第1話 悪役、目を覚ます
目を覚ましたら、処刑台の上だった。
首の下には木の台。周囲には人だかり。頭上には、やたら刃の大きい斧を担いだ覆面の男。
(待って待って待って。昨日まで俺、経理部で伝票処理してたよな?)
記憶が二重にある。残業続きの冴えない会社員だった俺の記憶と、もうひとつ――アルベルト・グランディーネ。この国の宰相にして、民から「黒宰相」と憎まれた悪徳政治家の記憶が。
「罪状を読み上げる! 宰相アルベルト・グランディーネ! 貴様は重税により民を苦しめ、国庫を私物化し、王家の権威を貶めた! よって本日、公開処刑に処す!」
衛兵の声に、広場がわっと沸いた。
「殺せー!」
「黒宰相を吊るせ!」
「俺たちの麦を返せ!」
(すごい人気だな! 悪い意味で!)
内心は完全にパニックだった。だが不思議なことに、この体は震えひとつしない。アルベルトとして生きた記憶が、背筋を伸ばし、口の端に冷笑を浮かべさせる。悪役の所作だけは一級品らしい。
処刑執行人が斧を構え直した。
(まずい。まずいまずい。何か言え。何か……そうだ、悪役だ。悪役なら、こういう時どう言う?)
前世で読んだ小説や漫画の悪役たちが、走馬灯のように脳裏を駆けた。追い詰められた悪役の常套手段。それは――堂々と、自分の悪の必要性を語ることだ。
俺は声を張った。
「愚かな」
たった一言で、広場が静まった。悪役ボイス、恐るべし。
「私を殺すのは構わん。だが、その前にひとつ教えてやろう。……お前たちが憎むべき悪は、本当に私か?」
「な、何をいまさら――」
「税を吊り上げたのは私だ。認めよう。だが考えてみるがいい。集めた税は、どこへ消えた?」
これはハッタリではなかった。アルベルトの記憶をまさぐると、出てくる出てくる。徴税を中抜きする貴族ども、帳簿を三重につける役人ども。宰相の悪名の陰で、甘い汁を吸っていた連中の名前と数字が、経理部仕込みの頭にずらりと並ぶ。
「東部辺境伯は徴収額の四割を懐に入れた。王都の徴税官どもは帳簿を二つ持っている。私はそれをすべて知っている。知った上で、あえて泳がせた」
(泳がせてない。ただの悪徳宰相だったんだと思う。でも帳簿は全部この頭の中にある!)
「私という『わかりやすい悪』が消えれば、どうなるか教えてやろう。連中は次の隠れ蓑を探し、より巧妙に、より深く、お前たちの麦を啜る。私を殺した爽快感と引き換えにな」
群衆がざわめいた。処刑執行人の斧が、じり、と下がる。
「い、いいから執行を――」
衛兵長が叫びかけた、その時だった。
「お待ちなさい」
鈴を転がすような、それでいて広場の隅まで届く声。
群衆が割れた。白銀の髪に純白のドレス。王女リュシア・リュミエル――「光の王女」と呼ばれる、この国でただ一人、民の誰からも愛される人だ。アルベルトの記憶が告げている。
「黒宰相。いまの話、証明できて?」
「……ほう」
(できるの? いや、帳簿の数字は頭にある。ならば)
「明日の正午までに、消えた税の流れをすべて書面にして王へ提出しよう。一件でも誤りがあれば、その場で私の首を刎ねるがいい」
「首を懸けると?」
「悪役とは、常に首を懸けているものだ」
(かっこいいこと言ったけど、要は徹夜で経理仕事をするだけである)
リュシア王女はしばらく俺を見つめ、それから玉座の間から降りてきた国王へ向き直った。
「お父様。処刑はいつでもできます。ですが横領貴族の名簿は、この男の首の上にしか載っておりませんわ」
国王が唸った。長い、長い沈黙のあと。
「――処刑は延期とする。アルベルト、貴様の首は明日の正午まで預けおく」
広場がどよめいた。「殺せ」の声はもう、まばらだった。それどころか。
「……黒宰相、貴族どもの帳簿を握ってたのか」
「わざと憎まれ役をやってたってことか?」
「そういや、あいつが宰相になってから戦は一度もねえな」
(違う。違うんだ。ただの悪い奴だったんだ、こいつは。俺はただ死にたくなくて口から出まかせを――)
訂正する勇気は、当然なかった。
◇◇◇
縄を解かれ、城へ護送される道すがら。馬車に同乗してきたのは、なぜかリュシア王女その人だった。
「面白いものを見せてもらったわ」
「……何のことかな、王女殿下」
「あなた、処刑台に上がる前と後で、別人みたいだった」
心臓が跳ねた。
(鋭い! この人鋭い!)
「人は死を前にすると変わるものだ」
「そうね。命乞いをして醜く変わる人なら、たくさん見てきたわ。でも――憎まれ役を続けるために命を懸ける悪人なんて、初めて」
王女は微笑んだ。天使のような、それでいて底のまったく見えない微笑みだった。
「明日の書面、楽しみにしているわ。黒宰相アルベルト。あなたが本物の悪人なのか、それとも」
それとも、の先を、彼女は言わなかった。
言わないまま、窓の外の夕焼けに目を細める。
(……なんだこの人。処刑台より怖いんだけど)
こうして俺は、首の皮一枚で生き延びた。あとは徹夜で帳簿をまとめて、ほとぼりが冷めたら適当に失脚して、どこか田舎で静かに暮らせばいい。
まあ、結果オーライか。
――この時の俺は、知る由もなかった。この夜まとめた一枚の書面が「黒布告第1号」と呼ばれ、大陸の歴史を動かす最初の歯車になることを。




