15.ローゼリアの決断
「今食事をしてきたので、散歩して来ようかと」
「それなら街中を歩けば良い。今の所発見できていないが、今この国には犯罪者が紛れ込んでいるかもしれないんだ」
「は、犯罪者?」
「そうだ。国を追放された傾国の美姫が、母国へ復讐しようとしているようだ。街の中であれば、我ら兵士の目が届く。だから街中を歩いて食後の運動をするんだ」
「……そう。ご親切にどうも」
ルイツァーリ様と繋いでいた手に力が入った。
人の噂なんてあてにならないものだけれど、追放されたという一部正しい情報が入っている。だからこそ、噂に信憑性が出た。
ルイツァーリ様と、皇都の入口から離れる。
どこかで話そうにも、そこかしこにツァルドゥーナの兵士達がいた。
「ロゼ。ここでは人目があります。今の状態では、一番区の城へ向かった方が安全だと思います」
「ッ、わ、わかりましたわ。けれど、三番区から行けるものなのかしら?」
「住むのは税を納めないといけないですが、移動だけなら問題ないです」
「そうなのね」
周囲に聞こえないようにするため、自然とわたくしの耳元にルイツァーリ様の口元が寄る。
わざとではないとわかっているけれど、その声が耳元ですると、またゾクッとした感覚になった。
「ロゼ?」
「な、何かしらッ」
「一番区までは二時間ほどかかると思います。それまで、ずっとくっついていてくださいね?」
「――ッッ!!」
ルイツァーリ様が、極上の微笑みを浮かべた。
上機嫌ということを隠そうともせず、ただ目の前の人物――つまりは、わたくしを愛おしいと見ているかのように目を細める。
思わずときめきで心臓を潰されそうになり、両手で胸を抑えようとした。けれど今は彼と手を繋いでいる状態。
接触を解除しないために自然と自分の胸元へルイツァーリ様の手を持ってきてしまった。
「ロ、ロゼ??」
「あ、ご、ごめんなさいね??」
「い、いえっ」
すぐに手の位置を身体の横へ持っていく。それでも二人の間に流れる赤らんだ空気は、すぐには消えない。
目が合ったらそらしたり、微笑み合ったり。逆に、見つめ合ってまた目をそらす。
お互いが発した熱せられた空気で、さらに身体が熱くなる。
「んんっ」
「っは、そうでした。ロゼ、早く移動しましょう」
「そ、そうね」
シチェス様がいてくれて助かったわ。第三者がいると自覚させてくれたお陰で、我に返った。
ルイツァーリ様と手を繋ぎ、三番区から二番区へ向かう橋を進む。
弓なりの橋は、水面に映る姿がまるで眼鏡のように見える。平時であれば足を止めて観賞したくなる場所ね。
前方から、紙を持った兵士が近づいてくる。何かに気づいたのか、紙と正面を交互に見ていた。
もしかしたらわたくしだとばれてしまったかもしれないと思い、ルイツァーリ様の腕に顔を埋めるようにして身体をぴったりとくっつける。
繋いでいる手が少ししっとりしているような気がするけれど、わたくしも心臓が飛び出しそうなほど緊張しているわ。
「……」
隣を通り過ぎるとき、穴でも空くんじゃないかってくらい凝視されたわ。
けれどカフェでの兵士と同じように、人相書きとは違うと判断されたみたい。首を振ってそのまま離れていく。
ふぅ、と吐く息のタイミングが、ルイツァーリ様と被った。
「ふふ。わたくし達、息ぴったりですわね」
「そうですね」
兵士はいなくなったけど、周囲には一般人がいる。ルイツァーリ様に人相書きを渡したように、街の人達にも情報が伝わっているかもしれない。
特定できるような内容は、声を潜めても難しくなってきた。
疑心暗鬼かもしれない。けれど、徐々に人がわたくし達の周りに集まってきている気がする。
背後はシチェス様がいてくれるから問題ないと安心できるけれど、前方はそうじゃない。常に気を張っていないといけないわ。
