第八章 ない家に帰る
十一月、島へ行く朝、沙織は喪服を着なかった。黒い服を選んだが、葬儀に着たものではない。源一郎の遺骨を運ぶための旅だった。散骨をするかどうかは、先に隆史と話し合った。島へ行くことにも、皆が別々に返事をした。美羽から、行きます、と短い連絡が来た。圭介も来る。隆史も来ると、久住が言った。全員が揃う。
それを喜んでいいのか、沙織にはわからなかった。来ると答えた人が、今朝は集まる。桐谷は先に島へ入り、船を手配していた。タエは留守番を申し出たあと、自分の休みにすると言い直した。沙織は鞄に、空席の写真を入れた。持っていく理由はなかった。けれど、源一郎の故郷を見るなら、自分の故郷も少し持っていきたかった。
湊は録音機を持ってきた。今日は録るかどうか、まだ決めていないと言った。
「決めてから、押せばいいわ」
沙織は答えた。以前なら、全部録っておけばいい、と言ったかもしれない。全部残すことが、全部大切にすることとは限らない。湊はポケットに録音機を入れた。港で、美羽と陽菜に会った。陽菜は沙織へ走ってきた。美羽は止めなかった。
「おばあちゃん」
沙織は陽菜を抱き止めた。美羽が少し離れて立っていた。
「おはよう」
「おはようございます」
それだけだった。謝る必要があるのか、どちらもわからなかった。美羽が出ていったことは、悪いことではない。沙織が残ったことも、正しいことと決まったわけではない。違う場所で眠って、同じ港へ来た。今朝は、それだけでよかった。圭介が来た。湊の前で立ち止まり、今日は一緒にいてもいいか、と聞いた。湊は少し考えた。
「船の上は、どこでもいいと思う」
圭介は頷いた。隆史は最後に来た。久住に頭を下げ、少し離れた場所に立った。陽菜が隆史を見つけ、黄色い花を見せた。墓地へ持っていった花とは別の、小さな花だった。
「おじいちゃんに」
隆史は花を見た。
「海へ持っていくの」
「うん」
隆史は美羽を見た。美羽は、花は持ち帰ります、と言った。源一郎のために、海へ何かを置いていく必要はない。陽菜が選んだ花は、陽菜が持って帰ればいい。隆史は頷いた。船が来た。皆が順番に乗った。源一郎がいないことだけが、前の旅と違った。違いは、ほかにもたくさんあった。沙織は船の手すりに触れた。
前の旅で、源一郎は同じ手すりに手を置いた。海を見て、ここまで来た、と言った。何から、どこまで来たのか、沙織は聞かなかった。今は、聞きたいと思った。聞ける相手は、もういなかった。
*
源一郎が島へ行きたいと言ったのは、八月の終わりだった。皆が反対した。遠い。体に負担がある。屋敷でも海の映像は見られる。源一郎は、映像では潮の匂いがしない、と言った。圭介は、匂いなら、近くの海でもいいでしょう、と答えた。
「近くの海には、わしがいない」
源一郎は言った。沙織はその言葉を聞いて、何も言えなくなった。自分も、劇場のあった場所へ行った。今の建物に用があるのではない。そこにいた自分を、確かめに行った。源一郎も、そうなのかもしれない。
旅行は、主治医やタエと相談して、無理をしない日程にした。源一郎は最初、そんな大げさな、と言った。沙織が、行きたいなら人の話を聞いて、と答えると、黙った。旅の前夜、沙織は源一郎の部屋へ行った。
「明日、私たちは仕事として行くの?」
源一郎は沙織を見た。
「契約は、まだ終わっていない」
「そうね」
「だが、来たくなければ、来なくていい」
沙織は椅子に座った。
「最初に、そう言ってほしかった」
源一郎は頷いた。沙織は、許したとは言わなかった。源一郎も、許せとは言わなかった。翌朝、沙織は自分の意思で、鞄を持った。
*
源一郎の故郷の話は、島へ渡るまで誰も知らなかった。
一九五四年、十歳の源一郎は、浜から家々の明かりを見ていたという。父は五歳のときに島を出た。母は八歳のときに死んだ。漁師の手伝いをし、魚をもらい、誰もいない家へ持ち帰った。
