15. 招待客
翌週の午後、客間の薄い掛け布が風をはらむ。刈ったばかりの芝の匂いが、茶の香りに重なる。上座で扇を使う大伯母様の前へ、ジビュレ様がイルミナ様を連れて入り、名簿を広げる。
「花嫁の側のお客様は、こちらで選んでおきましたわ。どなたも、社交界で顔の広い方ばかりですの」
イルミナ様が裾をつまみ、膝を折る。胸元の青い石が光を返すけれど、顔は名簿へ向いたままだ。並ぶ婦人たちの名を追っていた指が、紙の下のほうで止まる。何か言いかけた唇が閉じ、名のない余白に影が落ちる。
「この名簿、あたしが見るわ」
大伯母様が扇を畳み、紙の端をつまみ上げる。
「あら、この方。よそのお宅の縁談を、いくつも噂で壊した方ね」
「大伯母様、それは噂で……」
ジビュレ様が笑ったまま、扇で風を送る。大伯母様はその風を気にせず、紙をずらす。
「噂を撒くのが得意な方ばかり並んでいるわね。なんて図々しいのかしら」
「皆様、お口は堅い方ばかりですのよ!」
大伯母様が、菓子の皿をちらりと見る。
「笑わせないで。閉じているのは、お菓子を噛むときだけでしょう?」
「そ、そのような言い方は! 花嫁の家の客を選ぶのは、花嫁の家ですわ!」
扇の風が止まる。ジビュレ様は椅子の背から体を起こし、大伯母様はゆったりと首を傾ける。
「そうよ。花嫁の家の客。……男爵の先の奥方のご実家の方が、誰も載っていないのは、どういうわけかしら?」
イルミナ様が膝の上で布を握る。折り目を作るほど握り込んでから、ようやく口を開く。
「……母の、姉たちの名前がありません。母が亡くなったあとも、ずっとお手紙をくださった方たちです」
「あちらとは、もう、お付き合いが……」
ジビュレ様が言い終える前に、イルミナ様が顔を上げる。
「あります! 私が、しています。……母を覚えている方まで、いなくなるのは嫌です」
「イルミナ様は、お招きしたいですか?」
握られた布が少し緩む。イルミナ様はジビュレ様を見ず、私へ頷く。
「……はい! 会いたいです!」
私は名簿を受け取って卓へ広げ、風でめくれる角を押さえる。
「ご招待は、この家からお出しします。花嫁の母君のご実家へも、お出しします」
「アンナリーゼ様、手紙だけのお付き合いですのに!」
ジビュレ様の扇がこちらを向く。私はその目を見て頷く。
「では、ご招待の手紙も届きますね」
「そ、そういうことを申しているのでは……!」
大伯母様が、並んだ婦人たちの名を指で弾く。
「この方々は、あたしの茶会にも呼ばないわ」
「大伯母様、それは花嫁の家の……」
大伯母様は答えず、扇の先で名を一つずつ示すだけだ。私は筆を取る。
「では、この方々へは、お出ししません」
婦人たちの名に、私が線を引く。それから、イルミナ様の口にする名を余白へ書き添える。消えた名の下に、母君のご実家の名が並ぶ。イルミナ様は紙に顔を近づけ、乾く前の字を見つめる。
「……伯母様たちに、会えるんですね。うれしいです。母に似ているところ、聞いてもいいでしょうか?」
「はい。お会いして、たくさんお話しください」
イルミナ様の頬に笑みが広がる。ジビュレ様の膝で扇が閉じると、戸口で執事が頭を下げる。
「リヒャルダ様が、お見えです」
深い紺の衣装をまとい、淡い金の髪をきつく結い上げたリヒャルダ様が入ってくる。窓からの光を受けても、青い目は冷たいままだ。
「あら、珍しいこと。あなたが、この客間に」
「メヒティルト様。姉の息子の婚礼ですもの。姉の実家の名が載っているか、見に来ました」
私が椅子へ手を向けても、リヒャルダ様の靴先は卓の前で止まる。
「お茶をどうぞ。おかけになりませんか?」
「長居はいたしません」
私は花婿の側の名簿を差し出す。先の奥様のご実家の名は、もう載っている。手袋が紙の端を押さえ、青い目が文字を追う。やがて、その目が私へ上がる。
「姉の息子の婚礼を、あなたがお仕切りになるのね」
「母の務めですので」
名簿を置く音が、妙にはっきり聞こえる。
「……母、ね」
茶器を持ち上げかけた手が止まる。白い器と受け皿の間に、狭い隙間が残る。唇を開いても声が出ず、茶器の重みだけが手首にかかる。
ジビュレ様が扇を開き、リヒャルダ様へ寄っていく。
「先の奥様の妹君。お気持ち、お察ししますわ。後から来た方に、何もかも取られて……」
リヒャルダ様の目が、線の引かれた花嫁の側の名簿に落ちる。大伯母様が、扇の先で紙を押さえる。
「その紙ね、イルミナの亡くなった母親のご実家が、すっかり抜けていたの。男爵夫人がお選びの名簿よ」
リヒャルダ様の青い目が、紙からジビュレ様へ移る。
「……イルミナさんの母君のご実家を、名簿から外したのは、あなたでしょう?」
ジビュレ様の唇が、笑みの形のまま動く。
「そ、それは、行き違いで……」
寄せられた扇から、リヒャルダ様が一歩離れる。
「私は、あなたのような方と組みません」
笑みが固まる。扇だけが開いたままで、風は来ない。リヒャルダ様は私には何も言わず、裾を返す。紺の色が戸口を過ぎ、廊下に響く足音が遠ざかる。
「あら、あの子。あいかわらず、姉さん思いね」
大伯母様へ答えようとしても、喉が動かない。茶器を戻すと、受け皿の縁に当たって小さく鳴る。私は、音のしたところから目を上げられない。
◇
夕方、客の帰った庭に、木々の影が長く伸びる。花びらを閉じはじめた花の間を、昼より冷えた風が抜けていく。隣を歩くローラントが立ち止まり、私の顔をのぞく。
「疲れたか?」
「……少しだけ」
うつむきかけた私に合わせて、ローラントも首を傾ける。
「では、ゆっくり歩こう」
「……でも、ロ、ローラントは、お忙しいでしょう?」
名を呼ぶ声が途中でつかえる。ローラントは急かさず、私の顔を見たまま答える。
「妻と庭を歩くより、急ぐ用は無い」
足もとの砂利が鳴る。私が足を緩めれば、隣の靴もゆっくりになる。
「……お待たせして、ばかりですね」
「待つのも、君といる時間だ」
ローラントの目尻が緩む。腕を差し出す前に、私を見る。
「……腕を、貸してもいいか?」
袖へ目を落とし、すぐには頷けない。夜会の夜は、差し出された腕を借りるので精いっぱいだった。今は、私の返事を待つ腕がある。
袖の端が、風でかすかに揺れる。そこに触れたいと口にする代わりに、空いている手を持ち上げる。上着の布へ自分から指を添えると、縫い目の硬さが指先に触れる。
「……はい」
ローラントの袖に添えた私の指に、夕方の光が淡く落ちている。




