表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
25/28

第二十五話 おのれと仲間の力を示す

 三郎は中奥堂町の店舗に戻った。


 二階に駆け上がると、サキが帳面の整理をしていたが、


「サキ。仕事を頼みたい」


「はい」


「呉服だ。久留米絣の反物を、最上のものだけ集めてくれ。久留米の出張所に電信を打て。上物だけを選んで、鉄道便で送らせろ」


「分かりました。でも、最上のものとなると、お値段が」


「構わん。金のことはおれが考える。とにかく良いものを集めてくれ。博多の女将たちが目を丸くするような品を」


 サキはうなずいた。

 かつて安宿で下働きをしていた少女は、いまや呉服の目利きにおいても確かな力を持っていた。士族の娘として培われた美意識と、商売の現場で鍛えられた眼力が、サキの武器だった。


 三郎は階下に降りると、田村と北條を呼んだ。


「龍やん。お前は明日の朝一番の汽車で唐津に行け。窯元を五軒回れ。唐津焼の茶碗と皿、それから花入れと水差し。共進会に出しても恥ずかしくない品だけを選んで買い付けろ。窯元の名前と住所はここに書いてある」


 三郎は紙を渡した。唐津の窯元との付き合いは、行商時代から続いている。どの窯元にどんな得意技があるか、三郎の頭にはすべて入っていた。


「ついでに伊万里まで足を伸ばせ。有田焼の上物を仕入れろ。絵付けの見事なやつだ。共進会の目玉になるような大皿があれば、迷わず買え」


「承知しました。金は」


「これを持っていけ」


 三郎は金庫を開け、まとまった額の紙幣を田村に渡した。田村は目を丸くしたが、すぐに懐にしまった。


「青やん」


 北條が、静かに前に出た。


「お前は山陽道だ。すぐに鉄道と船で下関、広島、岡山と巡り、現地の業者と話をして、即座に特産品を送る手配をしろ。金はいくらかかっても構わん。おれの名前もどんどん使え」


「はい」


 北條は短く答えた。この男は余計な言葉を使わない。だが、任された仕事は完璧にこなす。三郎が見込んだ少年は、いまや丸三の頭脳であった。


「さらに、桜井にも電信を打つ。縄太郎兄やんに頼む」


 幸四郎が驚いた。


「桜井にも頼むのか」


「桜井漆器なくして、おれたちの商売は成り立たん。共進会に桜井漆器を出さずしてどうする。兄やんに頼んで、桜井の問屋から最上の漆器一式を選んでもらう。黒本膳の二十人前。それに黒江漆器の重箱も。選んだら、すぐに船便で送ってくれと」


「桜井から博多まで、船便で間に合うか」


「間に合わせるのだ」


 三郎は、さらに言った。


「それからもうひとつ。門司の宮本さんにも手紙だ。宮本さんは門司港で二十年以上商いをしてきたお方だ。八幡、小倉、門司などの特産品について、おれよりもずっと詳しい。あのあたりの名物がなにか、宮本さんなら知っている。紹介してもらえれば、仕入れ先にもすぐに繋がる」


 三郎は文机に向かうと、只八宛ての手紙をしたためた。要件を簡潔に書き、共進会のために力を貸してほしいと頼んだ。末尾に、「いつもご恩をいただくばかりで、心苦しく思っております」と書き添えた。


 手紙を封じると三郎はそれを店員に託し、門司港へ届けさせた。




 五日が経った。




 幸四郎が倉庫の陳列を仕上げた。

 中奥堂町の倉庫の扉を開けると、そこには九州と瀬戸内の精華が、整然と並んでいた。


 入り口の正面に、桜井漆器の二十人前一式が鎮座している。黒漆の光沢が、倉庫に差し込む冬の陽を受けて、深い艶を放っていた。


 その左手に、唐津焼と有田焼の陶磁器が並ぶ。田村が持ち帰った染め付けの大皿は、特別に台を設えて、壁を背にして立てかけてある。藍色の牡丹と鳳凰が、見る者の目を射抜いた。


