第4話 王冠もまた台帳の上に
貴族十七名の摘発から十日。国庫は久々に肥え、王都は妙に浮かれ、そして宮廷には新しい火種がくすぶっていた。
「――王領の扱い、か」
執務室で、俺はマレクの報告を聞き返した。
「はい。布告第1号は『王国に立つすべての者』に納税を課しました。となると理屈の上では、王家直轄地たる王領も課税対象になります。宮廷はこの十日、その解釈を巡って二つに割れております」
しまった、と内心で舌打ちする。
(『すべての者』なんて書くんじゃなかった。前世の契約書チェックなら一発で差し戻される雑な文言だ)
貴族から税を取るのと、王から税を取るのとでは話がまるで違う。王は課税する側であって、される側ではない。それがこの世界の常識だ。王領に課税するなど、下手をすれば王権への挑戦と見なされる。
「王党派の重鎮方は『王家は当然例外』と。一方で若手の文官らは『例外を作れば布告の公平が死ぬ』と。……いかがなさいますか」
「保留だ。触れれば火傷する」
賢明な判断である。俺は生き延びるのが目的であって、王権と喧嘩するのは目的ではない。このまま曖昧に風化するのを待てばいい。
そう決めた翌日、風化を許さない人が来た。
◇◇◇
「ごきげんよう、黒宰相」
先触れもなく執務室に現れたリュシア王女は、侍女も付けず、手土産のように一枚の書状を携えていた。
「お父様からの内意よ。――王領は布告第1号の対象外とする。そう次の布告で明記なさい」
来た。しかも最悪の形で。
「……国王陛下の、ご意思ですか」
「ええ。宮廷の争いを見かねてね。あなたが『王家は例外』と一筆書けば、王党派は満足し、騒ぎは収まる。若手文官の失望? 民の落胆? そんなもの、貴族どもの横領摘発の手柄で十分お釣りが来るでしょう」
王女は窓辺の椅子に、断りもなく優雅に腰を下ろした。
「悪い話ではないはずよ。王家に恩を売り、あなたの立場は盤石になる。処刑台に逆戻りしたくないでしょう?」
(その通りすぎて怖い)
完全に正論だった。生存戦略として満点の選択肢を、向こうから差し出してくれている。
だが――俺の中の経理部員が、算盤を弾いて悲鳴を上げた。
例外をひとつ作れば、必ず二つ目がねじ込まれる。王領が免税なら、王家に連なる公爵家は? 王家に寄進した教会領は? 前世で散々見た。「役員は経費精算不要」の一行から、経理がどう腐っていくか。抜け道は、開けた瞬間に道になるのだ。
そして公平が死ねば、布告第1号の魔法は解ける。民の支持が消え、税収が細り、財政が傾き、責任を取らされるのは――宰相の首だ。
(駄目だ。例外は俺の死に直結する。断る一択。でも「公平のために断ります」なんて善人ムーブは絶対にしない。悪役として、悪役らしく断るには――)
考えろ。悪役は例外を認めない。なぜなら悪役とは、王だろうと神だろうと、己の支配の外に置かない存在だからだ。
俺は立ち上がり、精一杯冷たく王女を見下ろした。
「お断りする、と陛下にお伝え願おう」
「あら」
「それどころか、だ。王女殿下、よい機会だから宣言しておく。――王領も、私の台帳に載せる。しかも民と同率では済まさん。王家には、民の倍の税率を課す」
「……倍?」
「王冠とて、私の帳簿の一行にすぎん。頂点に立つ者から、最も高く取り立てる。それが黒宰相の税制だ」
言い切った。我ながら完璧な悪役台詞である。王家に倍の税。これはもう不敬を通り越して簒奪者の言い草だ。さすがのリュシア王女も青ざめ――
――てはいなかった。
扇の陰で、口元がわずかに動いた。あれは多分、笑っている。
「……ふふ。言質は取ったわ、黒宰相。その言葉、明日の謁見でそのまま陛下に申し上げなさいな」
「望むところだ」
(望んでない。明日、首が飛ぶかもしれない)
◇◇◇
翌日の謁見の間は、凍りついていた。
俺が「王家には民の倍の税率を」と言い放った瞬間、王党派の重鎮どもは一斉に色を失い、国王の眉間には谷が刻まれた。
「アルベルト……貴様、余に、税を払えと申すか。それも倍を」
「御意」
「王家の威信を何と心得る!」
怒声が玉座から降ってくる。衛兵の手が槍にかかる。処刑台の斧の記憶が首筋に蘇る。
その時だった。
「畏れながら、陛下」
進み出たのはマレクだった。
「宰相閣下の真意を、僭越ながら補足いたします。――閣下は『王家の威信を落とす』のではありません。『どの王も持ち得なかった威信を、陛下おひとりに献上する』おつもりなのです」
「……何?」
「歴史をご覧ください。徴収する王は無数におりました。ですが、自ら進んで、しかも民の倍を納めた王は、大陸の歴史にただの一人もおりません。陛下が最初の御方となります」
マレクは朗々と続けた。
