最終話 私より性格の悪い妹は、私より幸せになるつもりらしい
それから、一か月が経った。
グレイアム侯爵家への調査は、予想以上に大きな問題へと発展した。
侯爵家が管理していた公共事業の資金に、不自然な流用が見つかったのだ。
レイモンド自身がそれに関与していたわけではなかった。
けれど、彼は父親から渡された金を何の疑いもなく使っていた。
私の妹への贈り物。
舞踏会のための馬車。
宝石。
高級な食事。
そして、私には一度も説明しなかった数々の出費。
その一つ一つが、証拠として積み上がっていった。
私は王宮から呼び出され、何度か事情を聞かれた。
そのたびに同じことを答えた。
「私は知りませんでした」
本当に、それだけだった。
そしてある日。
レイモンドとの婚約解消が正式に認められた。
私が自分から望んだわけではない。
彼のほうから婚約を解消した。
だから、私の家に非はなかった。
むしろ。
侯爵家からは、騒動に巻き込んだことへの謝罪まで届いた。
*
「お姉様」
セシリアが私の部屋へ入ってきた。
「どうしたの?」
「お茶を飲みに来ました」
「珍しいわね」
「何がです?」
「あなたから誘ってくるなんて」
セシリアは笑った。
「では、お帰りになります?」
「いいえ。座って」
妹が向かいに座る。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
私は紅茶を一口飲んだ。
「セシリア」
「はい」
「あなたに聞きたいことがあるの」
「何でしょう?」
「どうして、あんなことをしたの?」
妹は黙った。
「レイモンド様に近づいたこと」
「……」
「贈り物を受け取ったこと」
「……」
「私の前で、彼を好きだと言ったこと」
「……」
「私があなたを嫌いになっても構わないようなことまで言ったこと」
私は妹を見る。
「全部、何のためだったの?」
セシリアはしばらく黙っていた。
やがて。
「お姉様を守るためです」
と答えた。
私は目を瞬いた。
「……え?」
「最初は、ただの好奇心でした」
「好奇心?」
「レイモンド様が、あまりにもおかしな行動をするので」
妹は苦笑した。
「婚約者であるお姉様より私を見ている。贈り物をする。手紙を送る。二人きりになろうとする」
「……」
「私は思ったのです」
セシリアの声が低くなる。
「この方は、お姉様を妻にする気がないのだろう、と」
「それで?」
「試してみました」
「何を?」
「私が少し優しくしたら、どこまで来るのか」
私は絶句した。
「……それは」
「性格が悪いでしょう?」
妹は笑った。
「ええ。自覚しています」
「あなた……」
「でも、思った以上でした」
セシリアは指を折る。
「手紙」
「贈り物」
「二人きりで会おうとすること」
「お姉様との婚約を解消したいという相談」
そして。
「私と結婚したいという言葉」
「……」
「全部、記録しました」
私は息を呑んだ。
「では、あの帳簿は……」
「証拠です」
「でも、あなたは私に何も言わなかった」
「言えませんでした」
「どうして?」
「お姉様は、きっと私を止めるでしょう?」
私は答えられなかった。
たしかに。
もし最初から妹が、
「レイモンド様を罠にかけます」
などと言っていたら。
私は必死で止めていたと思う。
「だから私は、悪い妹になりました」
セシリアは微笑んだ。
「お姉様が私を嫌いになるように」
「……」
「お姉様が私を疑うように」
「……」
「そして、レイモンド様には、私が本当に彼を好きなのだと思わせるように」
私はしばらく何も言えなかった。
胸の奥が熱くなる。
「どうして……」
ようやく声を絞り出す。
「どうして、そこまでしてくれたの?」
セシリアは少しだけ目を伏せた。
「妹ですもの」
「それだけ?」
「……それだけではありません」
顔を上げる。
「私は、お姉様に幸せになってほしいのです」
その言葉は、とても静かだった。
「小さい頃から、ずっと」
「……セシリア」
「お姉様は、いつも自分より誰かを優先するでしょう?」
「そんなこと……」
「あります」
きっぱり言われた。
「だから、私が悪いことをすることにしました」
