12. 嫁入り支度
翌週の朝、玄関の広間で男爵夫人のジビュレ様からの文を開く。花嫁の支度を、ぜひご覧いただきたく、とある。花嫁の家で調える品を、この目で確かめておきたい。
開いた扉から春の風が入り、外套の裾を揺らす。馬車には、もう大伯母様が乗っている。
「あたしも行くわ。男爵家の嫁入り支度なんて、見ものじゃない」
息子が階段を駆け下りてくる。
「母上。……俺も、行っていいか?」
「イルミナ様のお家です。お行儀よく」
「わ、分かってる!」
私は、息子が二段飛ばしで駆け下りてきた階段と、跳ねたままの襟へ目を向ける。
「では、まず歩くところからですわ」
「嫁入りの話の前に、歩き方からなのか!?」
息子が口を結んで馬車に乗り込む。動き出すと、大伯母様がその顔をのぞき込む。
「あら、顔が固いわ。イルミナの家へ行くのは初めて?」
「……初めてです」
「よく見ておきなさい。あの娘が育った家よ」
息子は膝の上で手を組む。車輪が石畳を越えるたび、袖口の布が引きつれる。
男爵家の生け垣は、伸びた枝が道にはみ出している。玄関の掛け布は色褪せ、折り目だけが濃い。ジビュレ様が扇を広げて迎える。
「まあ、大伯母様まで。あいにく夫は出かけておりまして」
案内されたイルミナ様の部屋には、衣装箱のほかに包みもない。畳んだ布の隙間に、広い底板が見える。窓の掛け布だけが、妙に新しい。
「ご覧のとおりですの。男爵家では、とても公爵家にふさわしいものは……せめて衣装だけでも、公爵家で」
「こちらのお家のお品を、先に。この箱のほかには?」
「ですから、これだけで……」
イルミナ様が盆で茶を運んでくる。袖をよけ、客へ器の持ち手をそろえる手つきは、侍女のように慣れている。
箱の縁に手を置いたまま、私は底板へ目を落とす。父と母が決めた私の嫁入りの品にも、自分で選んだものはなかった。イルミナ様のお望みを訊くはずの言葉が、出てこない。
扉が開き、連れ子のツィタ様が入ってくる。胸元に、古い金の首飾り。小さな青い石が揺れ、ジビュレ様を振り返る拍子に、留め金の細い傷まで見える。
イルミナ様の盆が傾き、茶器がカチリと鳴る。大伯母様が目を細める。
「あら、その首飾り……昔の夜会で、別の方の胸元にあったわね」
「古い品ですもの。似た物は、いくらでも」
「留め金の傷まで似るものかしら。男爵の先の奥方が、嫁いだ年の夜会で着けていたわ」
ジビュレ様の扇が止まる。息子は、イルミナ様へ顔を向ける。
「イルミナ。あれは、お前の母君の品か?」
「……はい」
「取り戻したいか?」
イルミナ様が盆を卓に置く。離した両手が行き場を探すように揺れ、衣装の布をつかむ。伏せかけた目が、息子へ戻る。
「……はい!」
「男爵夫人。それは、イルミナに返してもらう」
「まあ、若様。男爵家の中のことに、お口を?」
甘い声に、息子の顎が上がる。
「口は出す。イルミナが、返してほしいと言ったんだ!」
「ツィタがもらったの! お母様がくれたの!」
ツィタ様が青い石を握り込む。
「くっ……もらった、じゃない! イルミナの母君の品だ!」
「この子は、欲しいとも言いませんでしたのに」
ジビュレ様の扇の向こうで、イルミナ様の唇が震える。
「……言えなかったんです。母のものを欲しがるのも、わがままですか?」
「わがままなものか! 男爵夫人、返事なら今、聞いただろう!」
扇が私のほうへ向く。ジビュレ様は笑みを保ったまま、声だけを高くする。
「アンナリーゼ様なら、お分かりでしょう? 継母が家の品をどう分けても、よろしいでしょう?」
「花嫁の母君のお品なら、花嫁の嫁入りの品に加えるものですわ」
大伯母様が、閉じた扇で首飾りを示す。
「あら、返すなら今よ。次の茶会で、この首飾りの昔話をしてもいいのだけれど?」
ジビュレ様の笑みが動かなくなる。それでも口元を緩めず、ツィタ様の背へ回る。自分の手で留め金を外し、首から鎖を抜き取る。
「ツィタに似合うと思っただけですのに」
首飾りが、イルミナ様の掌に置かれる。大伯母様は、ジビュレ様の手が離れるまで見届ける。
「お母様!」
ツィタ様は顔を覆って泣き声を上げるが、指の隙間からこちらを見ている。誰も動かない。
イルミナ様が首飾りを両手で包む。握りしめかけて、そっと力を緩める。開いた掌の中で、青い石が光る。
「……おかえりなさい」
息子が口を結び、窓へ目を逃がす。イルミナ様は首飾りから顔を上げると、ほどけた声で続ける。
「ありがとうございます、ゼヴェリン様。……うれしいです!」
「礼は要らない。……お前の母君のだ」
帰りの馬車で、大伯母様が窓の外を向いたまま言う。
「あの娘、盆を持つ手つきが慣れすぎていたわ」
息子が膝の上で拳を握る。
「……俺は、あの家のことを、何も知らなかった」
私は返事の代わりに頷く。息子の拳は、馬車が角を曲がってもほどけない。
◇
その夜、書斎で帳簿を開く前に、ローラントが自分で茶を注ぐ。注ぎ口から落ちる茶が、灯りを透かして細く光る。
「……閣下が、お茶を?」
「ローラントだ」
茶壺を持つ手は止まらず、目だけが私へ向く。
「……ロ、ローラントが、お茶を?」
「ははっ。注ぐくらいは、できる。若いころ、伯母様に仕込まれた」
私の前に茶器が置かれる。白い湯気に、茶の香りがほどける。
「大伯母様に、ですか?」
「渋いと、よく叱られた」
受け取った茶器が掌に温かい。口をつけると、舌に少しだけ渋みが残る。
「……少し、渋いです」
「むぅ……伯母様と同じことを言う」
ローラントが茶壺へ目を落とす。私は温かい器を包み直す。
「で、でも……また、淹れていただけますか?」
「……ああ。喜んで」
湯気の向こうで、ローラントの耳の先が赤い。




