第十七話 銀行融資交渉
課題は山積みだった。
店員を増やす。漆器や陶器を仕入れる。食料や必需品も買い求める。博多の箔屋町の家賃を支払う。大龍丸の代金もまだ残っている。すべてに金がかかる。
「やはり金が要る」
三郎は箔屋町の二階で帳面を広げながらうめいた。
月賦で売れると、毎月、確実に金は入ってくる。だがその代わりに、一度に大金が入ってこないのが欠点だった。
例えば四十五円の漆器を二十三回払い、利息込みの四十六円で売れば、月々の回収は二円だ。じわじわと積み上がっていくが、一気にまとまった金にはならない。
仕入れや家賃や人件費は、毎月どっさりとかかる。
月賦の回収額と、出ていく金の釣り合いが、紙一重で保たれている状態だった。
「桜井の村の講に入って、金を融通してもらってはどうだ」
幸四郎が提案した。
故郷の頼母子講から金を借りる、という手だ。
「桜井の講では大金は入るまい。農村の講は額が小さい。うちが必要としている金を賄えるだけの講は、桜井にはないだろう」
三郎は首を振った。自分は頼母子講を使って漆器を売った人間だ。講の仕組みは知り尽くしている。だからこそ、講で調達できる金の限界も分かっていた。
「もうひとつ問題がある」
三郎は帳面を閉じて言った。
「大龍丸が小さすぎる」
二十石積みの小舟では、人と品物を大量に運べない。
幸四郎が桜井で声をかけた結果、新しい店員が三人見つかった。いずれも桜井の若者で、三郎や幸四郎の年下の友人だ。足腰が強く、漆器の扱いにも慣れている。真面目で、信用できる男たちだった。
だが、その三人を博多に運ぶとなると、船に載せる食料や衣類も増える。すると漆器を積み込める量がその分、減る。人を増やせば品物が減り、品物を増やせば人が乗れない。小舟の宿命だった。
「考えねばなるまい。あれもこれも」
三郎は頭をひねった。
「まずは金だ」
三郎はそう言って、船の中で帳面を開き、これまでの月賦契約者の名前と住所を、一覧にまとめ始めた。一人一人の名前、住所、職業、契約金額、支払い回数、これまでの支払い状況。すべてを一枚の紙に書き出した。幸四郎が横から手伝い、綺麗な字で清書した。
「顧客の一覧表か。これを作って、しかも清書までして。どうするんじゃ、兄やん」
「我に策あり。まあ任せておけ、幸四郎」
翌日、三郎はひとりで、博多の町の中心部を歩いていた。
冬の博多は、師走の活気に満ちていた。年の瀬が近づくと、商人たちは掛け金の回収と、歳暮の商いに走り回る。大通りには、正月用の飾り物を売る露店が並び、餅屋からは白い湯気が立ちのぼっていた。
三郎は大通りを歩きながら、博多随一とされる大島呉服店の前を通りかかった。
間口は広く、暖簾は堂々としている。店の中に大勢の客が見え、番頭や手代が忙しく立ち働いていた。
(一日でどれほど儲かるんだろうな)
三郎は足を止めて、大島呉服屋の賑わいを見つめた。
漆器だけではない。博多は呉服の町でもある。いや、博多に限らず、九州の商都で最も金が動くのは呉服だろう。紋付き袴、帯、反物。冠婚葬祭に欠かせない品々は、漆器以上に需要が大きい。
(博多は呉服か)
三郎は頭の片隅にそう刻んで、足を進めた。
いまは呉服のことを考えている場合ではない。まずは金だ。
三郎がやってきたのは、博多土居銀行だった。
石造りの二階建てで、重厚な扉がついている。
三郎は深呼吸をしてから扉を押した。
銀行の中は、しんと静かだった。
洋装の紳士が何人か、椅子に座って順番を待っていた。
三郎は窓口に近づき、融資の相談をしたいと告げた。
奥から出てきた銀行員は、四十がらみの痩せた男だった。眼鏡をかけ、髭をきれいに整えている。三郎を一瞥して、値踏みするような眼差しをした。
「融資のご相談ですか。どのようなご商売を」
「漆器と陶磁器の月賦販売をしております。箔屋町の越智漆器店と申します」
「月賦販売……」
銀行員の眉が、わずかに動いた。
月賦販売は、この時代、銀行員から見れば信用の低い商売だった。品物を先に渡して代金をあとで回収する。客が踏み倒せば、すべてが損になる。銀行は堅い商売を好む。月賦のような、回収の不確実な商売には融資をしたがらないのが常だった。
「どちらのご出身ですか」
「愛媛県の桜井です」
「桜井。……あの、椀船の?」
「ご存じで。桜井の漆器商人でございます」
銀行員の目が、さらに冷えた。
よそ者の、しかも桜井の貧しい行商人。月賦という不安定な商売。
銀行員にとっては、融資をする理由が見当たらない相手だった。
「申し訳ありませんが、月賦販売への融資は、当行では……」
「お待ちください」
三郎は、懐から紙の束を取り出した。
幸四郎と一緒にまとめて清書をした、月賦契約者の一覧だ。
「こちらをご覧いただけますか」
銀行員は、怪訝な顔をしながらも、紙を受け取った。
一覧には、契約者の名前、住所、職業、年齢、契約金額、支払い回数、これまでの支払い状況が、端正な字でぎっしりと記されていた。さらに三郎は、契約書類の写しもすべて差し出し、
「どうでしょう。これだけの顧客を抱えた越智漆器店です。信用できませんか」
銀行員は、一覧を一枚一枚、丁寧にめくった。
目が、少しずつ変わっていくのが分かった。
契約者の大半は、会社員や官吏や軍人だ。勤め先がはっきりしている。住所もある。支払い状況も、ほとんどが順調だ。踏み倒しは、数十件のうちわずか一件だけ。
これは、堅い商売だ。
おそらく銀行員はそう判断し始めていた。
「……少々お待ちください」
銀行員は立ち上がり、奥の部屋に入っていった。
三郎は椅子に座って待った。心臓が鳴っている。手のひらに汗がにじんだ。
銀行の壁にかかった時計が、かちかちと音を刻んでいる。窓の外では、博多の町が師走の喧騒に包まれていた。
しばらくして、銀行員が上役らしき男を連れて戻ってきた。上役は三郎の契約書類に改めて目を通し、いくつかの質問をした。三郎は一つ一つ、正確に答えた。やがて、
「よろしいでしょう。ご融資をいたします」
上役の言葉に、三郎は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
声が、かすかに震えていた。
銀行を出ると、冬の陽が眩しかった。
博多の大通りに立って、三郎は空を見上げた。
冬の空は濁り、薄い雲が空全体を覆っている。
(博多の冬は、雲が多いらしい)
と、三郎は最近気がついた。常にあかあかとした太陽の光が注いでいる愛媛県とは、そう遠い距離でもないだろうに天候がずいぶん違う。
「どんより空は辛い。冬の空だけは、愛媛のほうがいいな」
独りごちながら、歩みを進める。
懐には、融資の証書が入っていた。
これで漆器の仕入れも店員の給金も、当面は賄える。
(おれは博多の銀行から金を借りた。博多の銀行がおれを認めたのだ)
それは、三郎にとって、漆器を何十組売るよりも大きな意味を持つ出来事だった。
銀行が金を貸すということは、銀行がこの男の商売を信用したということだ。桜井の貧しい行商人が、博多の銀行に認められた。
三郎は、拳を握って歩き出した。
箔屋町の越智漆器店に向かって。