「……」
「お姉様が自分で戦えないなら、私が代わりに戦えばいい」
私は目を伏せた。
涙が一粒、膝の上に落ちた。
「……ありがとう」
「お姉様」
「本当に、ありがとう」
「泣かないでください」
「だって」
「困りますわ」
妹は少し困ったように笑った。
「私まで泣いてしまいますもの」
*
「でも」
セシリアが言った。
「一つ訂正があります」
「何?」
「私は、お姉様のためだけにあんなことをしたわけではありません」
私は顔を上げた。
「……どういう意味?」
「そのままの意味です」
妹は紅茶を飲む。
「私は、自分のためにも動いていました」
「自分のため?」
「ええ」
そこで妹は、少しだけ得意そうな顔をした。
「お姉様」
「何?」
「私、政略結婚そのものを嫌っているわけではありません」
「そうなの?」
「貴族ですもの。家のために必要なら、受け入れます」
「ええ」
「ですが」
妹が微笑む。
「私は、恋愛結婚がしたいのです」
「……」
「できれば」
妹は窓の外を見る。
「とても素敵な方と」
「それは……」
「家柄も、それなり」
「まあ」
「財力も、それなり」
「セシリア」
「将来性も、もちろん必要です」
「あなた……」
「何でしょう?」
「本当に欲深いわね」
「褒め言葉として受け取りますわ」
私は思わず笑った。
「それで?」
「それで?」
「相手はいるの?」
「おります」
即答だった。
「……誰?」
セシリアは答えなかった。
代わりに、テーブルの上に一枚の紙を置いた。
私は目を落とす。
そこには、王家の紋章が押されていた。
「これは……」
「先日、王宮からいただいたものです」
「何の書類?」
「お誘いです」
「誰から?」
セシリアは微笑んだ。
「王弟殿下から」
「……」
私は言葉を失った。
「王弟殿下?」
「はい」
「あなた……いつの間に?」
「レイモンド様に近づくより、ずっと前です」
「え?」
「正確には、一年前から」
「一年……?」
妹は優雅に紅茶を飲んだ。
「お姉様」
「何?」
「私が本当に欲しいものを、どうして伯爵令息程度だと思いました?」
私は目を見開いた。
「……セシリア」
「レイモンド様は、最初から眼中にありませんでした」
「では、あの人にあれほど近づいたのは?」
「証拠集めです」
「宝石も?」
「証拠集めです」
「手紙も?」
「証拠集めです」
「好きだと言ったのも?」
「証拠集めです」
妹はにっこり笑った。
「ついでに、お姉様の婚約者を処分できれば一石二鳥でしょう?」
私は頭を抱えた。
「あなた、本当に性格が悪いわ」
「存じております」
*
「でも」
私は笑いながら聞いた。
「王弟殿下との結婚なんて、そんな簡単にいくの?」
「もちろん簡単ではありません」
「でしょうね」
「だから、これから頑張るのです」
「頑張るって……」
「まずは気に入っていただかなければ」
妹の目が輝いている。
私は初めて気づいた。
この子は、恋を夢見ている。
ただし。
普通の令嬢とは少し違う。
白馬の王子様が迎えに来るのを待っているのではない。
自分から王子様を捕まえに行くつもりなのだ。
「お姉様」
「何?」
「一つ、お願いがあります」
「何かしら?」
「私の恋を応援してくださいません?」
私は笑った。
「もちろんよ」
「本当に?」
「ええ」
「では、これを」
妹が一枚の紙を差し出す。
「何?」
「王弟殿下のお好きなものをまとめました」
「……」
私は紙を受け取る。
そこにはびっしりと書き込まれていた。
好きな食べ物。
苦手なもの。
趣味。
最近読んだ本。
親しい友人。
王宮での行動時間。
そして。
『知性があり同じ目線で会話のできる女性を好む』
私は思わず吹き出した。
「あなた……」
「何です?」
「私と同じことをしているじゃない」
「そうですか?」
「好きな人のことを調べて」
「ええ」
「好みを把握して」
「ええ」
「どうすれば喜ぶか考えて」
「もちろん」
私は笑った。
「やっぱり、あなたは私よりずっと性格が悪いわ」
「ありがとうございます」
妹は嬉しそうだった。
*
その後。
私にも、新しい婚約者が決まった。
