第二十六話 明日への飛翔
明治四十三年(一九一〇年)三月、共進会が開催された。
博多の町は祝祭の空気に包まれた。
会場には九州各県と沖縄から集められた特産品が並び、大勢の見物客が押し寄せた。三郎が集めた福岡・佐賀の展示は好評で、市役所からも博多の商人たちからも賞賛を受けた。
そして共進会と同時期に、三郎はもうひとつの勝負に出た。
博多の空き地に仮設の店舗を建て、丸三の臨時販売所を開いたのだ。
福岡、佐賀、愛媛、さらに瀬戸内各地の特産品を一堂に集めて並べ、現金払いか月賦で販売した。
共進会を見に来た客が、丸三の臨時店舗にも流れてくる。仕掛けとしては単純だが、効果は絶大だった。
「すごい人出だ」
幸四郎が目を回した。
臨時店舗は客であふれ、店員たちは汗だくで応対に追われた。
「漆器を見せてくれ」「呉服はどこだ」「月賦で買えるのか」「伊万里焼はあるか」
客の声が、怒涛のように押し寄せた。
帳面がどんどん埋まっていく。契約書が山と積み上がる。北條は二本の筆を交互に使いながら、帳面をつけ続けた。田村は荷を運び、品出しをし、客を案内し、声が嗄れるまで叫んだ。
サキも店に立った。呉服の接客はサキの得意分野だった。品の良い物腰で客に応対し、着物の柄や帯の合わせ方を的確に助言する。士族の娘として培われた教養と、安宿の下働きで身につけた接客力が、ここで花を開いた。
「奥さん、この帯はどちらに合わせると良いかしら」
「こちらの紬に合わせると、落ち着いた装いになりますよ。お色が映えますわ」
サキの接客に、女性客は安心して買い物をした。
共進会の期間中、丸三の臨時店舗は大成功を収めた。
売り上げは、三郎の予想を大きく上回った。月賦の新規契約だけでも、数百件に達した。
共進会が終わった夜、中奥堂町の丸三本店で、三郎は店員たちを集めた。
五十人を超える店員が、店舗と倉庫いっぱいに座っている。桜井出身の若者たちに、いまでは博多で雇った者たちも加わっている。皆が三郎を見つめていた。
「みんな、よくやってくれた」
三郎は立ち上がって言った。
「共進会は成功した。丸三の名前は、博多中に知れ渡った。いや、九州中にだ」
店員たちが歓声を上げた。
「だが、これは終わりではない。始まりだ。おれたちの商いは、まだまだ大きくなる。月賦という仕組みは、この日本全体に広がっていく。そのために、明日からもまた働こう」
三郎は、店員たちの一人一人の顔を見回した。
田村龍蔵。あの少年は、いまや丸三の番頭格だ。
北條青松。帳面と経理のすべてを任せている。
幸四郎。弟にして、片腕。この男なしに丸三は回らない。
そして、サキ。
三郎の妻にして、丸三の女将。煤だらけの顔で風呂を焚いていた少女は、五十人の店員を支える柱になった。
この夜、三郎は二階の窓を開けて、博多の夜空を見上げた。
春の星が瞬いている。あの唐津の夜空ほど星は多くないが、博多の空にも星はある。
サキがそっとやってきて、三郎の隣に立った。
「夕方、母上が、共進会に来ていましたよ」
「義母上が。なぜ教えてくれなかったんだ。ご挨拶をしたかったのに」
「母上が、邪魔になるから三郎さんは呼ぶな、と言ったのですよ」
「そうか。……おれは嫌われているからな」
「そうではありません。母上の本音ですよ。……母上は、大島さんが三郎さんを認めたと聞いて、心から感服しているのです。……恥ずかしいので、登場はしません。そういう母ですから。けれども母上も、もはや三郎さんを認めておられます」
「そうか、義母上が」
「はい」
サキは微笑んだ。
秋の夜風が、サキの髪をかすかに揺らした。
「三郎さん。あなたは本当にすごい方ですね」
「すごくはない。まだ途中だ」
「いつも、そうおっしゃるのね」
「だって事実だからな。まだ日本一にはなっていない」
「日本一……。田野浦という土地の浜辺で、そうおっしゃっていたそうね」
「誰から聞いた」
「幸四郎さんから聞きました」
「あいつ、余計なことを」
「梅与さん、という綺麗なご婦人とも昵懇だったとか?」
「幸四郎! あいつ、いよいよ余計な――明日、折檻してやる」
「だめですよ、そんなことをしては。ところで梅与さんはお綺麗だったんですか?」
「いや、綺麗ではあったが、おれとの関係は知人、せいぜい友人だ。本当だぞ。指一本触れておらん。それにいまではひとの女房だ」
「そうですか。いずれにしても、噂になるほど綺麗な呉服店の娘さんよりも、あなたはわたしを選んでくれた。……」
「そういうことだ。おれは女房一筋だ」
「嬉しい」
サキは三郎の腕にそっと手を添えた。
「あなたは日本一の殿方です。わたしにとっては。……今生はもちろん、はるか来世に至るまで」
「寝よう。明日もまた、働くぞ」
「はい」
サキはくすくす笑った。
三郎は、この日ばかりは働かずに、眠った。