「布告第1号以来、民は『貴族も払う』ことに熱狂しております。そこへ『王はその倍を払う』と知れ渡れば――民は理解するでしょう。この国の頂点に立つ御方は、最も多くを民から取る王ではなく、最も多くを民のために差し出す王なのだと。徴税ではありません、陛下。これは戴冠です。金貨による、二度目の戴冠にございます」
(誰の話だ。俺はただ悪役として吹っかけただけ――)
国王の眉間から、谷が消えていた。代わりに浮かんでいたのは、まぎれもない野心の色だった。
「……『自ら倍を納めた最初の王』……余が、歴史に……」
「陛下」と、玉座の脇からリュシアが囁く。「ご決断を。この栄誉、他国の王に先を越されてからでは遅うございます」
「――よかろう! 布告に致せ! 王領への課税、王家は倍額、余の名においてこれを受ける!」
謁見の間がどよめいた。俺だけが、どよめきの中でひとり真顔だった。
三日後、布告第3号が王都に貼り出された。
『布告第3号
恐怖せよ。黒宰相の台帳に、聖域はない。
本日より、王領もまた課税台帳に記される。国王陛下は自らの意思により、民の倍の税率をお受けになった。
知るがいい。この国では、高みに立つ者ほど多くを差し出す。玉座も、王冠も、私の帳簿の上にある。
次に免除を囁く者は、その舌から税を取る。 黒宰相』
効果は劇的だった。
市場では「王様が倍払うんだと!」の声が転がり、酒場では国王の似顔絵に向かって祝杯が上がり、王都の外れでは早くも「納税王」なる敬称が生まれていた。国王の人気は、即位以来最高を記録した。
なお俺への民の評は「王様からも取り立てる化け物」で安定した。悪名としては満点のはずなのに、なぜか語られる口調は親しげであった。解せない。
◇◇◇
その夕、執務室の扉が再び先触れなく開いた。
「ごきげんよう。……いえ、この場合は『ご愁傷さま』かしら。また民に好かれてしまって」
「……皮肉を言いに来たのなら、お帰り願いたい」
「お礼を言いに来たのよ」
リュシアは昨日と同じ窓辺の椅子に座り、扇を閉じた。
「白状するとね。『王領を例外に』というお父様の内意――あれ、わたくしが仕込んだの」
「……は?」
「お父様は例外なんて一言も仰っていないわ。宮廷の争いに気を揉んでいらしただけ。わたくしが『宰相に例外を書かせては』と水を向け、内意という形にして、あなたに届けた」
(この人、王の意思を捏造して俺を試したのか)
背筋が冷えた。それは処刑台の斧よりも、よほど精密な刃だった。
「試したのよ、黒宰相。保身のために例外を書く男なら、それまで。摘発の手柄も処刑台の演説も、ただの運と口先ということ。……でも、あなたは断った。断るどころか、王冠を台帳に載せてみせた」
「悪役だからだ。私の支配に例外は置かない」
「ええ、そう言うと思ったわ」
王女はくすりと笑い、それから真顔になった。この人の真顔を、俺は初めて見た気がした。
「ひとつ、わたくしの持論を聞いてくださる? ――国はね、恐怖だけでは保たない。反乱で割れるから。愛だけでも保たない。舐められて崩れるから。恐怖と愛、そのふたつが釣り合ったときにだけ、国は静かに強くなる。わたくしはそれを『愛と恐怖の均衡』と呼んでいるの」
扇の先が、まっすぐ俺を指した。
「あなたは恐怖を独り占めなさい、黒宰相。憎まれ役も、取り立て役も、ぜんぶあなたのもの。そして愛は王家が頂くわ。今回のようにね。――この配役、悪くないでしょう?」
「……つまり、私を使うと」
「あら、人聞きの悪い。『均衡のお相手に選んだ』と言ってちょうだい」
光の王女は、天使の顔で悪魔の契約を差し出してきた。
(分かった。分かったぞ。この国で一番の悪役は、俺じゃない)
「いいだろう。その均衡、乗ってやる」
「交渉成立ね。ではまた来るわ。――ああ、それと」
扉口で、彼女は振り向いた。
「あなた、昨日わたくしに断りを入れる前、ほんの一瞬だけ算盤を弾く顔をしたわ。悪役の顔でも、忠臣の顔でもなく。……あの顔がいちばん、あなたの素顔に近いと見たけれど?」
返事を待たず、扉は閉まった。
俺はしばらく、閉まった扉を睨んでいた。
◇◇◇
【リュシア視点】
自室に戻ったリュシアは、鍵付きの手帳を開いた。
頁の頭には『愛と恐怖の均衡・観察録』。その下に、彼女は今日の分を書き足していく。
『黒宰相アルベルト・グランディーネ。嘘つきであることは確定。ただし奇妙な嘘つき。
凡百の悪人は、悪事を善意で包んで嘘をつく。あの男は逆。どう見ても国を利する判断を、わざわざ悪意の言葉で包み直す。包み方は下手。目が泳ぐ癖あり。
偽物の悪人か、本物の何なのか、判定は保留。観察を続ける。
追記――』
羽根ペンが、そこで少しだけ止まった。
『追記。観察は、思いのほか退屈しない』
手帳を閉じ、光の王女は鍵をかけた。