 右手には、サキが集めた久留米絣の反物が、反物掛けに美しく広げられていた。金糸銀糸の帯が、絹の光沢を競うように輝いている。


 奥の棚には、関門の海産物の加工品、九州各地の焼酎、広島の牡蠣の燻製、瀬戸内の藻塩、岡山の花莚、小倉織の反物、備前焼の花入れ。それらが、北條の手によって、品目ごとに整理され、一目で全体が見渡せるように配置されていた。


「見事だ、青やん」


 三郎は北條の仕事に感嘆した。


「商品の配置は、漆器を中心に据え、呉服を右に広げ、陶磁器を左に。食品と工芸品を奥に並べました。客の目線が自然に奥へ流れるように」


「展覧会で学んだことが、ここに生きているな」


 北條はかすかにうなずいた。それだけだった。だが、その目にはたしかな誇りがあった。


 三郎は倉庫の中を歩き回り、すべての品物を確認した。

 唐津焼の茶碗を手に取り、裏を返した。有田焼の大皿を眺めた。桜井漆器の椀を指で弾いて、澄んだ音を聞いた。


 すべてが一級品だった。

 どれひとつとして、手を抜いた品はない。


(おれひとりの力では、これだけのものは集められなかった)


 幸四郎が倉庫を仕切り、サキが久留米絣を集め、田村が唐津と伊万里を走り回り、北條が陳列を整えた。桜井では縄太郎が最上の漆器を選んでくれた。門司では只八が業者を紹介してくれた。


