06.国境を越える
「ん……よく寝れました、わ……??」
一晩を明かし目を覚ましたとき、腕を伸ばせない違和感を覚えた。
それを解明するため視線を向ければ、上下が同じ色の服を着た男性と手を繋いでいたわ。
「男、性……?」
確かわたくしは昨晩、ルイツァーリ様を強引に誘って手を繋いで寝たのよね。
と、いうことは。
「おはようございます、ローゼリア様。良く眠れましたか」
「え、えぇ……」
森に差し込む朝の光を浴びながらわたくしに微笑むその姿は、昨日までの人型の茂みとは全く別もの。
ダークネイビーの髪は柔らかそうなのに、銀灰色の瞳は氷のような鋭さがある。
ルイツァーリ様の身体はよく鍛えられているようで、服の下の体格はきっと、彫像のように素晴らしいのでしょう。
「ローゼリア様? どうしましたか?」
「え、えぇと……つかぬ事をお聞きしm」
「ル、ルイツァーリ様、でしょうか? そこにいらっしゃるのは、ルイツァーリ様、でしょうか……」
「どうした、シチェス。まるで壊れた玩具のようだぞ」
シチェス様が、ふらふらとルイツァーリ様の方へ近づいてくる。
それはまるで見えない引力に引っ張られているかのようで、昨日までの距離感ではないみたいね。
「シチェス! 止まれ!!」
厳しい口調のルイツァーリ様の声を聞いて、ようやくその足を止めた。距離にして、ギリギリ一メートルを越えないくらい。
ハッとなったシチェス様は、わたくしに向けて頭を下げた。
「ローゼリア様。この度は主君の姿を拝見する機会をいただき、ありがとうございます」
「シチェス様も見たことがなかったのね」
「はい。十歳の頃ルイツァーリ様の友人として選ばれ今に至るまでの十年間、私も主君がどんなお姿をされているのか把握しておりませんでした」
「そんなに? 忠誠心が厚いのね」
「いえ、そのような事では……」
シチェス様とお話していると、ルイツァーリ様と繋いだままだった左手をクッと軽く引かれる。
「二人とも。さっきから何の話をしているですか」
「ルイツァーリ様の本来のお姿についてです」
「本来の……! 今、二人にはおれの髪色も瞳の色もわかるって事ですか!!」
「えぇ。そうd」
「すごい!!」
興奮した様子のルイツァーリ様が、急にわたくしを抱きしめてきた。
びっくりしすぎて声も出せないでいると、一瞬わたくしの首元へ鼻を寄せたルイツァーリ様が微笑みながら離れる。
「急に抱きしめてしまって、すみません」
「い、いえ……それほど、嬉しかったのだと思いますし――ッ!」
花が綻ぶような。
そんな表現を殿方にしても良いのかどうか。
些細な悩みが思い浮かんでしまうような微笑みを、わたくしに向けてくる。思わず心臓がバクバクと急激に脈打つから、わたくしは思わず両手で胸を抑えた。
そうしたら、せっかく全身の姿が見えるようになっていたルイツァーリ様は、また人型の茂みに戻ってしまったわ。
「もしかして、また茂みになっちゃいましたか」
「えぇ、そうです。ご自身でその感覚があるのかしら」
「いいえ。ローゼリア様が、残念そうなお顔をされたので。ああ、違いますね。そんな解釈を勝手にしたんです」
「いえ……。その解釈で、間違っていませんわ。もしかして、今もわたくしから香りが?」
質問に、ルイツァーリ様が頷く。
わたくし自身が感じられず、ルイツァーリ様だけがわかる香り。
それはこれから、わたくしが意図しないときの感情も全て筒抜けということではないかしら。
誰かに自分の感情が読まれる。それは時として不都合かもしれないけれど、いつでもわたくしのことをわかってくださるのと同義。
……そんな相手、今までいませんでしたわ。カリアですら、百パーセントではなかった。
「ローゼリア様。セリリルブローまではまだまだ時間がかかります。これから雨が降る日もあるでしょう。その際は、またよろしくお願いします」
「か、かしこまりましたわ」
また、だわ。
ルイツァーリ様は今、人型の茂みに見え方が戻っている。それなのに先程姿を拝見したからか、どんな表情で言われたかを容易に想像できてしまう。
想像の中で向けられていたルイツァーリ様の笑顔で、わたくしの胸がキュゥ、と締めつけられた。
+ + +
「さあ、ローゼリア様。そろそろセリリルブローに入ります」
森を歩いて半月近く。勝手に国境には壁があると思っていたけれど、どうやらそうではなかったみたい。
明確な線引きとしては少し曖昧な、土の道があるだけ。この道を境にして、両国が隣り合っているようね。
「通常は、この道を進めば皇都にある城に着きます」
「通常は? どういうことかしら」
「おれは、呪われた皇太子なので……城には住めないんです」
「えっ……」
話す声が震えているような気がする。
今は、悲しそうな表情をされているのかしら。
「おれは、産まれた瞬間からこの呪いを受けています。なので」
「それ以上仰らなくて結構ですわ」
一メートルの距離感にあるものを全て腐らせる。それはすなわち、出産時に立ち会った人達が被害に遭ったということ。
皇太子ならば世話役の人もいただろうし、何よりお母様も……。
「ローゼリア様は、やはり感情が豊かなお方ですね。おれの出生に関して、そんなに心を配ってくださる」
「一晩手を繋いでいたら、ルイツァーリ様のお姿を拝見できました。わたくしにも許されるのであれば、皇后様の墓前へ向かいましょう」
「……? ローゼリア様?? 何を仰っているんですか??」
「出産という大業を成し遂げた皇后様は、とても立派だったと思います。例え我が子を抱けなくとも」
「ま、待ってください! 母上は、生きていますよ?」
「……へ?」
