第三話 完璧な妹は、何もかも知っていた
「私の名前が、資料に出ている?」
父の言葉を、私はもう一度繰り返した。
「ああ」
「どういうことでしょう?」
「分からない」
父は困惑した顔で首を振る。
「ただ、王宮から届いた書状には、お前がグレイアム侯爵家から受け取った金品について確認したい、と書かれている」
「金品……?」
私は首を傾げた。
「私は何も受け取っておりません」
「そうだな。お前が贈られたものといえば、婚約当初にレイモンド殿からもらった花くらいだ」
「それ以外は……」
言葉が止まった。
セシリア。
妹の顔が浮かぶ。
レイモンドから贈られた宝石。
菓子。
本。
髪飾り。
そういえば、最近は私の知らないところで、彼から妹へ何かが届いていることも多かった。
「お父様」
「何だ?」
「妹が何か知っているのではないでしょうか」
父は眉を寄せた。
「セシリアが?」
「はい」
けれど。
私はすぐに首を横に振った。
「……いえ。きっと違います」
「なぜそう思う?」
「分かりません」
私は答えた。
妹を疑いたくなかった。
いや。
正確には。
疑うのが怖かった。
*
翌日。
私はセシリアを訪ねた。
「お姉様?」
「少し聞きたいことがあるの」
「何でしょう?」
「昨日、お父様から聞いたわ」
セシリアの表情が一瞬だけ固くなる。
「王宮がグレイアム侯爵家を調査しているそうね」
「ええ」
「あなたは何か知っているの?」
「もちろん」
あまりにもあっさりとした返事だった。
「……何を?」
「たくさん」
「たくさん?」
「はい」
妹は紅茶を飲んだ。
「レイモンド様のことも。侯爵家のことも。お姉様のことも」
「どうして……?」
「調べたからです」
私は言葉を失った。
「なぜ?」
「必要だったからですわ」
その答えは冷たかった。
私は妹の顔を見た。
そこには、以前のような柔らかい笑顔がなかった。
「お姉様」
「何?」
「私たちは、もう婚約者を取り合う姉妹ではありません」
「……ええ」
「だから、これ以上私を邪魔しないでください」
「私は邪魔なんてしていないわ」
「そうでしょうか」
妹は微笑んだ。
「では、これからも何もしないでください」
「……」
「そのほうが、お姉様のためです」
私は胸の奥が痛んだ。
「分かったわ」
立ち上がる。
そのとき、妹が呼び止めた。
「お姉様」
「何?」
「もし王宮から呼び出しが来ても、怖がらなくて大丈夫です」
「え?」
「あなたは何も悪いことをしていませんから」
私は妹を見つめた。
「……どういう意味?」
「そのままの意味です」
妹は微笑んだ。
「では、失礼いたします」
*
三日後。
私は王宮へ呼び出された。
応接室に通されると、そこには王家の財務官と、公爵家の令嬢が一人いた。
「シャーロット様」
「はい」
「いくつか確認したいことがあります」
「分かりました」
質問は奇妙なものだった。
レイモンドから何を贈られたか。
いつ贈られたか。
どこで購入されたものか。
代金を誰が支払ったか。
私は覚えている限り答えた。
「こちらの髪飾りは?」
「セシリアが受け取りました」
「こちらの宝石は?」
「それも妹です」
「こちらの馬車代は?」
「……存じません」
「あなた自身が支払ったことは?」
「ありません」
財務官が顔を見合わせた。
「なるほど」
私は不安になった。
「何か問題があるのですか?」
「今のところ、あなたにはありません」
「今のところ?」
「ええ」
公爵令嬢が口を挟んだ。
「むしろ、あなたのおかげで確認できたことがあります」
「私のおかげ?」
「はい」
彼女は一枚の書類を取り出した。
「これをご覧ください」
そこには、私が見覚えのある文字が並んでいた。
セシリアの字だった。
品物。
日付。
金額。
購入先。
贈答先。
まるで帳簿だった。
私は息を呑んだ。
「……妹が?」
「ええ」
「これを王宮へ?」
「そうです」
「なぜ……?」
誰も答えなかった。
ただ、公爵令嬢が言った。
「あなたは、本当に何も知らないのですね」
「はい」
「そうですか」
彼女は少しだけ笑った。
「それなら、それで結構です」
*
その夜。
私はセシリアの部屋へ向かった。
今度こそ、問い詰めようと思った。
「セシリア」
「お姉様」
妹は振り返った。
