21. 今度は私たちの
婚礼の翌朝、食堂の窓から夏の光が差し込んでいる。焼きたての麦の匂いが漂い、銀の匙まで温かそうに光っていた。ローラントと先に卓についた私は、扉へ目をやる。昨夜の楽の音がまだ耳に残り、食器の触れる音にも、つい顔を上げてしまう。
離れから来た大伯母様が、扇の先で空いた椅子を示す。
「あら、もう揃っているのね。新しい娘の顔を見に来たのよ」
ローラントが、茶器を置いて顔を上げる。
「伯母様、離れで召し上がるはずでは?」
「昨日あんなに賑やかだったのよ。静かな朝ごはんなんて、味気ないじゃない」
大伯母様が上座に落ち着くと、イルミナ様が息子の袖を引いて入ってきた。結い上げた蜂蜜色の髪に、朝の光が透けている。
「お義母様、おはようございます!」
「……おはようございます、イルミナ様」
呼ばれたのが私だと分かっていても、その笑顔を見つめてしまう。遅れた返事にも、イルミナ様の頬はうれしそうに緩んだ。
「お義父様も、おはようございます」
「……お、おはよう」
ローラントの茶器が、受け皿の上で小さく鳴る。大伯母様の扇が、揺れる肩を隠しきれない。
「あら、ローラント。お義父様、ですって」
「……伯母様。朝から、からかわないでください」
息子はまだ眠そうで、イルミナ様に袖を引かれて座る。
「旦那様、お皿はこちらです」
「……分かってる」
そう言いながら、息子の顔は汁の皿へ近づいていた。
「眠いのでしたら、食後にお休みください」
「母上まで! 子ども扱いしないでくれ!」
息子が眉を寄せるので、私は皿へ目を向ける。
「大人でも、汁に顔を入れてはいけませんわ」
息子が黙って背を起こした。隣で茶器を置いたローラントが、私へ向き直る。
「アンナリーゼ。今度は私たちの式を、挙げないか?」
匙が皿に当たり、高い音が食堂に響いた。
「わ、私は後妻ですから」
「後妻かどうかは関係ない。君に訊いている」
匙を置こうとして、皿の縁に引っかける。
「で、ですが……家の用件でしたら、改めて書斎で」
「用件ではない。君の気持が知りたい」
卓を見渡しても、返事の代わりに整えられるものはない。
「皆様に、お手間を掛けることに……」
「手間の話も、今はしていない。君は、どうしたい?」
ローラントは茶器から手を離し、私のほうへ体を向け直した。
「お義母様の花嫁姿、見たいです!」
「……昨日、あんなに幸せそうなお姿を見せていただいて。私は、それで」
イルミナ様が首を振る。
「十分だなんて、言わないでください! お義母様だけ、見ているほうなんて……寂しいです」
身を乗り出したまま、声だけが細くなる。
「私も、お義母様をお祝いしたいです!」
「あら……うふふ。どうするの、アンナリーゼ?」
膝の上の布巾を握ると、縫い目が指の腹に食い込む。昨日、花嫁の袖から離せなかった目を、自分の袖口へ落とした。誰かのためになることなら、すぐに答えられるのに。
口を開いても、声が出ない。ローラントは茶器に手を戻さず、待っている。窓辺の葉影が、白い卓布をゆっくり渡っていく。
「……私も、挙げたいです」
皿へ落としかけた視線を、どうにか上げる。ローラントの唇がほどけ、その目尻に深く皺が寄った。
「……ああ。君と、挙げよう」
イルミナ様が両手を打ち合わせる。大伯母様の扇が高く上がる。
「楽しみが増えたわ!」
その扇が、すぐに閉じられた。
「でもね。当主の式には、嫡男の口上が要るのよ。口上の無い式は、この家では挙げないわ」
皆の目が息子へ向く。汁をすくいかけた匙が、皿の上で止まる。
「か……考えさせてください」
「だ、旦那様?」
息子はイルミナ様を見てから、父へ顔を向けた。
「……俺の口で言うことだ。軽々には答えられない」
母の許しを求めてはいないその目を見て、私は開きかけた唇を結び、布巾の上に手を戻す。
朝食の終わりに、ローラントが壁際の執事へ顔を向けた。
「親族に、知らせを出してくれ。リヒャルダにもだ」
執事が深く頭を下げる。
「かしこまりました」
◇
午後の書斎は、窓辺だけが明るい。机の木目を横切る光の中へ、執事が封書を差し出す。
「リヒャルダ様から、今朝のお知らせのお返事です」
「……早いな」
ローラントが封を切る。読み終えても何も言わず、私へ紙を差し出した。
『義兄上。姉の息子に、後妻の式の口上を述べさせるおつもりですか。』
紙の端が、指の下で折れる。慌てて伸ばしても、白い筋は消えない。
「……リヒャルダ様は、お怒りなのですね」
「姉を、大事にしていたからな。返事は、一行でいい」
ローラントが、新しい紙を引き寄せる。
「それだけで、よろしいのですか?」
「それ以上書くと、喧嘩になる」
低い声に笑いはない。私は折れた端をなぞり、手紙を机に戻した。
ローラントが筆を取り、迷わずに書く。
『十月十日に挙げる。』
「……十月十日、ですか?」
「秋の庭が、いちばんいい頃だ」
窓の外では、まだ青い葉が光っている。口を開きかけたとき、ローラントはもう紙を折っていた。
私は唇を閉じる。日については、まだ何も尋ねられていない。封を押さえる手元を、そのまま見ている。
◇
夕食を終えた卓には、家の者だけが残る。息子の隣でイルミナ様が茶器を両手で包み、窓の外の青が深まっていく。燭台の火が、銀器の縁に小さく揺れていた。
私は、ローラントのほうへ茶器を寄せる。
「旦那様、お茶のおかわりは?」
ローラントは茶器を持ったまま、こちらを見ている。
「……二人のときは、名で呼んでくれるのにな」
息子がむせ、慌てて口元へ布巾を当てる。
「ち、父上! 食卓で、そういうことは!」
「ふふっ、お義父様、かわいいです」
ローラントの眉が上がった。
「……かわいい、か」
「イルミナ、父上を甘やかすな」
イルミナ様は息子を見上げ、笑みを深くする。
「旦那様も、ときどき同じ顔をなさいます」
「し、しない!」
息子は口をとがらせ、隣の茶器へ目をそらした。
「ほら、今も」
「……今のは数えるな!」
耳が熱い。茶器の持ち手に掛けた力を緩めても、顔はなかなか上がらない。名を呼ぶだけなのに、皆に聞かれると思うと、喉が狭くなる。
それでも、笑い声のする卓で、私はローラントを見た。あの人の茶器も、まだ宙にある。息を吸うと、温かい茶の香りがする。
「ロ……ローラント。お茶の、おかわりは?」