その話を後から聞くと、少年の姿を思い浮かべられる気がした。けれど、当時の写真は一枚も残っていなかった。
*
九月一日、生前の源一郎と島へ渡った日には、まだ夏の匂いがした。港の板が日に焼けていた。圭介が車椅子を押し、タエが薬の入った鞄を持った。
「本当に、ここですか」
源一郎は桟橋の先を指した。
「降りたときは、もっと大きかった」
「源一郎さんが、小さかったんでしょう」
沙織が言うと、老人は、そうかもしれんな、と答えた。帽子の下で、港を見回す顔が落ち着かなかった。
手配した車へ乗る前に、源一郎は海へ顔を向けた。咳が出た。圭介が背中へ手を置くと、源一郎は一度だけ、頭を下げた。
*
生家の跡へ上がる道は、車椅子の車輪より少し広いだけだった。最後は圭介とタエが両側から支えた。源一郎は、自分で歩く、と言わなかった。
石垣と、使われなくなった井戸があった。源一郎は石に手を置いた。
「ここに、戸があった」
陽菜がその横を通った。源一郎は、そこじゃない、と言いかけ、黙った。
「八つから、ここに一人で」
沙織が聞くと、源一郎は頷いた。
「夜は浜へ下りた。明かりのついている家があると、そこだけ温かい気がしてな」
「誰かの家へ、行かなかったんですか」
圭介の質問に、老人はしばらく考えた。
「行けば、魚をくれた。食べていけと言われても、持って帰った」
「どうして」
「さあな」
源一郎は井戸を見た。水のない底に、枯れた葉が溜まっていた。
「家を建てれば、何とかなると思った。大きくして、人を呼べば」
美羽が陽菜の上着の土を払った。陽菜は美羽を振りほどき、空き地へ戻った。
「ここ、おうち」
両手を広げた。誰も、違う、と言わなかった。源一郎はその姿を見て、ゆっくりと腰を下ろした。
「お前たちに、こんなところまで来てもらった」
老人の声が風に紛れた。湊が録音機を上げると、今はいい、と手で止めた。
「ありがとう」
陽菜だけが、どういたしまして、と大きな声で答えた。
*
宿の人が、浜で火を使う場所を用意してくれた。タエが魚を焼き、圭介は皿を持って回った。陽菜は昼間の空き地へ帰りたいと言った。美羽が、明日は船に乗るの、と教えた。
源一郎が圭介の袖を引いた。
「少し、離れたところへ」
圭介は車椅子の向きを変えた。車輪が砂へ埋まるので、焚き火から遠くへは行けなかった。振り返ると、皆の顔が見えた。
*
源一郎は、立たせてくれと言った。
「ここ、砂ですよ」
「わかっている」
圭介が腕を支えると、老人は体を前へ折った。膝をつこうとしていると気づき、圭介は腕を掴み直した。
「やめてください。何ですか」
「佐伯浩二さんの、ことだ」
圭介の指が固くなった。源一郎は、もう膝をつこうとしなかった。二人とも座れず、立ったままでいた。
「不良の部材を使っていた。現場から報告があったのに、止めなかった。事故のあと、わしは、作業員の手順違反という説明を通した」
「あなたが、知ってたんですね」
「ああ」
海は暗かった。足元で波が引くと、小石の擦れる音がした。
「三千人を守るためだと、思った。会社が潰れればと。……わしが、潰したくなかったんだ」
源一郎は上着から封筒を出そうとして、手間取った。圭介は手伝わなかった。
中には、五月のファイルになかった内部調査の原本があった。現場からの報告と、対応を保留した決裁。父の名前の横に、訂正を要する旨の付箋があった。源一郎が自分の責任を記した文書も入っていた。
「わしが死んだら、公にしてくれ」
「何で、生きてるうちに、自分でやらないんですか」
源一郎は答えなかった。圭介は封筒を持ち直した。
「死んだあとなら、誰にも聞かれなくて済むからですか」
「ああ」
返事が聞こえたことに、圭介は驚いた。頷くだけだと思っていた。
「許さないですよ」
「ああ」
「金を、母に送っていたことも、知っています。今は。それでも」
老人が少し揺れた。圭介は反射的に、腕を回した。薄い肩だった。落とさないように持つ自分の手に、腹が立った。
