第二十三話 三郎の新商法
「帰ったぞ」
博多に戻った三郎は、仕入れた漆器をみずから倉庫に置きながら、幸四郎へと話しかけた。
「おい、桜井から帰りながら思いついたぞ」
「また、なにを思いついた」
「新聞広告だ」
三郎は新聞を利用することにしたのである。
――漆器から呉服まで、なんでも月賦で商います。越智漆器店
翌月より、福岡日日新聞に、この一文を載せた広告を出た。
新聞に広告を出す商人は、このころの博多ではまだ珍しかった。
この広告を見たサキは、
「本当に良いもの、良いやり方ならば、宣伝などしなくても売れるのでは」
そう言って、首を傾げたが、
「良い品物だから、なおのこと宣伝するのだ」
三郎は笑って言った。
「世の中には、良い品物があることを知らずに暮らしている人間が大勢いる。おれたちの漆器や呉服がほしいのに、おれたちの店の存在を知らない人間がいる。その人たちに、ここに店がありますよ、月賦で買えますよ、と教えてやるのが宣伝だ」
「なるほど……」
「宣伝とは、おれたちの品物を自慢することではない。困っている人に、解決の道を教えてやることだ」
サキはうなずいた。
三郎の言葉には、いつも、ただの金儲けを超えたなにかがあった。
新聞広告は大当たりだった。
広告を見た客が、箔屋町と中奥堂町の越智漆器店に押し寄せた。月賦で漆器がほしい、呉服がほしい、陶磁器がほしい。あれもこれも、月賦で買いたい。三郎が山陽道で仕入れてきた各地の特産品も、飛ぶように売れた。
――越智漆器店は、漆器店というが、なんでも置いてあるぞ。
――珍しいものも多い。それも月賦で買えるそうだ。
噂が広まり、毎日のように客がやってくる。
「すごい。こんなに来るとは」
幸四郎が、帳面をつける手を止めて呆然とした。
「広告の力だ。これからは定期的に新聞に載せる。博多中に丸三の名前を広めるぞ」
三郎は新聞広告を武器に加え、月賦販売をさらに拡大させた。
このころから、三郎は箔屋町の店舗を越智漆器店として漆器の専門店にして、幸四郎に任せた。中奥堂町は丸三の名前のみを使用し、あらゆる品を並べ、現金、もしくは月賦で販売した。
丸三の売り上げは、右肩上がりに伸びていった。
店員は三十人を超えた。中奥堂町の店舗は手狭になり、隣の空き地に倉庫を増設した。
三郎は朝から晩まで働いた。仕入れに走り、営業に出て、帳面をつけ、店員を指導し、新聞広告の文面を考え、銀行と交渉した。夜中の二時三時まで働くのが常だった。
「あなた、少しは休んでください」
サキは心配してそう言ったが、三郎は笑って、
「休むのは死んでからだ」
「そんなことを言って……」
「おれを信じろ」
「信じるとかそういう話ではなくて……もう」
サキはただ眉を綺麗な八の字にした。
そんな彼女も、ふだんは三郎の横で飯を炊き、帳面の整理を手伝い、来客の応対をした。かつて安宿で下働きをしていた娘は、いまや博多の商家の女将として、しっかりと店を支えていた。
三郎は、また新しいことを思いついた。
展覧会である。
きっかけは、ある日の営業中に遭遇した光景だった。
博多の都市部から南にある、井尻という村を歩いていると、寺の本堂で農産物の品評会が開かれていた。近在の農家が自慢の野菜や米を持ち寄り、本堂の広間に並べている。見物客がぞろぞろと集まり、品物を眺め、気に入ったものを買っていく。
(これだ)
三郎は閃いた。
漆器や呉服を、一軒一軒回って売るのではない。店舗で売るのでもない。
ひとつの会場に商品を集めて陳列し、客のほうから見に来てもらうのだ。
「展覧会方式だ」
三郎は博多に戻ると、さっそく幸四郎と店員たちに構想を語った。
「まず有望な町に出向いて、寺か旅館か、広い場所を借りる。そこへ大量の商品を送り込み、漆器や陶器や呉服、特産品を陳列して、会場にする」