「王宮へ行ったのですね」
「ええ」
「何を聞かれました?」
「あなたが知っていることを、私にも教えて」
「……」
「どうして帳簿なんて作っていたの?」
セシリアは答えない。
「どうしてレイモンド様からの贈り物を全部記録していたの?」
「必要だったからです」
「何のために?」
「それは……」
妹は言葉を濁した。
私は一歩近づく。
「セシリア」
「はい」
「あなたは、私を陥れようとしているの?」
妹の目が大きく開いた。
「……どうして、そう思うのですか?」
「だって、あなたは私に何も教えてくれない」
「それは」
「レイモンド様と一緒にいるところを見せつける」
「……」
「私の悪い噂が流れる」
「……」
「そして、王宮には私の名前まで出ている」
私は震える声で言った。
「あなたは、私から全部奪うつもりなの?」
長い沈黙。
やがてセシリアは。
「……そうかもしれませんね」
と言った。
私は息を止めた。
「お姉様」
妹は笑った。
「私、欲しいものは全部欲しいのです」
「……」
「婚約者も」
「……」
「家の立場も」
「……」
「社交界での評価も」
そして。
「お姉様の居場所も」
胸が締めつけられた。
「そう……」
「はい」
「分かったわ」
私は踵を返した。
「お姉様」
「何?」
「怒らないのですか?」
「怒っているわ」
「……」
「でも、あなたがそうしたいのなら、私はもう止めない」
扉へ向かう。
「さようなら、セシリア」
その瞬間。
「お姉様」
妹の声がした。
振り返らなかった。
「……ごめんなさい」
小さな声だった。
私は答えなかった。
*
その数日後。
レイモンドとセシリアの婚約が正式に発表された。
社交界は祝福ムードに包まれた。
「美しい姉妹のうち、妹が侯爵夫人の座を射止めた」
そんな記事まで新聞に載った。
私は笑って読んだ。
不思議なことに、もう悲しくなかった。
妹が欲しいものを手に入れた。
それでいい。
私は私の人生を探せばいい。
そう思い始めた。
そんなある日。
「シャーロット様」
庭園で声をかけられた。
振り返る。
そこにいたのは、王宮の法務官だった。
「突然申し訳ありません」
「いえ」
「実は、以前からお話ししたいと思っていました」
「私に?」
「はい」
彼は少し緊張したように言った。
「あなたは、妹君のことを悪く言わないそうですね」
「……どうして、その話を?」
「王宮では有名です」
私は苦笑した。
「姉妹ですもの」
「それだけですか?」
「それだけです」
彼は私をしばらく見つめた。
「では、もし許されるなら」
そこで彼は言葉を選んだ。
「私と、もう少しお話ししていただけませんか」
私は驚いた。
けれど。
「はい」
そう答えた。
*
その頃。
王宮の別室では。
セシリアが一人の男性と向かい合っていた。
「ご報告します」
男性は頭を下げる。
「グレイアム侯爵家の帳簿について、すべて確認が取れました」
「そう」
「公金の流用もほぼ確実です」
「レイモンド様は?」
「ご本人は何も知らなかった可能性があります」
セシリアは少し考えた。
「では、彼は利用された側ということ?」
「そうなります」
「……なるほど」
セシリアは窓の外を見る。
王宮の塔が見えた。
「では、彼には予定通り退場していただきましょう」
「はい」
「そして」
セシリアは机の上に置かれた別の書類を手に取った。
「こちらは?」
「王家からの新しい打診です」
「そう」
「お受けになりますか?」
セシリアは書類を眺める。
そこには、一つの名前があった。
王弟殿下。
国内最大の公爵家を母に持ち、王位継承権こそ低いものの、宮廷内で絶大な影響力を持つ人物。
セシリアは微笑んだ。
「まだ、返事はしません」
「よろしいのですか?」
「ええ」
彼女は立ち上がった。
「まずは、お姉様のことです」
「お姉様?」
「ええ」
セシリアは窓の外を見た。
庭園の向こう。
シャーロットが、法務官の青年と話している。
「……あの方なら、お姉様を幸せにしてくれるでしょう」
そう呟いた。
けれど。
その直後。
セシリアの口元に、いつもの完璧な笑みが浮かんだ。
「さて」
彼女は別の書類を手に取った。
「私の話も、そろそろ始めましょうか」
その紙に記されていたのは。
王弟殿下との、非公式な面会の予定だった。




