「山手線にあるマニ車」
阿藤はその人物に向かって問いかけた。
「なんでお前がここにいるんだ?」
そこにでーん、と仁王立ちしていたのは、首からカメラをぶら下げた、ファッションセンスがおじさんというか「AHO」な人物である。つまり、長菜椰染である。
「理画ちゃん、気づいてなかったの?」
「何に?」
「『山手線にある幻のマニ車』の正体について」
どういうことだろう。阿藤にはさっぱりだ。
「お前は気づいたのか?」
「じゃなきゃ列車から降りたりしないよ。あたしは結構真面目に仕事やるんだからね」
まあ、確かに、長菜は仕事熱心だ。仕事ついでに遊びはするが、仕事をサボることはしない。それが長菜の美点である。
よく考えてみれば、長菜の行動は不自然だった。今回撮影しなければならない「マニ車」というのは「山手線」にある、とメモに書かれていた。どこかの駅にあるのなら、渋谷や代々木など、具体的な駅名を聞けばいいだけだ。わざわざ、毎日山手線巡りをしている阿藤に聞きに来る必要がない。
仮に、依頼人がどこの駅にあるのかわからないのだとしても、駅にあるならば、「山手線の駅にて、幻のマニ車撮影」と書けばよかったのである。
駅にあるのなら、わざわざ列車に乗る必要はない。まあ、移動手段としてはちょうどいいので、列車に乗ることもあるだろう。
だが、長菜が阿藤に接触してきたとき、長菜は何と言ったか。「やっぱり理画ちゃんだ」だったはずだ。知り合いを見かけたので列車に滑り込む。それは親しい仲ならままあることかもしれないが、ドアが閉まるぎりぎりにスライディングしてまですることではない。ましてや、仕事熱心な長菜が仕事を放り投げてまでやることではない。
何故、阿藤を見かけて長菜が慌てて駆け込み乗車をしたか。それは長菜の仕事に関わることだからだ。
阿藤は答えを導き出す。
「さてはお前、知っていたな? 『山手線のマニ車』について」
「撮影不可能だったからね」
あっけらかんと長菜は答えた。
「おかしいとは思っていたんだ。『山手線にある幻のマニ車撮影』、普通に読めば、『山手線のどこかにマニ車があるんだろうな』ってなるよ」
しかし、頭のいい長菜は言葉回しの不自然さに気づいた。
「なんで駅名を教えてくれないのか、当然あたしは疑問に思ったよ。依頼人に聞きもした。どこの駅か。でも、『山手線にある』としか返ってこなかった」
それは依頼人が山手線のどこにマニ車があるか知らなかったのではない。
「あたし、ピーンと来ちゃってさ。先入観でみんなは山手線と言われたら駅を思い浮かべるじゃん。山手線ゲームってあるくらいだし。でも、誰も駅にある、なんて言ってないんだ。それなら、『山手線そのもの』がマニ車ってことになる」
「ちょっと待ったちょっと待った」
山手線そのものという言葉の意味を理解できなかった。阿藤はてっきり、列車の床にあった紋様がマントラで、列車がマニ車だと思っていたのだ。
そう意見を伝えると、長菜は大体合ってる、と続けた。
「理画ちゃん、あたしが教えたマニ車の使い方は覚えてる?」
まあ、つい先程教えられたようなものだ。
「マントラが描かれたマニ車を回すんだろ?」
「そう。じゃあ山手線みたいなぐるっと一周する路線のことをなんて言う?」
「なんだって?」
そのタイミングで、阿藤も悟った。
答えは「環状線」なのだが、長菜の言った通り、環状線はぐるっと駅を一周する。地図で見ると輪っかのように見えるし、その進行が円のようにぐるぐる回るから環状線と呼ばれている。
そんな環状線をマントラの描かれた列車がぐるぐると回る。それは、マニ車を回していることになる。
「環状線を回るマントラ……それで、山手線そのものがマニ車なのか」
「そーそ。理画ちゃん冴えてるね」
ということは、日夜山手線を乗り回っている阿藤はマニ車を回していたようなこととなる。
「? でも徳が高くなるだけだよな。危険か?」
「徳が高くなるだけだから危険なんだよ」
曰く。
徳が高くなる、ということは天国に行ける確率を高める行為であり、陰陽師や祈祷師のように幽霊を祓ったりできる霊力が身につくわけではない。
また、徳を積むということは良い行いを続けていることになり、甘い蜜となる。
誰にとってか。
「そりゃ、天国に行きたい幽霊でしょうね」
積み重ねられた徳を自分のものにするために徳を持つ者の命を奪いに来ようとする幽霊が大量発生するのだ。しかも相手は幽霊に対抗する術を持たない。イージーゲームのようなものだ。
ということは、さっき見て気分が悪くなった奇妙な笑顔の御仁は。
「まあ、十中八九そういう霊でしょうね」
