第二十五話 おのれと仲間の力を示す
三郎は中奥堂町の店舗に戻った。
二階に駆け上がると、サキが帳面の整理をしていたが、
「サキ。仕事を頼みたい」
「はい」
「呉服だ。久留米絣の反物を、最上のものだけ集めてくれ。久留米の出張所に電信を打て。上物だけを選んで、鉄道便で送らせろ」
「分かりました。でも、最上のものとなると、お値段が」
「構わん。金のことはおれが考える。とにかく良いものを集めてくれ。博多の女将たちが目を丸くするような品を」
サキはうなずいた。
かつて安宿で下働きをしていた少女は、いまや呉服の目利きにおいても確かな力を持っていた。士族の娘として培われた美意識と、商売の現場で鍛えられた眼力が、サキの武器だった。
三郎は階下に降りると、田村と北條を呼んだ。
「龍やん。お前は明日の朝一番の汽車で唐津に行け。窯元を五軒回れ。唐津焼の茶碗と皿、それから花入れと水差し。共進会に出しても恥ずかしくない品だけを選んで買い付けろ。窯元の名前と住所はここに書いてある」
三郎は紙を渡した。唐津の窯元との付き合いは、行商時代から続いている。どの窯元にどんな得意技があるか、三郎の頭にはすべて入っていた。
「ついでに伊万里まで足を伸ばせ。有田焼の上物を仕入れろ。絵付けの見事なやつだ。共進会の目玉になるような大皿があれば、迷わず買え」
「承知しました。金は」
「これを持っていけ」
三郎は金庫を開け、まとまった額の紙幣を田村に渡した。田村は目を丸くしたが、すぐに懐にしまった。
「青やん」
北條が、静かに前に出た。
「お前は山陽道だ。すぐに鉄道と船で下関、広島、岡山と巡り、現地の業者と話をして、即座に特産品を送る手配をしろ。金はいくらかかっても構わん。おれの名前もどんどん使え」
「はい」
北條は短く答えた。この男は余計な言葉を使わない。だが、任された仕事は完璧にこなす。三郎が見込んだ少年は、いまや丸三の頭脳であった。
「さらに、桜井にも電信を打つ。縄太郎兄やんに頼む」
幸四郎が驚いた。
「桜井にも頼むのか」
「桜井漆器なくして、おれたちの商売は成り立たん。共進会に桜井漆器を出さずしてどうする。兄やんに頼んで、桜井の問屋から最上の漆器一式を選んでもらう。黒本膳の二十人前。それに黒江漆器の重箱も。選んだら、すぐに船便で送ってくれと」
「桜井から博多まで、船便で間に合うか」
「間に合わせるのだ」
三郎は、さらに言った。
「それからもうひとつ。門司の宮本さんにも手紙だ。宮本さんは門司港で二十年以上商いをしてきたお方だ。八幡、小倉、門司などの特産品について、おれよりもずっと詳しい。あのあたりの名物がなにか、宮本さんなら知っている。紹介してもらえれば、仕入れ先にもすぐに繋がる」
三郎は文机に向かうと、只八宛ての手紙をしたためた。要件を簡潔に書き、共進会のために力を貸してほしいと頼んだ。末尾に、「いつもご恩をいただくばかりで、心苦しく思っております」と書き添えた。
手紙を封じると三郎はそれを店員に託し、門司港へ届けさせた。
五日が経った。
幸四郎が倉庫の陳列を仕上げた。
中奥堂町の倉庫の扉を開けると、そこには九州と瀬戸内の精華が、整然と並んでいた。
入り口の正面に、桜井漆器の二十人前一式が鎮座している。黒漆の光沢が、倉庫に差し込む冬の陽を受けて、深い艶を放っていた。
その左手に、唐津焼と有田焼の陶磁器が並ぶ。田村が持ち帰った染め付けの大皿は、特別に台を設えて、壁を背にして立てかけてある。藍色の牡丹と鳳凰が、見る者の目を射抜いた。
右手には、サキが集めた久留米絣の反物が、反物掛けに美しく広げられていた。金糸銀糸の帯が、絹の光沢を競うように輝いている。
