石の冷たい表面へと手を滑らせると、まるで使い慣れた本をめくるかのような淡々とした手付きで、秘解の詠唱を始める。
禁忌を侵す呪文に呼応し、聖刻文字が光を失って消えていく。
ひとつ、またひとつ。
そして、最後の聖刻文字がその光を失うと、重厚な錠前が外れる鈍い金属音が、静寂の底に低く響き渡った。