伯爵家の次男で王宮の法務官。
真面目で、誠実で、私の話を最後まで聞いてくれる人。
何より。
私ではなく、妹でもなく。
私自身を見てくれる人だった。
「お姉様」
「何?」
「幸せですか?」
「ええ」
「本当に?」
「本当よ」
「なら、よかった」
セシリアは満足そうに笑った。
「私も、幸せになりますから」
「ええ」
「お姉様には負けませんわ」
「何の勝負なの?」
「幸せの勝負です」
「そんなもの、勝ち負けじゃないでしょう?」
「私は勝ちたいのです」
私は呆れた。
「本当に欲深い妹ね」
「姉妹ですもの」
「それは関係ないでしょう」
「いいえ」
セシリアは笑う。
「お姉様が幸せになるなら、私も幸せになりたい」
「……」
「二人とも幸せなら、そのほうがいいでしょう?」
私は頷いた。
「そうね」
*
数日後。
王宮から帰ってきた妹が、珍しく疲れた顔をしていた。
「どうしたの?」
「疲れました」
「王弟殿下とお会いしたのでしょう?」
「ええ」
「どうだった?」
「とても意地悪な方でしたわ」
「まあ」
「私が何を言っても、すぐに見抜こうとなさるのです」
「それは大変ね」
「ですが」
セシリアは楽しそうに笑った。
「私も負けません」
「……そう」
「むしろ、燃えてきました」
私はため息をついた。
どうやら妹の恋は、私の恋よりずっと大変そうだ。
けれど。
それでいいと思う。
私はもう、自分を犠牲にする必要はない。
妹もまた、自分の幸せを諦める必要はない。
姉だから。
妹だから。
貴族だから。
女だから。
そんな理由で、人生を誰かに決められる必要はない。
幸せになりたいなら。
自分で選べばいい。
自分で掴めばいい。
たとえ。
そのために少しくらい、性格が悪くなったとしても。
*
後日。
私はセシリアから一通の手紙を受け取った。
『お姉様へ。
本日、王弟殿下から二度目のお茶のお誘いをいただきました。
どうやら、私のことが少し気になっているようです。
これは脈があると判断してよろしいでしょうか?
それから、お姉様。
以前教えていただいた白薔薇の件ですが、大成功でした。
殿下はたいそう喜ばれました。
ありがとうございます。
やはり恋というものは、楽しいものですわね。
もちろん、まだ油断はいたしません。
相手が王弟殿下だからといって、こちらが簡単に落とされて差し上げる必要もありませんもの。
私は、私の幸せを自分で選びます。
お姉様も、どうかご自分の幸せを大切にしてください。
では、また。
追伸。
お姉様の新しい婚約者様へ。
もしお姉様を泣かせたら、私が許しません。
――妹より』
私は最後まで読んで、笑った。
「……本当に、性格が悪いんだから」
けれど。
その言葉には、もう悪意などなかった。
窓辺には真紅の薔薇が飾られている。
以前は。
真っ赤な薔薇を見るたび、レイモンドのことを思い出した。
婚約が決まってから、私の元を訪れる時はいつも真っ赤な薔薇を送ってくれていた。…妹に恋するまでは。
でも、今は違う。
妹が掴もうとしている未来。
私が掴み始めた未来。
その両方を思い浮かべる。
そして私は、新しい帳簿を開いた。
最初の頁に、ゆっくりと書く。
『今日、私は幸せだった』
少し考えて。
その下に、もう一行。
『妹も、たぶん幸せだった』
さらに少し考えて。
私は笑いながら、こう付け加えた。
『ただし、妹のほうがもっと大きな幸せを狙っているらしい』
窓の外から、春の風が吹き込んだ。
窓辺に飾った薔薇の花びらが揺れる。
きっと妹は、これからも欲しいものを諦めない。
姉の幸せも。
自分の幸せも。
恋も。
未来も。
全部、自分の手で掴むつもりなのだろう。
そんな妹を見ていると。
私も、少しくらい欲張ってみてもいい気がしてきた。
私は帳簿を閉じる。
そして、笑った。
「……お互い様ね、セシリア」
完璧な妹は。
やっぱり私より、ずっと性格が悪い。
――そして。
どうやら私は、そんな妹が嫌いではないらしい
これにて完結です。最後までお読みいただきありがとうございました!
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