「座ってください」
源一郎を車椅子へ戻した。膝掛けに砂がついていた。払うと、源一郎が圭介の手を見た。
「資料は、全部か、確かめます」
「そうしてくれ」
「公にするのも、いつ、どうするかは、俺と母で決めます」
源一郎は頷いた。圭介は封筒を鞄へ入れた。
戻ると、陽菜が圭介の魚を取っておいてくれた。冷めていた。圭介は一口食べ、骨を皿へ出した。源一郎が横で、骨が多いな、と言った。
「魚ですから」
圭介は答えた。そのあと、何も言わずに食べた。
*
十一月に来ても、源一郎の家の跡には、石がいくつか残っていた。皆が散骨のために海へ出る前、沙織はその石を見た。源一郎が立っていた場所を、覚えていた。前の旅で、源一郎が石に手を置いた場所を覚えていた。今、自分が触れようとして、止まった。触れても、何も戻らない。
戻らないことを、手で確かめるのが怖かった。圭介が隣へ来た。
「ここですか」
「ええ」
「小さいですね」
沙織は頷いた。源一郎の屋敷を見てから来ると、家の跡は小さい。ここから、あの屋敷まで来た。源一郎は、屋敷の大きさで、歩いてきた距離を示そうとしたのかもしれない。圭介は石のそばへしゃがんだ。
「親父の現場も、今は別の建物になってます」
「行ったの」
「行きました」
「どうだった」
「普通でした」
「普通の建物で、普通に人が働いてた。俺の親父が死んだ場所だって、誰も知らない」
沙織は白い外壁の建物を思い出した。劇場があったことを知らない若い人。知らない人が悪いわけではない。知っている自分が、そこへ何を置くかを考えるしかない。
「普通に使われている方が、いいのかもしれないわ」
「そうかもしれません」
圭介は石を見た。
「でも、忘れてほしくないとも思う」
「そうね」
二人は黙った。残してほしいことと、残したくないことが、同じ場所にある。源一郎の屋敷も、そうだった。美羽が陽菜を連れて来た。陽菜は石を見て、いえ、と言った。
「昔、家があったの」
美羽が答えた。
「だれの」
「おじいちゃんの」
「おじいちゃん、ちいさい?」
美羽は少し笑った。
「小さかったときの家」
陽菜は石の周りを歩いた。源一郎が子供の頃、ここを歩いた。陽菜は、源一郎が失ったものを知らない。ただ、石の周りを歩く。沙織はその姿を見た。ここへ来る人が、全員、悲しむ必要はない。源一郎の家の跡で、子供が遊んでもいい。沙織は石に手を置いた。冷たくなかった。陽が当たって、少し温かかった。
沙織は手を離した。
*
島の売店で、湊は小さな貝殻を買った。拾ったものではない。売店の人が、島の浜で拾ったものを並べていた。圭介が、浜で拾えばよかったのに、と言った。湊は、これはこの人が拾ったものだから、と答えた。圭介は少し考え、そうだな、と言った。誰かが拾い、洗い、並べたもの。湊はその仕事ごと、買った。源一郎の金で来た旅だった。
売店で使った金は、湊が報酬から取っておいた小遣いだった。仕事で得た金を、自分が欲しいものに使う。そのことを、湊は悪いと思わなかった。源一郎の家にいた時間を、金のためだけだったことにしたくない。金のためでもあったことを、消したくもない。湊は貝殻をポケットへ入れた。録音機とは、別のポケットにした。声と、貝殻。
島から持って帰るものが、二つになった。源一郎の遺骨は、海へ置いていく。自分のものは、持って帰る。湊はその分け方を、今日、覚えた。
*
翌日の朝、沖へ出た船は、島の家並みが小さくなるところで止まった。手配した人が準備を整え、花は持ち帰るのだと陽菜へ教えた。陽菜は黄色い花を胸に抱えた。
遺骨の一部は屋敷へ持ち帰ることにした。全部を海へ、と源一郎は書いていたが、隆史が少し残したいと言った。誰も理由を聞かなかった。
沙織、美羽、湊が順に海へ手を伸ばした。圭介は粉になった骨を見た。父の骨を拾ったときは、何がどこの骨か、説明された。今日は、わからなかった。