 ひとりの力ではない。

 四年半で築いてきた人の繋がりが、この倉庫の中に結実していた。


「明日、大島さんと市役所を呼ぶ。そうするように手はずを整えた」


 三郎は言った。


「さあ、仕上げだ」




 六日目の朝。

 三郎はみずから市役所に出向き、担当の職員に告げた。


「準備ができました。大島さんにもお声がけください。中奥堂町の倉庫に、共進会に出す品を並べてあります。ご覧いただきたい」


 市役所の職員は、半信半疑の顔をしていた。

 わずか五日で、なにが揃えられるというのか。


 昼過ぎ、大島紀一朗が中奥堂町にやってきた。

 市役所の職員が三人、同行している。


 大島は仏頂面だった。腕を組み、三郎を見下ろすような目つきをしている。

 身長は三郎より半頭ほど高い。恰幅も良い。博多の商人としての貫禄が、全身から漂っていた。


「越智さん。見せてもらおうか」


 大島の声は低く、抑制されていた。

 怒鳴りはしない。だが、その静かさのほうが、かえって威圧感があった。


「どうぞ」


 三郎は倉庫の扉を開けた。


 大島が一歩、踏み入れた。


 桜井漆器の二十人前一式が待っていた。

 黒漆の深い艶が、扉から差し込む冬の陽を受けて、しっとりと輝いている。

 有田焼の染め付け大皿。藍色の牡丹と鳳凰が、白磁の上で息づいている。

 久留米絣の反物。不思議と、光り輝いているようだ。

 唐津焼の茶碗と皿。素朴な土の肌合いが、焼き物の原点を思わせる。

 他にも、九州と瀬戸内の名産品が、整然と並んでいた。


 大島は、黙って歩いた。

 一歩、一歩、倉庫の奥へ進みながら、品々を見ていく。


 まず桜井漆器を手に取った。椀をひっくり返し、高台を確かめ、指で弾いて音を聞いた。呉服屋の主人だが、器の善し悪しも分かる男だ。


 次に有田焼の大皿の前で足を止めた。長いこと、絵付けを見つめていた。藍色の筆の運びを、目で追っていた。


 久留米絣の反物を手に取ったとき、大島の眉が動いた。


「これは最上品ではないか。どこで手に入れた」


「妻が直接いただきました」


「奥方が?」


「はい。妻は月原家の出ですが、呉服の目利きには自信があります」


「月原家……」


 大島は反物を丁寧に、元の位置に戻した。


 さらに唐津焼の茶碗を持ち上げ、伊万里の皿を光にかざした。小倉織の反物を広げ、その縦縞の織り目を指でなぞった。


 倉庫を一巡するのに、大島は二十分かかった。

 その間、一言も発しなかった。

 市役所の職員たちは、息を詰めて見守っていた。


 大島は最後に、もう一度、桜井漆器の前に戻った。

 黒本膳を手に取り、光にかざした。

 それから、静かに、膳を元の位置に置いた。


 振り返った。

 大島の表情が、変わっていた。

 怒りは消えていた。

 代わりに、商人としての敬意が、その目に浮かんでいた。


「……これを、五日で集めたのか」


「はい。九州と瀬戸内の各地に、取引先がございます。その方々のご協力で」


「取引先だけではあるまい」


 大島は、三郎の目を見据えた。


「これだけの品を、これだけの速さで、これだけの質で集めるには、金と人脈だけでは足りん。信用が要る。各地の業者が、越智さんのために最上の品を出してくれた。それは、あなたが築いてきた信用の証だ」


 三郎は黙って聞いていた。


「お見事です」


 大島が、頭を下げた。


 博多を代表する商人が、よそ者の月賦商人に頭を下げた。

 倉庫にいた全員が、息を呑んだ。


「私はあなたを侮っていた。よそ者の怪しい月賦売り――ラムネがこの博多でなにができるか、と。しかし、これだけの品を、これだけの速さで集められる商人は、そうはおらん」


 大島は顔を上げた。


「私は博多の商人だ。博多のことなら誰よりも知っているつもりだった。だが、九州全体を、瀬戸内まで含めて、これほどの人脈で繋いでいる商人は、博多にはいなかった」


 大島の声に、悔しさはなかった。

 あるのは、純粋な感嘆だった。


「越智さん。共進会のこと、よろしく頼みます」


 大島が右手を差し出した。

 三郎はその手を握った。大島の手は大きく、温かかった。

 博多の商人と、伊予の商人が、手を握り合った。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。大島さんのお力をお借りしなければ、共進会は成功しません」


「にくいことをおっしゃる。ここに集められた商品の中で、博多のものがひとつもないのは」


「博多のことは、大島さんにしてもらわねばなりませんから。博多といえば、大島呉服店です」


「気を遣ってくれたわけですな。では博多の名物は、私がなんとしても集めましょう」


 大島の言葉に、市役所の職員が手を叩いた。


「いや、これにて一件落着ですな。大島呉服店と越智漆器店が手を組めば、こいつは鬼に金棒だ」


「共進会も成功間違いなし」


 一気に、場の空気が和んだ。

 大島も、ふっと笑って、


「ところで越智さん。先ほど、おたくの奥方は、月原家の方とお聞きしましたが」


「はい。筑前黒田藩の月原家です。……こちらに」


 奥で控えていたサキが、そっと前へと登場した。

 すると大島の目に、懐かしげな光が浮かんだ。


「サキさん。おう、これはまさに、昔の面影が――いや、失敬、じつに十何年ぶりにお会いしましたな。じつは私の祖父は、月原家に出入りしていたのです」


「……初耳です」


 サキは目を丸くした。


「大島家は月原家に、ずっと呉服を納めておりました。そのご縁で、私も月原家に参上したことがあったのですが、十五年ほど前に月原家はお引っ越しをされて」


「ええ、確かにそのころ、我が家は転居いたしました」


「ああ――ご家族がどちらに行かれたのか、ずっと気にかかっておりました。サキさんも、どこにいらしたのかと……それが、越智さんの御料人となられたとは。奇縁とはまさにこのことだ」


 大島は感銘を受けたようだった。

 月原家と大島家。筑前黒田家の士族の家と、その呉服を納めていた商人の家。

 離れたふたつの家が、三郎を介して再び繋がったのだ。


「お父様にも、よろしくお伝えください。祖父の代からのご縁です。今後は大島家としても、月原家、そして越智さんを応援させていただく」


「ありがとうございます」


 三郎は深く頭を下げた。

 博多の商人たちに認められた。大島紀一朗に認められた。それは、月賦の売り上げがいくら増えることよりも、三郎にとって大きな意味を持つ出来事だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