11. 同じ後妻同士
許しの日の翌週、朝の客間で、私は侍女と茶器を並べる。窓の外では若葉が光を透かし、白い卓布に淡い影を揺らす。男爵家からの手紙には、許しの日のあとで返事を出した。婚礼のご相談に、ご家族でお越しください、と。書き出せずにいた文を結んだときの軽さが、まだ手に残っている。
息子が入ってきて、襟を直す。戸口で直し、卓の前でも直す。
「……母上。客の並び順は、どうする?」
蓋に添えた私の手が止まる。コトリ、と茶器が鳴る。顔を上げても、息子は空いた椅子を見ている。
「イルミナ様のお隣に、おかけください」
「……分かった。男爵夫人は、どんな人だ?」
耳を赤くしたまま、息子の手がまた襟へ戻る。
「お手紙の字は、整っていらっしゃいます」
「字の話じゃない!」
「お会いしておりませんので。それから、襟はもう整っています」
息子は口を開きかけ、襟から手を離す。戸口で執事が頭を下げる。
「男爵家の皆様が、お見えです」
男爵が帽子を両手で持ち、何度も頭を下げて入ってくる。その後ろには、赤茶の髪を高く巻き上げた男爵夫人のジビュレ様。同じ色の髪を左右に結んだ、連れ子のツィタ様が続く。最後に入るイルミナ様の腕には、ジビュレ様の肩掛けがある。
ローラントが当主として迎え、長椅子を示す。ジビュレ様は挨拶もそこそこに私へ近づき、訊きもせず、私の両手を包み込む。
「まあ、アンナリーゼ様。お若いこと」
緑の目が細くなる。重なった手の間で、指輪の飾りが硬く当たる。
「同じ後妻同士、仲良くしましょう?」
「……はい。後妻であることは、同じです」
そこから先の言葉が続かない。手を引こうとする腕も遅れる。ほどけたあとまで、指輪の当たっていたところが気になる。私はそこを撫でず、卓のほうへ向き直る。
腰を下ろすなり、ジビュレ様が扇の先をイルミナ様へ向ける。
「イルミナ、皆様にお茶を」
イルミナ様が腰を浮かせる。抱えた肩掛けがずり落ちかけ、茶器へ伸ばしかけた手が布を押さえるほうへ戻る。
「イルミナ様は、今日はお客様です。この家のお茶は、この家の者がお注ぎします」
侍女が盆を持って進み出る。ジビュレ様の笑みが固まり、注がれる茶へ目を落とす間に戻る。
「まあ、この子は慣れておりますのに。座っているほうが、落ち着かなくて」
「では、今日はゆっくりお座りいただきましょう。お客様をおもてなしするのは、この家の務めですわ」
イルミナ様が座り直す。肩掛けの端をそろえ終えてから、ようやく茶器へ顔を上げる。
「それで、婚礼のことですけれど。お式もお支度も、公爵家でお持ちくださいますわねえ? 男爵家の品では、公爵家に恥をかかせてしまいますもの」
「婚礼の日取りとお客様のご招待は、わたくしがお預かりします」
茶器を置き、背を伸ばす。向かいの笑顔を見て、続きを告げる。
「花嫁の支度は、花嫁のお家の務めです」
「まあ、冷たい。同じ後妻なら、お分かりでしょう? 継母なんて、尽くしても感謝されませんのよ」
「お礼がなくても、花嫁には支度が要ります。お持ちになる品を、ご相談しましょう」
ジビュレ様の扇が、膝の上で閉じる。唇の端は上がったままなのに、声が高くなる。
「まあ! こちらの懐具合をご存じないから、そうおっしゃるのですわねえ?」
「高価なお品を求めてはおりません。まず、花嫁のお望みを伺うのが先ですわ」
ジビュレ様の隣で、男爵が帽子のつばを握る。
「つ、妻の申しますとおりでして……男爵家では、とても……」
「あなたは黙っていらして。……閣下からも、ひと言いただけませんこと?」
「婚礼のことは、妻に任せてある」
ローラントの声は短い。ジビュレ様は返事を待つ顔のまま、やがて私へ目を戻す。
「……では、日取りは来月早々に。噂の冷めないうちがよろしいでしょう?」
「日取りは、おふたりに決めていただきます」
開いた扇が、茶の湯気を押し流す。ジビュレ様は笑いながら首を傾ける。
「子どもに決めさせるのですか?」
「子どもじゃない!」
息子の声が茶器を越えて響く。ジビュレ様へ乗り出しかけた体を戻し、隣のイルミナ様へ向き直る。
「……イルミナ。お前は、いつがいい?」
イルミナ様の目がジビュレ様へ動きかけ、息子の顔へ戻る。肩掛けは、握ったところだけ深くへこんでいる。息子は口を閉じて待つ。私も、持ち上げかけた茶器を置く。
「……六月二十日が、いいです。母が、嫁いだ日です」
カチリ、と男爵の茶器が受け皿で鳴る。帽子の置かれた膝に、茶がこぼれる。ジビュレ様の笑みが止まる。
「なら、六月二十日だ」
「……私の思い出で、決めてしまってもいいんですか?」
息子の眉が寄る。けれど、イルミナ様へ向ける声は、先ほどよりずっと低い。
「俺がお前に訊いたんだぞ。お前が大事にしている日なら、それがいい」
「……うれしいです。母には、もう見てもらえませんけれど……同じ日に、お嫁に行けるんですね」
言葉の終わりが細くなる。それでも、イルミナ様は顔を伏せない。
息子はその顔を見てから、私へ向き直る。
「……それで、いいか?」
「はい。家の返事として、承ります」
イルミナ様の肩がゆっくり下がる。その隣で、ツィタ様が両手を頬に当て、息子を見上げる。
「お義兄様って、優しいのね」
イルミナ様の指が、肩掛けの房を握る。ほどけかけていた布に、また細い皺が寄る。
帰り際、玄関の広間でジビュレ様が振り返る。
「また伺いますわねえ、アンナリーゼ様」
その後ろを、イルミナ様が肩掛けを抱えて歩いていく。ずり落ちる端を持ち上げるたびに、歩みが小さくなる。扉の外へ出る前にこちらを振り向き、布を抱えたまま、深く頭を下げる。
◇
客の帰った廊下には、窓から昼の光が差している。遠ざかる車輪の音が消えると、隣を歩くローラントの衣擦れまで聞こえる。差し出しかけた手が、私に触れる前で止まる。
「……手を、取ってもいいか?」
「は、はい、閣下」
「二人のときは?」
廊下の先を見てしまう。誰もいない。目を戻すと、ローラントは同じところで待っている。
「ロ、ローラント……様」
「様は、要らない」
言い直そうとして、唇だけが動く。あの夜は呼べた名なのに、顔がよく見える明るさの中では、最初の音さえ喉につかえる。
「ははっ。手を重ねるより、名を呼ぶほうが難しいかな?」
「て、手は……置く場所が、分かりますので」
ローラントの口元が緩む。差し出された掌に、私は自分の手を乗せる。返事を待ってくれた手が、ゆっくり包んでくれる。さっきは抜くのが遅れた手を、今度は離したくなくて、そっと握り返す。顔は、まだ上げられない。
「……明日までに、練習しておきます」