紙は持ってこなかった。和解を申し出る紙も、父の資料も、宿の鞄にあった。ここで破れば、気持ちを表せるかもしれない。だが、借金も、母の引っ越しも、船を下りたところで待っている。
圭介は手を開いた。風で少し戻り、袖についた。掌で払った。
隆史は最後に立った。小さくなった島を見た。
「こんなところまで、来たんだな」
父へ言ったのか、自分へ言ったのかわからなかった。骨を送ったあと、内ポケットの財布を一度押さえた。出さずに、椅子へ戻った。
*
港へ戻る途中、美羽は桐谷と並んで歩いた。桐谷は、手配した船の料金の話をしかけ、やめた。
「母は、海が好きだったんですね」
「泳げなかったけれど。見ているのが、好きでした」
「知りませんでした」
陽菜が二人の前を歩き、花を持ち替えた。
「誕生日、いつでしたか」
桐谷が聞いた。
「陽菜ですか。来年の九月です」
「そう」
桐谷はそれ以上言わなかった。美羽は少し歩いてから、近くなったら連絡します、と答えた。
会いに来ていい、とまでは言わなかった。桐谷も、予定を空けておくとは言わなかった。
*
その晩、宿の前で圭介は隆史へ缶ビールを渡した。
「兄さん、って呼んだら怒ります?」
「怒る」
「ですよね」
隆史は缶の口を開けた。
「裁判は、続けます」
「わかってます」
「父が自分で決めたのか、確かめたい。私が嫌いな遺言だから、正気でなかったことにしたいのかもしれない。そのことも」
圭介は自分の缶を膝へ置いた。
「俺は、和解の話を進めます」
「はい」
「そのあとも、ここへ来ます」
隆史は頷いた。圭介がまだ何か言おうとしていると、隆史の携帯が鳴った。
真鍋は、録音を受け取った記者と話した、と告げた。
「送付状の写しを、見せてもらいました。源一郎さんの生前の声だという説明と、内容を確認してほしいという依頼が添えられていました」
「誰の依頼ですか」
「久住さんです。事務所名のある紙で送られている。匿名では、ありませんでした」
隆史は宿の窓を見た。久住が湊と何か話していた。湊は笑っていた。
電話を切ったあと、隆史は缶を圭介へ預けた。
「聞いてくることがあります」
*
島へ着いた日の港で、久住は源一郎の古い知り合いに会っていた。船を待つ人たちの間に、その人は立っていた。久住を見ると、源一郎は、と聞いた。久住は、亡くなりました、と答えた。その人は、そうか、と言った。偉い人になったな、とも、立派な人だったな、とも言わなかった。
「帰ってきたか」
「はい」
久住は、遺骨を入れて運んだ袋を見た。その人は頷いた。帰ってきた。源一郎が最後まで欲しかった言葉だった。久住は、その人に、源一郎の子供の頃を聞いた。その人は、自分も子供だったから、全部は知らないと言った。源一郎はよく腹を空かせていた。魚をもらうと、礼を言わずに持っていった。次の日、薪を置いていった。
礼を言う代わりに、何かを返す。久住はその話を聞いて、源一郎の手紙を思い出した。舞台を返す。真実を渡す。家を残す。源一郎は、最後まで、礼の言い方を知らなかったのかもしれない。それでも、知らなかったことが、しなくてよかった理由にはならない。久住は、礼を言わなかったのですね、と聞いた。その人は笑った。
「言わなかったな」
「島を出るときも」
「何も言わずに出た」
久住は頷いた。何も言わずに出て、金を送った。源一郎の人生には、同じ形が何度もあった。相手の前に立たず、何かを送る。久住は、その仕事を何度もした。金を送る。花を送る。書類を送る。源一郎が言えない言葉を、物に変えて運んだ。その仕事が、源一郎をますます、言わない人にしたのかもしれない。久住は港のベンチに座った。
隆史が来た。
「親父の知り合いですか」
「子供の頃を知っている方です」
隆史は、その人の方を見た。話しかけるか迷っている顔だった。久住は紹介しなかった。隆史が自分で歩いていくまで、待った。隆史は歩いていった。自分の名前を言った。源一郎の息子です、と続けた。関係ありません、と言ってきた人が、関係を自分で名乗った。久住は少し離れて、その声を聞いた。