二番区へ到着すると、こちらを見ていた男性達と目が合ったわ。けれど、すぐに顔を青ざめてどこかへ去っていく。
ルイツァーリ様から、一瞬だけ怒気を感じたような気がした。
「ルイ様? 何かされました?」
「いいえ、何も?」
にっこりと微笑まれる。その微笑みはわたくしに向けられたものだけれど、こちらの様子を窺っていた女性陣がバタバタと倒れていく。
二番区を巡回していた兵士達がその対応にあたっているけれど……。
数少ない機会で、わたくしは学んだわ。
ルイツァーリ様が上機嫌のときの微笑みは、大型犬のような幻覚が見えると。
だから、今の微笑みは恐らく周囲を警戒したものね。笑顔で黙らせるなんて、素晴らしい武器だわ。自分の顔面がどんな作用を及ぼすかわかっている。
わたくしもやってみようかしら。
「ッ!」
「ひっ!?」
周囲からなるべく人の影を排除しようと微笑んでみた。けれど失敗したような反応のすぐ後、短い悲鳴がしたわ。
わたくしも、笑顔を武器にできたかしら。
「ロゼ。なぜ周囲に愛想を振りまくんですか」
「え。そんな意図はないわ。ルイ様のように、笑顔を武器にしたいと思ったの」
「武器と言えば武器ですが……違う系統のものですね」
「違う系統? ――ッ!?」
確かに笑顔にも種類はあるか、と思っていたら、突然ルイツァーリ様に顎を持たれた。
「ロゼの笑顔は、男を獣にする魅力があります」
「お、お待ちになって?? わたくしは、別に、そんな……」
ゆっくりとわたくしの視界を奪っていく、ルイツァーリ様の顔。
周囲からは阿鼻叫喚というような、男女入り交じった声が聞こえてくる。
周囲の反応と相まって、わたくしは彼を直視できなくなる。
視線が忙しなく動くし、逃げようと思っても手と顎を持たれてしまっていた。
さらに近づかれ、ギュッと目を閉じる。
わたくしの顎を持っていた手が、口元を外野から隠すように移動したと感じた。
そして。
「これからロゼの微笑みは、おれだけに向けてください」
「~~~~~~っ!!」
息がかかるような至近距離で、そんなことを言われた。
あの、色気を感じる声で。
当然、わたくしは腰砕けとなりルイツァーリ様に抱き上げられる。
「しまった。このまま移動してはロゼに負担がかかってしまいますね。どこか休憩できる所へ行きましょう」
ニッと微笑まれる。背後に一瞬だけ悪魔の尻尾が見えたような気がするわ。
わたくしはきっと、今は甘い香りが出ているのでしょうね。
けれど接触を解除しないために、自らの意思でルイツァーリ様の首に手を回さないといけない。
羞恥心で全身が溶けてしまいそうなほど熱かったけれど、そんな自分から意識をそらしたくて彼の腕の中から周囲を窺う。
男女問わず倒れている、青ざめた顔の死屍累々。その対応に追われる兵士達。
そしてその中には、俯せになって倒れているシチェス様もいたわ。
「ル、ルイ様! 大変ですわ。シチェス様が倒れていらっしゃいます」
「シチェス」
肩を叩いて止まるように促したら、ルイツァーリ様が振り返って名前を呼んだ。
その瞬間、シチェス様はピシッと立っていつもの位置へ移動する。
「これで大丈夫ですね。まずは休憩できる場所を捜しましょうか」
「ルイ様。わたくしはもう歩けます。下ろしてくださいませ」
訴えると、ルイツァーリ様はあっさりと下ろしてくれた。
後ろを確認すると、まだまだ倒れている方々がいらっしゃるけれど。命に別状はないはずよ。
それに結果的にだけれど、わたくしを捜している兵士達を足止めできたわ。
「……ルイ様。もしかしてわざとかしら」
「何がでしょう?」
にっこりと微笑まれる。これは、意図的に動いたということ。
……確か、途中までは嫉妬したような感じだったわよね? けれど、たぶん……わたくしから強い甘い香りが出てしまったのでしょう。
