第2話 恐怖せよ、と書いたのに
処刑を免れたその夜、俺は宰相執務室で書類の山に埋もれていた。
消えた税の流れを、明日の正午までに書面にする。できなければ首が飛ぶ。物理的に。
(前世の決算期を思い出すな……いや、あの時は失敗しても飛ぶのは査定だけだったけど)
アルベルトの記憶にある数字と、倉庫から引きずり出させた徴税記録を突き合わせる。経理部で十年鍛えた指が、そろばんのような計算具を勝手に弾いていく。
「……閣下」
声をかけてきたのは、燭台を持って部屋の隅に控えていた男だった。三十絡みの、生真面目を絵に描いたような文官。
マレク・ベルナルト。アルベルトの記憶いわく、悪政の実務を一手に担ってきた副官である。処刑が決まった途端に部下は全員逃げ出したのに、なぜかこいつだけ残っていた。
「逃げなかったのか、お前は」
「閣下の帳簿を燃やす役目が、誰かには必要でしたので」
「燃やす?」
「横領貴族どもの証拠と共に閣下が処刑されれば、すべては闇の中。連中はそれを望んでおりました。ですが――」
マレクは俺の手元の書面を見て、目を細めた。
「閣下は燃やすどころか、白日の下に晒すおつもりだ。処刑台での演説も、この夜業も、すべて最初から計画されていたのですね」
「…………」
(違います。今朝までこの体の持ち主は普通に悪人でした)
「好きに解釈しろ」
「はっ!」
なぜか感激された。
夜明け前、名簿は完成した。だが、俺は頭を抱えていた。
「マレク。この名簿には問題がある」
「と、申しますと」
「横領している貴族が多すぎる。全員罰すれば、徴税の実務そのものが回らなくなる」
これは本気で困っていた。中抜き構造が腐っているとはいえ、税を集める手足は連中しかいないのだ。潰せば国庫は今より痩せる。そうなれば結局、俺の首が飛ぶ。
(ええい、悪役らしく考えろ。悪役ならこういう時どうする? そうだ、悪役は取れるところから取るんだ)
「ならば話は簡単だ。……全員から搾り取れ」
「全員、とは」
「貴族も、聖職者も、豪商も、例外なくだ。身分を盾に払わぬ者から、一枚残らず毟り取る。この国のすべての者を、私の徴税台帳に載せてやる」
我ながら悪辣な響きだった。よし、これで悪名は保てる。
だがマレクは、雷に打たれたように立ち尽くしていた。
「……免税特権の、全面撤廃……」
「ん?」
「気づきませんでした。横領の温床は、そもそも貴族と教会が『税を免れる側』にいることでした。全員が同じ台帳に載れば、抜け道そのものが消える。しかも課税の裾野が広がれば、民ひとりあたりの負担は――閣下、これは実質的な減税です!」
「は?」
「『搾り取る』という言葉で本質を突かれるとは。恐れ入りました」
(待て待て待て。俺は今、確かに悪いことを言ったはずだぞ)
◇◇◇
正午、謁見の間。
名簿を検めた国王は三度読み返し、居並ぶ重臣たちは蒼白になり――なぜか半数ほどが静かに退室しようとして衛兵に止められた。名簿に載っていた連中である。
「相違ない。……アルベルトよ、処刑は取り消す。この件、いかに収める」
「布告を出しましょう。本日中に」
玉座の脇に立つリュシア王女が、扇の陰からこちらを見ていた。試すような目だった。
(ここだ。ここで恐ろしい布告を出せば、悪名は完璧に守られる。民には憎まれ、しかし有能さで首は繋がる。完璧な生存戦略だ)
俺はその場で羊皮紙に走らせた。悪役らしく。全力で威圧的に。
『布告第1号
恐怖せよ。黒宰相アルベルト・グランディーネは、すべてを見ている。
本日より、王国に立つすべての者は――貴族であろうと、聖職者であろうと、等しく税を納めるものとする。身分は盾にならぬ。祈りは免罪にならぬ。
隠す者は暴かれる。逃れる者は追われる。汝らの銅貨一枚まで、私は数えている。
震えて納めよ。 黒宰相』
「ふ、ふはは……よくもまあ、ここまで居丈高に……」
国王が乾いた笑いを漏らした。狙い通りだ。これが街中に貼り出されれば、民の憎悪は再燃するだろう。
はずだった。
◇◇◇
三日後。執務室の窓の下から、歓声が聞こえた。
「マレク。あの群衆は何だ。とうとう城に火をつけに来たか」
「祝杯を上げております」
「なぜ」
「『貴族サマも払う』『祈っても逃げられない』と。市場では布告の写しが飛ぶように売れ、酒場では『銅貨一枚まで数えている』の一節を肴に乾杯が続いているとか。曰く――恐ろしいが、初めて公平だ、と」
窓の外で、誰かが叫んだ。
「黒宰相! 俺の銅貨も数えてくれー!」
どっと笑いが起きる。憎悪の気配は、どこにもなかった。
(恐怖せよ、と書いたのに。太字で書いたのに)
俺は執務机に突っ伏したくなるのを、宰相の威厳だけで堪えた。生き延びるためだ。生き延びるためにやったことだ。名声なんて予定になかったが……まあいい、悪名はこれから取り返せばいい。
「ですが閣下、名簿の貴族どもが不穏な動きを。夜会と称して密会を重ねております」
来たな。慌てて財産を隠すか、俺の暗殺か。どちらにせよ放置はできない。
(悪役らしく、先手を打つ。こういう時、悪の帝国が作るものといえば――決まっている)
「マレク、命令だ」
俺は立ち上がり、精一杯冷たく告げた。
「監視組織を作れ。この国の路地裏の囁きひとつまで、私の耳に届く組織を。名は――そうだな、『影務庁』とでもしておけ」
秘密警察。国民監視。悪名回復の切り札だ。今度こそ震え上がるがいい。
「路地裏の、囁きひとつまで……」
マレクの目が、また例の光を帯びた。
嫌な予感がした。