出産ということならば、一番呪いの影響を受けてしまうと思ったのだけれど。ルイツァーリ様の様子を見る限り、わたくしの早とちりだったようだわ。
すぐに、腰を折って謝罪する。
「申し訳ありませんでしたわ。産まれたときからの呪いと伺っていたので、その影響が強かったのではと早とちりいたしました」
「あの時は、ポーヴァルン嬢に助けられたと聞いています」
昔を思い出すように話し始めたルイツァーリ様の言葉をしっかりと聞くため、身体を起こす。
「助けられた、というのは?」
「ポーヴァルン嬢は、母上についていた侍女でした。出産時にも立ち会っていて、母上が安全な距離を取れるようにおれを抱えて離れてくれたそうです」
「え、それは……」
「この呪いが落ち着いたら、一緒に彼女の墓前に行ってくれますか?」
「え、えぇ。それはもちろん……」
きっと、壮絶な現場だったのだろうと想像できますわ。
呪いのせいで産まれるのはただ一人。そしてその呪いは産まれてから始まる。
出産してすぐは皇后様も動けなかっただろうから、侍女が身を挺して守ったのだと。
そしてその侍女は、ルイツァーリ様を抱きかかえながら自らが腐っていく様を感じるという……。
人型の茂みになっていて表情がわからなかったけれど、ルイツァーリ様の声は少し暗かった。
そっと、気遣うように彼の手に自分の手を重ねる。
「ポーヴァルン様がいらしたから、こうしてルイツァーリ様が生きていられるのですね」
「彼女には、感謝してもしきれないです」
話を聞く限り、皇后様も我が子を抱けずにさぞ悔しい思いをされたことでしょう。
もし呪いが解けたなら――いいえ、近づいても影響が出ないようにできたのなら、親子の再会を整えられたらと思いますわ。
「では、ルイツァーリ様。わたくしを貴方が生活している場所まで連れて行ってくださいまし」
「わかりました。ご案内します」
皇都へ続く道から外れ、さらに森の奧へ進む。
すると、少し道に傾斜が出てきた。山があるようには見えなかったから、森と繋がる丘かしら。
先頭を進むルイツァーリ様についていくと、急に視界が開ける。
登っていたと思っていたのに、目の前にはまるで隕石が落ちたかのような巨大な窪みがあった。
「ここは、皇哭の大地と呼ばれる場所です。皇族に向けた呪いを発動した場所とされていて、この地には古の魔女の悲しみが満ちているとされています」
「ここが、呪いを発動した場所……」
「元々この場所は、緑豊かな丘があったそうです」
ルイツァーリ様が、皇都がある方へ腕を動かした。
その動きにつられて視線を向ければ、ギリギリ丘の頂上付近の高さから、朱色の屋根の家群に囲まれるように黒いお城が見える。
「皇家に伝わる話によれば、かつておれの先祖はこの場所で魔女との逢瀬を重ねたそうです」
「二人だけの秘密の場所だったのでしょうね」
「それなのに、この地を呪いの場所として選んだ」
「……それだけ、つらい思いをされたのでしょう」
ひとまず自宅に案内しますと、ルイツァーリ様が窪みに入っていく。滑りやすいので気をつけてくださいと出された手を掴む。
……セリリルブローにかけられた呪いと、測定水晶では数値が表示されないわたくし。
この出会いは、果たして偶然なのかしら。
妹が前世で言っていたことを思い出す。
――転生ものはね、高い確率でその世界でするべき役割があるんだよ!!――
その言葉通りならば、わたくしがその役割を課せられているということなのかもしれないわ。
追放された方が本当の力を持っていたというようなことも、言っていたような気がするし。
わたくしは妹の推し活に付き合っていただけで、物語の規則のようなものはわからない。
だから、今わたくしができることを精一杯やるだけよね。
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「ここはどこ!? ママは!?」
「喚くな、娘よ。お前の名前を教えなさい」
「はぁ!? 何を偉そうに! アトゥンは」
がしっと、それ以上話せないように片手で顎を掴まれた。両頬に食い込む指が、アトゥンに有無を言わせない。
アトゥンの顎を掴むクノスパル公爵の手を離そうと、その手を引っ張る公爵の妻。
そんな妻の訴えに応じたのかアトゥンは解放された。
「シュリーフェ。このじゃじゃ馬に一ヶ月で礼儀を叩き込むんだ」
「でもあなた、ローゼリアは……」
「口答えはするな。ルーロナイトには私から伝えておく」
妻の言葉なんて聞く耳を持たず、主張したい事だけ伝えたクノスパル公爵は【公爵令嬢の部屋】から出ていった。侍女の姿はない。
残された公爵夫人は、背中を丸めていた。
アトゥンは、駆け寄ってシュリーフェを抱きしめる。
「大丈夫? アトゥンは体温が高いから、安心できるってママが言ってたよ」
「……ありがとう、アトゥン。優しいのね」
「ママがいつも言ってた。感謝を忘れるなって。さっき、アトゥンのこと助けてくれたでしょ? ありがとう」
「わたくしは、何もできていないのよ……あの人は、忘れてしまったようだし……。ごめんなさいね、アトゥン。あなたをお母様から離してしまった」
「何か事情があるんでしょ? わかった。アトゥンも協力するよ。アトゥンは何をすれば良いの?」
公爵夫人は、悲しそうに微笑む。
アトゥンはそんな顔を見たくなくて、言われるまま【公爵令嬢】になるための勉強を始めた。
+ + +
それから一週間。
名前がアトゥンからアウレリアに変わった時、思い出した。
「お姉ちゃん!? お姉ちゃんは!?」
推し活の帰り道。
自分を守ってトラックに轢かれてしまった姉がいた事を。
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