三郎は、さらに熱く唾を飛ばして語る。
「以前から、他の土地に支店を置きたいと思っていたんだ。だが支店を開くとなると金もかかるし手間もかかる、人手もいる。そこまでやっても、うまくいかないかもしれん。だがおれがいま口にした、出張展覧会方式ならば」
「失敗しても、痛手はそう大きくない、と。兄やん、さすがだ。考えたな」
幸四郎は何度も首を縦に振った。
「そうだ、幸四郎。もちろんおれたちがやるのだから、月賦で売る物産展だ。現金でも月賦でも、どちらでも買える。七日間ほど開催して、会期が終わったら次の町へ移る」
「面白いですね。でも、客は来るんですか」
「来させるのだ。宣伝をする」
三郎は、展覧会の運営方法を考えた。
店員を八人一組で派遣する。八人のうち、半分は会場で商品の陳列と接客を担当する。残りの半分は、会場の周辺を回って案内状を書き、一軒一軒、戸別訪問をして宣伝する。
「案内状は手書きにこだわるぞ。手書きのほうが、もらったほうは嬉しい」
こうして丸三による、展覧会方式の出張販売が始まった。
最初の展覧会は、八幡で開催した。
会場には製鉄所の職工長屋に近い寺を借りた。本堂の広間に、漆器と陶磁器と呉服を所狭しと並べた。黒漆の艶、唐津焼の素朴な風合い、呉服の鮮やかな彩り。それらが本堂の薄暗い空間の中で、灯明の光を受けてひっそりと輝いた。
客が来た。
案内状を見て来た者、近所の噂を聞いて来た者、たまたま通りかかって覗いた者。さまざまだったが、会場に入った客の多くは、商品の前で足を止めた。
「ほう、これは見事な漆器だ」
「呉服も、こんなに種類があるとは」
「月賦で買えるのか。それは助かる」
七日間の会期で、三郎は予想以上の売り上げをあげた。現金払いと月賦の契約が、帳面を次々と埋めていった。
「いけるぞ。展覧会方式は当たりだ」
三郎は手応えを確信した。
それから三郎は、店員たちと共に、北部九州と瀬戸内海沿岸の町々を展覧会で巡り始めた。
八幡、小倉、久留米、筑豊。さらに鉄道で足を伸ばし、下関や広島、岡山、神戸でも展覧会を開いた。
会場は寺が多かった。本堂の広間が使えるし、畳敷きなので商品を傷めずに陳列できる。旅館の大広間を借りることもあった。
会場の準備は重労働だった。
大量の商品を荷造りし、鉄道や船で運び、会場で荷を解いて陳列する。会期が終われば、売れた商品と在庫を照合し、最終日の夜には片付けと荷造りを行い、翌朝には次の会場へ移動する。
「陳列場を移すときは、菰や縄を扱うので会場が汚れる。寺は今後も借りていかねばならんから、荷造りや荷ほどきは真夜中にやるのだ」
三郎は店員たちにそう指示した。会場を貸してくれた寺や旅館に迷惑をかけてはならない。次も借りられるように、きれいに使って返す。それが商人の義理だった。
連日連夜の仕事だった。
会場を準備し、宣伝に走り、接客をし、夜中に片付けて、翌朝移動。
休みなどない。会場の都合があるから、勝手に休みも取れない。
「大将、いつ寝るんですか」
田村が目をこすりながら聞いた。
「寝なくても死なん。死んだら寝る」
「それは寝ているとは言わないと思いますが」
田村の軽口に、店員たちが笑った。
真夜中の荷造り作業の中で、笑い声だけが明るかった。
瀬戸内方面の展覧会は、三郎にとって特別な喜びがあった。
商品を船で運び、島々の港に寄りながら展覧会を開く。瀬戸内の景色を眺めながらの商いだ。
ある島で展覧会を開いたとき、会場にした漁村の集会所の窓から、瀬戸内の海が一望できた。穏やかな水面に、島々の影が映っている。遠くに渡し船が行き交い、鯛を獲る漁師の舟が点々と浮かんでいた。夕暮れどきには、島影が紫に沈み、空と海の境が溶けて消えた。
(商売をしながら、この景色が見られるとは)
三郎は会場の片隅で、ひとり瀬戸内の夕暮れに見惚れた。
