9. 許しの日
翌日、客間で大伯母様は上座にいる。許しの返事を受けに来たイルミナ様へ、閣下が私を先に示し、息子を後に回す。午後の光が長椅子に落ちる。イルミナ様は膝に手を重ね、私へまっすぐ顔を向けている。私は背を伸ばして椅子に座る。
磨かれた卓に窓枠が映り、茶器の縁が淡く光る。イルミナ様の前で湯気がほどけていく。その向こうの唇は、声を出す前にかたく結ばれる。
「本日は、お返事を伺いに参りました」
イルミナ様の声は、面接の日より落ち着いている。それでも、挨拶を終えた肩は下がらない。大伯母様が、壁際から出ている息子を見て目を細める。
「今日のあなたは、壁じゃないのね」
「……壁は、もうやめました」
大伯母様の笑いを背に、息子が襟元を正す。閣下が、改めて私を示す。
「イルミナさん。私の妻で、この家の女主人だ。縁談の返事は妻がする」
閣下の隣へ進みかけた息子の足が、そこで止まる。その顔が、私から閣下へ向き直る。
「父上、まだアンナリーゼを妻にする気ですか!?」
「お前が捨てた女性だ。私が受けて何が悪い」
息子が後ずさり、立ち尽くす。踵が敷物の縁を踏んでいる。閣下は呼び戻さず、息子の顔を見ていた。イルミナ様の目が私へ来る。私は重ねた手をそろえ直す。
「俺の望みではなかったんです! 父上がお決めになった婚約だったでしょう!」
「そうだ。だが、望みを持つことと、相手を軽く扱うことは別だ」
息子が上着の裾をつかむ。布が引きつれ、声まで高くなる。
「では、望まない相手に、笑って頷けばよかったんですか!」
「違う。頷かなくてよい。だが、彼女にも、お前以外を選ぶ自由がある」
閣下の声は荒くならない。息子は何かを言いかけ、私の椅子へ目を移す。握っていた上着の裾が、力なく落ちる。
「くっ……。アンナリーゼも、当てつけみたいに父上に言い寄るなんてひどいぞ!」
「あら、当てつけなんかじゃないですわ。あなたより旦那様の方が魅力的ですもの」
口にしてから、頬が熱くなる。閣下のほうを見られない。言い切った唇を閉じ、椅子の縫い目へ目を落とす。こんなところに糸の結び目がある。今は、それしか見られない。
閣下の小さな咳払いが聞こえる。上座では、大伯母様が口元を押さえて肩を揺らしている。
「……それは、私が喜んでもよい言葉かな?」
「そ、それを今お尋ねになるのは……困りますわ……」
声の終わりが細くなる。膝の上で指を組み直しても、隣から向けられる視線までは隠せない。
「くぅっ! まぁいい。二人は好きにすればいいさ。だが、今日はイルミナの話だ」
イルミナ様は口を結んでいる。息子がそちらを見ても、返事を待つ姿勢は崩れない。大伯母様は足を組んだまま、動かずにいる。
「イルミナとの結婚は、俺の望みです。それなら、俺の話を聞いてください!」
「聞いている。なら、許す相手へ自分で頼め」
息子の顔が私へ向く。今度は、私もその目を見て待つ。
「……頼んだって、どうせ許すつもりなどないんだろ?!」
「頼まれてもいないことに、お返事はできません」
息子の喉が動く。イルミナ様へ向きかけた靴先が戻り、敷物の上で足がそろう。
「……どんな顔で、あなたに頼めばいいんだ!」
「そのお顔で結構です。お願いの言葉を添えてください」
大伯母様が茶器を持ち上げ、笑いをその陰へ隠す。私は座ったまま、続きを待つ。息子の顔が、すぐにまた閣下へ戻る。握った拳が震え、開きかけた口から、続きが出ない。
「父上、二歳しか違わない女に、俺が頭を下げるのですか? 婚約を解消した相手に、今度は結婚を頼むのですか?」
イルミナ様の目が、息子の横顔を見上げる。何も言わずに、ただ待っている。その前で、息子の顎が少し下がる。
大伯母様が足をほどく。椅子の背から体を起こし、私を示す。茶器を置く音が、静かな客間に響く。
「私はこの娘を認めてるのよ? 息子のほうに躾がいるように見えるわ」
「くぅぅ……」
息子はがっくりと肩を落とし、しばらく震えている。静かな部屋に、息子の荒い息だけが響く。閣下は口を挟まない。イルミナ様も、重ねた袖を動かさない。
やがて息子がガバッと顔を上げ、こちらを向く。私の顔を見つめ――頭を下げる。金茶の髪が、午後の光に揺れる。顔を隠しても、耳の赤さは残る。
「母上! イ、イルミナとの結婚を――許してください」
返事を急ぎかけて口を閉じる。下げたままのつむじが、思っていたより小さい。途切れながらも届いた言葉を、急いで受け流してはいけない。
息子の上着は、肩のところでまだ震えている。そちらを見ているイルミナ様の唇も、何かを言う形に開きかけて止まる。私は衣装の上で掌を開く。
頭が上がるのを待たず、私も背を伸ばす。下がったままのつむじへ、はっきりと答える。
「許します。母として」
「えっ……?」
息子の声が、下がった頭のほうから漏れる。その肩がびくりと跳ね、イルミナ様が目を丸くする。
「あ……」
イルミナ様が深く礼をする。顔を上げたときには、膝に置いた指がほどけている。
「うれしいです! アンナリーゼ様、ありがとうございます。……結婚しても、お話を聞いていただけますか?」
「はい。伺いますわ。ふふっ」
イルミナ様が嬉しそうに頷く。息子が顔を上げると、そちらへ向き直る。その声が客間にはっきり響く。
「ゼヴェリン様にも、聞いていただきます!」
「……分かった。聞くから、話してくれ」
息子はまだ赤い耳をしている。けれど、顔をそらさずにイルミナ様を見ている。大伯母様が椅子の背へ体を戻し、口元を上げる。
「あら、壁が喋るようになったわね」
「……これからは、聞くほうもやります」
大伯母様の笑い声に、息子の眉が寄る。それでも言い返さず、イルミナ様へ向き直る。彼女が笑うと、息子のこわばっていた口元も、ようやく緩む。
閣下が私の隣に立つ。衣擦れが近づき、椅子のそばへ長く伸びる影が寄り添う。
目を上げると頷きが返り、私は重ねていた手の力を緩める。午後の光が、長椅子の背にやわらかく溜まっている。