*
隆史に呼ばれ、久住は宿の廊下へ出た。
「録音を、記者に渡したんですね」
「はい」
「圭介さんと美羽さんが疑われているのを、知っていましたね」
久住は頷いた。隆史は、なぜ、と聞いた。
「源一郎さんに頼まれました。春香さんの名を呼ぶ声を、あなたに聞いてもらうために。自分から送っても、受け取ってもらえないだろうと」
「それで、週刊誌へ」
「取り上げられれば、調べる人がいると」
「私が、調べると」
久住は返事をしなかった。隆史は廊下の壁を見た。薄い板の向こうに、湊の声がした。
「父の声を、直接送ればよかった」
「それは、受け取っていただけましたか」
隆史は久住を見た。久住はすぐに頭を下げた。
「今の言い方は、違いますね。申し訳ありません」
「私が聞かなければ、私の選択だった。それで、困るのは父でしょう」
久住は、自分の指を見ていた。
「明日、皆さんに話します。執行の仕事についても、続けるべきではないと思っています」
「今夜、話してください」
「私だけが先に知って、あの子が知らないまま、もう一晩過ごすんですか」
久住は顔を上げた。廊下の向こうで湊が笑った。二人はその声が終わるまで、動けなかった。
*
食卓で、久住は録音を外へ送ったことを話した。源一郎が持っていた複製を預かり、死後に記者へ渡した。湊に許可を求めてはいなかった。
「源一郎さんの声だから、いいと思いました」
湊は卓上の録音機を手に取った。
「僕の声も、入ってる」
「はい」
「美羽さんの声も」
「はい」
圭介が立ち上がり、窓を開けた。冷たい風が入った。寒い、と陽菜が言った。美羽が上着を掛け、圭介は窓を半分だけ戻した。
「俺が売ったと思われても、いいと」
「そう考えたわけでは」
「じゃあ、何を考えてたんですか」
久住は答えられなかった。沙織は、源一郎さんに頼まれたから、という言葉が出るのを待った。出たら、たぶん、声を荒らげる。そう思うと、手が冷えた。
久住は、四人の代理人にはならないこと、執行者の交代について別の専門家に相談することを話した。自分がしたことを示す資料も渡すと告げた。
湊は録音機をポケットへしまった。
「今日は、もう話したくない」
久住は頷いた。席を離れようとすると、湊が呼び止めた。
「送ったもの、何が入ってたか、あとで見せて」
「わかりました」
そのあと、食事を再開する人はいなかった。美羽が陽菜の皿を持ち、少し温め直してきます、と立った。台所で電子レンジの音がした。誰も、いい時間だったとは言えない夜だった。
*
翌朝、久住は港の手配を確認しに出た。残った人たちで浜へ行った。源一郎が子供の頃、家の明かりを見ていた浜だった。今は、家が少なくなっていた。閉じた窓が多い。島を出た人たちがいるのだろう。隆史は砂の上に立った。父が見ていた景色を見ても、父の目にはならない。それでも、同じ場所に立つことはできる。美羽が隣に来た。
「母も、ここへ来たかったのかな」
隆史は首を振った。
「聞いたことがない」
「そうですか」
「聞けばよかった」
美羽は海を見た。
「私も、聞かなかったことが、たくさんあります」
二人はしばらく黙っていた。陽菜が砂を掬い、二人へ見せた。
「きらきら」
隆史はしゃがんだ。美羽もしゃがんだ。同じものを、同じ高さで見た。帰りの船で、圭介が湊の隣に座った。
「この前、黙って出ていって、ごめん」
湊は海を見たまま聞いた。
「お金、もらうの」
「もらうつもりで、署名した」
「じゃあ、もう、ここに来ないの」
「来たい」
「仕事じゃなくても」
「仕事じゃなくても」
湊は少し考えた。
「来るとき、連絡して」
「する」
「いないときもあるから」
圭介は頷いた。圭介はポケットから携帯電話を出した。湊へ、また遊びに行っていいか、と送った。湊の携帯が鳴った。湊は画面を見て、笑った。その笑いを、圭介は撮らなかった。海の上で、二人は次に会う日を決めた。