商いの楽しさは、こういうところにもあった。
だが、すべてが順風満帆というわけではなかった。
展覧会に来た客の家族が、後日になって怒鳴り込んでくることがあった。
「勝手にうちのひとが月賦の契約なんかをした。取り消してくれ」
亭主が妻に内緒で漆器を契約した、あるいは妻が亭主に内緒で呉服を契約した。そういう揉め事が、月賦が広がるにつれて増えてきた。三郎にとっては頭痛の種だった。
「月賦の契約は、ご本人の意思で結んでいただいたものです。勝手に取り消すことはできません」
「そんなことを言ったって、うちにそんな金はないよ」
「しかし……」
「請求が来ても、絶対に払わないからね」
交渉は難航した。中には、使い古した品物を返品してくる者もいた。
「買って一ヶ月も二ヶ月も経ってから、返品なんぞされてたまるか。そんなやつは客じゃない、怒鳴り返せ。いや、むしろおれが怒鳴り返してやる」
叫び続けていると、喧嘩百戦負けなしの血が蘇ってくる。
「二割ぐらいは揉め事の種だな」
幸四郎が帳面を見ながら言った。
「だが、残りの八割はきちんと払ってくれている。八割の客のために、おれたちは商売を続けるのだ」
また、このころになると、月賦のことを陰口で『ラムネ』と呼ぶ者もいた。
ラムネを飲むとゲップが出る。月賦の『げっぷ』にかけた駄洒落だ。
「月賦でものを買うなど恥ずかしい。貧乏人が背伸びしているのが丸分かりだ」
そんな嘲りを耳にするたびに、三郎の腹は煮えくり返った。だが怒りを顔には出さなかった。
「笑いたい奴には笑わせておけ」
三郎は店員たちに言った。
「おれたちは、金のない者にも良い品を届けているのだ。それを恥じることはない。恥じるべきは、月賦でものを買う客ではなく、まとまった金がなければ何も買えない世の中のほうだ」
三郎の言葉に、店員たちはうなずいた。
それでも売り上げは右肩上がりだった。
展覧会方式は大当たりし、北部九州と瀬戸内の各地で三郎の名は知られるようになった。「丸三の越智さん」「月賦の越智さん」と呼ばれ始めた。
そして三郎は、ついに新しい船を買った。
機帆船・第二大龍丸である。
帆走と動力を併せ持つ船で、初代の大龍丸とは比べ物にならない大きさだった。三百トン級の、堂々たる船体である。
「第二大龍丸か。名前は変えないんだな」
幸四郎が言った。
「変えない。大龍丸はおれの商いの始まりだ。あの小舟がなければ、おれは桜井から出ることもできなかった。名前は引き継ぐ」
初代大龍丸は、もう古くなりすぎて航海には使えない。そもそも買ったときから中古船だったうえ、春夏秋冬を問わず、素人に毛が生えた連中で航海を続けてきたのが無茶だったのだ。だが三郎は、初代を博多の港に係留したまま手放さなかった。
第二大龍丸は、商品の輸送と三郎自身の移動に使った。桜井からの漆器の輸送、唐津からの陶磁器の輸送、そして瀬戸内海沿岸の展覧会への商品の搬送。大きな船ならば、一度に大量の品物を運べる。
「ほうろく売っても船頭になれ、と桜井では言うからな」
三郎は第二大龍丸の舳先に立って、博多湾の風を受けながら笑った。
桜井のことわざだ。ほうろく――素焼きの鍋を売る行商をしてでも、いつかは船頭になれ。船を持つことが桜井の男の夢だ。そういう意味だ。
椀船行商で育った三郎にとって、船を持つことには格別の意味があった。
父は船に乗った。兄の縄太郎も、幼いころの三郎も。越智家の男たちは、瀬戸内の海を渡る船の上で育った。
(おれは大きな船を手に入れたぞ)
三郎は海を見つめた。
博多湾の向こうに、能古島のなだらかな稜線が見える。島の緑が海面に映って、水彩画のように滲んでいた。空には薄い雲が流れ、秋の陽が海面を金色に染めている。
大龍丸に始まり、第二大龍丸に至る。
三郎の商いは、いつも海と共にあった。