「手を振ってたぞ?」
「理画ちゃんが来るのを待ってるから、『またね』とかそういう意味じゃない?」
ぞっとした。なるほど、微笑んで見送られたのに鳥肌も立つわけだ。あのまま列車に乗っていたら、あの幽霊に殺されていたのかもしれない。降りたのは正解だったようだ。
ところで、なのだが。
「なんでマニ車の正体がわかっていたのに、俺を見かけて乗り込んできたんだ?」
そう、長菜の目的は、「山手線のマニ車」について知ることだった。阿藤を見かけて乗り込んだのは、ほぼ毎日山手線に乗っている阿藤が山手線に詳しいから、手がかりを得るため、ではなかっただろうか。
すると、長菜はふんす、と鼻息を荒くした。
「そりゃ、幽霊の餌食になりそうな理画ちゃんを守るために決まってるでしょ」
「守るって?」
「あたしが世界中を旅行してるのは知ってるでしょ?」
ついでに余った時間で観光をするちゃっかりさんが長菜なわけだが。
その観光の一環で、色々な国の寺院で、一日修行、みたいなのも何回かやったらしい。塵も積もれば山となるというが、長菜の真面目さからいけば、さぞ真剣に修行したにちがいない。確か、仏教ではそういう真剣さが修行に伴う結果にされるとか云々。
「マニ車回してるだけの人間を取り殺そうとするのなんて、弱っちい幽霊だけよ。あたしは世界各国で霊力を鍛えていたから、幽霊はあたしに近づけば消滅させられる。だから、あたしが理画ちゃんの傍にいれば、理画ちゃんは襲われないで済むっていう寸法よ」
それなら何故ずっと一緒にいてくれなかったのだろうか。
「理画ちゃんあたしに触ったからね。あたしの気がちょっとでも移ったなら、一駅か二駅分くらいならどうにかなると思ったの。さすがにずっと幽霊に睨まれるのは気持ち悪かったし、小休憩入れて、理画ちゃんを列車から降ろそうと思ったの。まあ、自発的に降りてきてくれてよかったよ」
なるほど。
おそらく、長菜の気が移ったというのは本当だろう。阿藤も幽霊を気持ち悪いと思った。一時的に気を共有することで、共感を持てた、といったところか。
そこで、長菜がカメラを取り出す。いくつかボタンをいじくって、写真を見せてきた。
「列車の中で写真撮るなって言われたから一枚だけ撮ったんだけど、心霊写真よ。このひっどい笑顔の人が、たぶん、幽霊」
そのひっどい笑顔は先程阿藤が見かけたものと同じだった。ただ少し引っ掛かる。
先程だけではなく、この笑顔をどこかで見たことがあるような。
とりあえず、撮影許可が出なければ、長菜は山手線のマニ車を撮影できない。依頼達成不可能と断じたのはそういうことだろう。
「で、理画ちゃんこれからどうする?」
「怖いからうちに帰るよ」
「ふふふー、同伴してあげよう」
上から目線が癪に障ったが、今ばかりは有難い。阿藤は自宅へとタクシーで帰った。
ついでに、長菜を家に上げた。今日のことは感謝してもしきれないだろう。何しろ命を救われたようなものだ。茶の一杯くらい出しても罰は当たるまい。
理画ちゃんの部屋見たい、というお嬢様のワガママに振り回され、描きかけの絵のある部屋に入った。ごちゃごちゃしているので、あまり物に触るなよ、と注意する。
そんな中、長菜がある絵を見つけた。阿藤が自戒に飾っている、阿藤の処女作にして代表作のそれ。それを見て阿藤はぎょっとした。
そこには、ありんこを殺して喜んでいたときの在りし日の阿藤の「ひっどい笑顔」が描かれているわけだが。
長菜が気遣わしげに写真を見せてくる。その写真の笑顔は、具体的に言うと口の端にはえくぼという言葉では誤魔化せない二重の皺が浮かび、狐のように目を細めてにんまりと、獲物を捕らえたしたり顔というにはあまりにも不気味なものだった。
なるほどそういうことか、と阿藤は改めて理解する。
幽霊たちにとって、マニ車を回しに回した阿藤理画という存在を殺すことは、幼少の折に阿藤が感じていた爽快感に通じるものがある、無意味な殺戮だったわけである。
善行も悪行も、回り回って自分に返ってくる、というのは幼少の頃からよく聞く教えだが、全くその通りだったわけだ。
それからもう、環状線に乗るのはやめた。回り回って過去の感情線に取り殺されるなんて、悪夢でしかないからだ。
NiOさんなら、これを「完ファサ」というのだろうか。とりあえずやりきったのはわかるぜ。
みんなはいくつ言葉遊びに気づいたかな?
ヒントを貼っておくから、わかったら感想欄で答え合わせをしよう。
わからない人のために、「言葉遊び解答集」という作品に答えは書いておくからね。
ヒント一覧
阿藤理画
長菜椰染
環状線