奥の棚には、関門の海産物の加工品、九州各地の焼酎、広島の牡蠣の燻製、瀬戸内の藻塩、岡山の花莚、小倉織の反物、備前焼の花入れ。それらが、北條の手によって、品目ごとに整理され、一目で全体が見渡せるように配置されていた。
「見事だ、青やん」
三郎は北條の仕事に感嘆した。
「商品の配置は、漆器を中心に据え、呉服を右に広げ、陶磁器を左に。食品と工芸品を奥に並べました。客の目線が自然に奥へ流れるように」
「展覧会で学んだことが、ここに生きているな」
北條はかすかにうなずいた。それだけだった。だが、その目にはたしかな誇りがあった。
三郎は倉庫の中を歩き回り、すべての品物を確認した。
唐津焼の茶碗を手に取り、裏を返した。有田焼の大皿を眺めた。桜井漆器の椀を指で弾いて、澄んだ音を聞いた。
すべてが一級品だった。
どれひとつとして、手を抜いた品はない。
(おれひとりの力では、これだけのものは集められなかった)
幸四郎が倉庫を仕切り、サキが久留米絣を集め、田村が唐津と伊万里を走り回り、北條が陳列を整えた。桜井では縄太郎が最上の漆器を選んでくれた。門司では只八が業者を紹介してくれた。
ひとりの力ではない。
四年半で築いてきた人の繋がりが、この倉庫の中に結実していた。
「明日、大島さんと市役所を呼ぶ。そうするように手はずを整えた」
三郎は言った。
「さあ、仕上げだ」
六日目の朝。
三郎はみずから市役所に出向き、担当の職員に告げた。
「準備ができました。大島さんにもお声がけください。中奥堂町の倉庫に、共進会に出す品を並べてあります。ご覧いただきたい」
市役所の職員は、半信半疑の顔をしていた。
わずか五日で、なにが揃えられるというのか。
昼過ぎ、大島紀一朗が中奥堂町にやってきた。
市役所の職員が三人、同行している。
大島は仏頂面だった。腕を組み、三郎を見下ろすような目つきをしている。
身長は三郎より半頭ほど高い。恰幅も良い。博多の商人としての貫禄が、全身から漂っていた。
「越智さん。見せてもらおうか」
大島の声は低く、抑制されていた。
怒鳴りはしない。だが、その静かさのほうが、かえって威圧感があった。
「どうぞ」
三郎は倉庫の扉を開けた。
大島が一歩、踏み入れた。
桜井漆器の二十人前一式が待っていた。
黒漆の深い艶が、扉から差し込む冬の陽を受けて、しっとりと輝いている。
有田焼の染め付け大皿。藍色の牡丹と鳳凰が、白磁の上で息づいている。
久留米絣の反物。不思議と、光り輝いているようだ。
唐津焼の茶碗と皿。素朴な土の肌合いが、焼き物の原点を思わせる。
他にも、九州と瀬戸内の名産品が、整然と並んでいた。
大島は、黙って歩いた。
一歩、一歩、倉庫の奥へ進みながら、品々を見ていく。
まず桜井漆器を手に取った。椀をひっくり返し、高台を確かめ、指で弾いて音を聞いた。呉服屋の主人だが、器の善し悪しも分かる男だ。
次に有田焼の大皿の前で足を止めた。長いこと、絵付けを見つめていた。藍色の筆の運びを、目で追っていた。
久留米絣の反物を手に取ったとき、大島の眉が動いた。
「これは最上品ではないか。どこで手に入れた」
「妻が直接いただきました」
「奥方が?」
「はい。妻は月原家の出ですが、呉服の目利きには自信があります」
「月原家……」
大島は反物を丁寧に、元の位置に戻した。
さらに唐津焼の茶碗を持ち上げ、伊万里の皿を光にかざした。小倉織の反物を広げ、その縦縞の織り目を指でなぞった。
倉庫を一巡するのに、大島は二十分かかった。
その間、一言も発しなかった。
市役所の職員たちは、息を詰めて見守っていた。
大島は最後に、もう一度、桜井漆器の前に戻った。
黒本膳を手に取り、光にかざした。
それから、静かに、膳を元の位置に置いた。
