価値を書き換える俺は、正義を名乗れない③
その日の帰り道。
空は晴れているのに、視界は妙に重かった。
さっき見た光景が、頭の奥にこびりついて離れない。
倒れた子供。
何の前触れもなく崩れ落ちて。
そして――“ゼロ”になった数値。
「……ねえ」
隣を歩く白峰が、静かに口を開いた。
「あなた、これからどうするの」
逃げ場のない問いだった。
「……やめるべきだと思うか」
俺はあえて聞き返す。
「思うわ」
迷いはなかった。
「使えば、誰かが死ぬ」
「もう、わかってるでしょ」
「……ああ」
否定はできない。
「だったら――」
言いかけて、白峰は言葉を止める。
「……でも」
小さな声。
「完全に使わないって決めるのも、怖い」
視線が揺れている。
「あなたの力がなかったら、私は昨日死んでた」
事実だ。
「……それでも?」
「それでも」
「簡単に使っていい力じゃない」
正しい。
だからこそ、厄介だ。
「……じゃあ、見捨てるのか」
気づけば、口にしていた。
「またああいうのがあっても」
「何もしないで、見てるだけか」
白峰が言葉に詰まる。
答えはない。
あるはずがない。
「……少なくとも」
俺は続ける。
「“誰でもいい”ってわけじゃない」
足を止める。
「対象は選ぶ」
「……あなた」
「完全に無差別じゃないなら」
「まだマシだと思ってる」
歪んだ理屈だ。
自覚はある。
「……それ、正当化よ」
「そうだな」
あっさり認める。
それでも。
「何もしないよりはいい」
その一線だけは、譲れなかった。
「……最低ね」
「……ああ」
否定はしない。
「それでも、やるのね」
「……ああ」
その一言で、決まった。
ギルド。
いつも通りの喧騒。
だが、今日は違って見える。
視界に浮かぶ数値。
人の“価値”。
その中で。
一人の男に目が止まる。
カウンターの奥。
乱暴に書類を扱う男。
「次、早くしろ」
「詰まってんだよ」
苛立ちを隠そうともしない。
「……不備だな」
差し出された書類を、ろくに見もせず突き返す。
「え、でもそれは――」
「規則だ。読め」
取り合わない。
視界に数値。
――黒崎 恒一(価値:83)
「……ああいうのも、仕事よ」
白峰が小さく言う。
「ルールで動いてるだけ」
「そうだな」
俺は頷く。
「でも」
視線は外さない。
「あいつ、自分で線引いてる」
価値の低い人間には露骨に雑だ。
逆に、高い相手には笑顔を見せる。
「……だからって」
「今回は殺さない」
言葉を被せる。
白峰が息を呑む。
「少しだけ下げる」
「それでどうなるかを見る」
「それでも……」
「完全に何もしないよりはマシだ」
繰り返す。
自分に言い聞かせるように。
手を伸ばす。
――83
触れる。
ざらついた感触。
「……10だけ」
83を、73に。
その瞬間。
世界が、わずかに軋んだ。
「……っ」
頭の奥に走る違和感。
だが、目を逸らさない。
数秒後。
「……あ?」
黒崎の手が止まる。
「……なんだこれ」
書類を見直す。
「計算、合わねえ……?」
小さな綻び。
それだけだ。
だが。
それは確かに“始まり”だった。
その日。
それ以上は何も起きなかった。
少なくとも、目に見える範囲では。
――夜。
「……やっぱり」
白峰がぽつりと言う。
「何か、起きてる」
「……ああ」
俺も感じていた。
あの“軋み”は、あれで終わるはずがない。
翌日。
ギルドは、いつもよりざわついていた。
「黒崎がミスったらしいぞ」
「は?あいつが?」
耳に入る噂。
カウンターを見る。
黒崎の動きが、明らかにぎこちない。
「……くそ、なんでだ」
書類を何度も見直している。
「おい、それ昨日も間違えてただろ」
同僚に指摘される。
「……は?」
「同じとこミスってんだよ」
「そんなはずねえだろ」
苛立ちが増していく。
だが。
手は、確実に狂っている。
「……あなた」
白峰が小さく言う。
「始まってる」
「……ああ」
視界に数値。
――73
昨日のまま。
だが。
“中身”が変わっている気がした。
昼過ぎ。
「黒崎、ちょっと来い」
上司に呼ばれる。
「……なんすか」
「お前、最近ミス多すぎる」
「は?いや、それは――」
「言い訳いいから」
冷たい声。
周囲の視線が集まる。
黒崎の顔が、わずかに歪む。
「……チッ」
舌打ち。
その瞬間。
空気が、少しだけ変わった。
周囲の見る目が。
“評価”が。
確実に下がった。
「……効いてる」
思わず呟く。
「あなた……」
白峰の声には、明確な警戒があった。
だが。
目が離せない。
たった10。
それだけで。
ここまで崩れる。
「……すごいな」
口から漏れた言葉に、自分で驚く。
恐怖じゃない。
これは。
理解だ。
そして。
ほんの少しの――高揚。
「……あなた、それ」
「わかってる」
白峰の言葉を遮る。
わかっている。
これは、間違っている。
それでも。
視線は、黒崎から離れない。
崩れていく過程が。
あまりにも、はっきり見えるから。
そのとき。
遠くで、誰かの悲鳴が上がった。
「また……!」
心臓が、嫌な音を立てる。
振り向く。
人が倒れている。
見えなくても、わかる。
これは。
“その続き”だ。
「……っ」
白峰が息を呑む。
俺は。
目を逸らさなかった。
逸らせなかった。
目の前で崩れていくものと。
見えないどこかで失われるもの。
その両方が。
“繋がっている”と、理解してしまったから。