瞬時に周囲の状況を判断して、実行した。
「ロゼ? 何かおれに言いたい事がありましたか」
「なぜかしら」
「ロゼから、雨が降る前の畑のような香りがしました」
「?? どういうことかしら?」
「なんというか……空気が重たいような、けれど悲しいとは違うような、そんな感じでしょうか」
ルイツァーリ様から指摘され、先程までの感情を振り返る。
……わたくしは、彼にキスされると思ったのよ。だから覚悟して目を閉じたのに。
いえ、待って? わたくしとしたことが、年上なのに自らの欲望に走ってしまったわ。
あの場では目を閉じずに、むしろわたくしから率先して行動すべきだったのではないかしら。
年上とは、年少者を先導する者。わたくしが主導してルイツァーリ様を解呪まで導かなければいけないわ。
気合いを入れ直し、繋いだままのルイツァーリ様の手に指を絡める。
「ロ、ロゼ!?」
「ルイ様。早く移動しましょう」
クイッと引っ張って歩いていく。
繋いだルイツァーリ様の手からは、驚いてうっかり手を離してしまいそうな、けれどそれを踏み留めるかのような。そんな葛藤が感じられる。
そこで、気づいた。
彼は自分が積極的になるのは得意だけれど、逆は耐性がないのでは、と。
それもそうよね。呪いのせいで接触できなかったのだもの。自らの意思なら精神的な準備もできるけれど、他者からの接触はそうじゃない。
今度似たような状況になったら、年長者らしくわたくしが先導しようじゃないの。
そんな決意をしつつ、わたくしと歩調を合わせて隣に並んだルイツァーリ様と一緒に二番区を通過した。
+ + +
一番区――ルイツァーリ様曰わく貴族しかいない区域――に到着すると、懐かしい顔を発見した。
「お嬢様!!」
「カリア……?」
わたくしを捜索していた兵士達に囲まれていたカリアが、頭や手に包帯を巻き、顔にガーゼを貼った状態で駆け寄ってきた。
両手で抱きとめようとしてそれが叶わず、左手で受け止める。
「カリア? あなたがなぜここに? それにその傷はどうしたの」
「お嬢様を捜すために志願しました! この傷は、その……」
「誰にやられたの」
「お嬢様がいなくなってしまってから、旦那様に抗議したんです。その後、突然屋敷が崩壊し、地下室から助け出されました」
「え、ちょっとお待ちなさい? 屋敷が崩壊? 地下室??」
長年わたくしに仕え続けてくれたカリアの言葉よ。嘘はついていないとわかる。
けれど、聞いたばかりの話に首を傾げるしかない。
外界から遮断された生活だったけれど、屋敷の中は自由に行き来できたわ。
地下室なんてどこにあったのかしら。
「ロゼ。ここは一度、ツァルドゥーナに戻った方が良いかもしれません」
「けれど……ルイ様を置いていくわけには」
「ロゼがいる所が、おれのいる所ですよ。ついて行きます」
ルイツァーリ様と話していると、カリアが服の裾を引っ張った。
「お、お嬢様……こちらのお嬢様の隣に並ぶにふさわしい絶世の美男子は、どなたでしょうか」
「あ、えーとね……」
カリアの視線が、ずっと繋いだままの手に向けられている。あろうことか、年上の主導だと考えて指を絡めている状態を見られてしまった。
カリアからの視線が、熱くて痛い。
どう答えるべきかと考えてルイツァーリ様に目を向けたら、意図的な微笑みを浮かべた。
「ロゼと片時も離れたくない、愛の奴隷です」
「な、何てこと!!」
「と、とにかく!! わたくしは一度国へ戻るわ。カリアはそれを伝えてきてちょうだい」
「かしこまりました」
カリアに根掘り葉掘り聞かれる前に、侍女をこの場から離した。
戻ってきたら、色々と質問されてしまうかしら。いいえ、カリアは公私を分ける子よ。空気を読むのも上手い。
……大丈夫、よね?