振り返った。
大島の表情が、変わっていた。
怒りは消えていた。
代わりに、商人としての敬意が、その目に浮かんでいた。
「……これを、五日で集めたのか」
「はい。九州と瀬戸内の各地に、取引先がございます。その方々のご協力で」
「取引先だけではあるまい」
大島は、三郎の目を見据えた。
「これだけの品を、これだけの速さで、これだけの質で集めるには、金と人脈だけでは足りん。信用が要る。各地の業者が、越智さんのために最上の品を出してくれた。それは、あなたが築いてきた信用の証だ」
三郎は黙って聞いていた。
「お見事です」
大島が、頭を下げた。
博多を代表する商人が、よそ者の月賦商人に頭を下げた。
倉庫にいた全員が、息を呑んだ。
「私はあなたを侮っていた。よそ者の怪しい月賦売り――ラムネがこの博多でなにができるか、と。しかし、これだけの品を、これだけの速さで集められる商人は、そうはおらん」
大島は顔を上げた。
「私は博多の商人だ。博多のことなら誰よりも知っているつもりだった。だが、九州全体を、瀬戸内まで含めて、これほどの人脈で繋いでいる商人は、博多にはいなかった」
大島の声に、悔しさはなかった。
あるのは、純粋な感嘆だった。
「越智さん。共進会のこと、よろしく頼みます」
大島が右手を差し出した。
三郎はその手を握った。大島の手は大きく、温かかった。
博多の商人と、伊予の商人が、手を握り合った。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。大島さんのお力をお借りしなければ、共進会は成功しません」
「にくいことをおっしゃる。ここに集められた商品の中で、博多のものがひとつもないのは」
「博多のことは、大島さんにしてもらわねばなりませんから。博多といえば、大島呉服店です」
「気を遣ってくれたわけですな。では博多の名物は、私がなんとしても集めましょう」
大島の言葉に、市役所の職員が手を叩いた。
「いや、これにて一件落着ですな。大島呉服店と越智漆器店が手を組めば、こいつは鬼に金棒だ」
「共進会も成功間違いなし」
一気に、場の空気が和んだ。
大島も、ふっと笑って、
「ところで越智さん。先ほど、おたくの奥方は、月原家の方とお聞きしましたが」
「はい。筑前黒田藩の月原家です。……こちらに」
奥で控えていたサキが、そっと前へと登場した。
すると大島の目に、懐かしげな光が浮かんだ。
「サキさん。おう、これはまさに、昔の面影が――いや、失敬、じつに十何年ぶりにお会いしましたな。じつは私の祖父は、月原家に出入りしていたのです」
「……初耳です」
サキは目を丸くした。
「大島家は月原家に、ずっと呉服を納めておりました。そのご縁で、私も月原家に参上したことがあったのですが、十五年ほど前に月原家はお引っ越しをされて」
「ええ、確かにそのころ、我が家は転居いたしました」
「ああ――ご家族がどちらに行かれたのか、ずっと気にかかっておりました。サキさんも、どこにいらしたのかと……それが、越智さんの御料人となられたとは。奇縁とはまさにこのことだ」
大島は感銘を受けたようだった。
月原家と大島家。筑前黒田家の士族の家と、その呉服を納めていた商人の家。
離れたふたつの家が、三郎を介して再び繋がったのだ。
「お父様にも、よろしくお伝えください。祖父の代からのご縁です。今後は大島家としても、月原家、そして越智さんを応援させていただく」
「ありがとうございます」
三郎は深く頭を下げた。
博多の商人たちに認められた。大島紀一朗に認められた。それは、月賦の売り上げがいくら増えることよりも、三郎にとって大きな意味を持つ出来事だった。




