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第十一話 三郎の喧嘩

(なんだ)


 三郎が異変に気づいたのは、小城の近くの農村で漆器を売った翌日のことだった。

 朝から天秤棒を担いで別の村に向かっていると、街道の脇に若い男が三人、立っている。町人のなりだが、目つきが悪い。三郎たちが近づくと、その男たちもこちらに向かって歩いてきた。


「お前が伊予の椀屋か」


 先頭の男が言った。二十代半ばの、がっしりした体つきの男だ。


「越智三郎。桜井の椀船商人だが、なにか用か」


「話をさせてもらおう」


 男たちは、近隣の町の商家で働く若者たちだった。唐津から小城にかけての一帯で、漆器や陶器の商いをしている店の番頭や手代である。


 男たちが言うには、短期間で頼母子講の漆器売りを広めている三郎が、早く言って目障りに思われ始めていたのだ。


「古くからの椀屋さんは、商売の義理を心得ていた」


 先頭の男が、腕を組んで言った。


「稼ぎはしても、荒稼ぎはしなかった。さらに儲けた分、唐津や伊万里の器を買い、あるいは宿を使ってくれたんだ。佐賀に金を落としてくれた。だがお前はなんだ。お前のような売り方は、佐賀から金を奪っていくだけだ。迷惑なんだよ」


「おれも唐津や伊万里の器を買っている。それに宿にも泊まっている。義理を知らぬわけではない」


 三郎は冷静に答えた。


「しかし、やり方が荒い。頼母子講で一気に売りさばいて、農村の金を根こそぎ持っていかれたら、わしらの客がいなくなる」


「それが商売だろう。おれの漆器が売れたのは、皆が買いたいと思ったからだ」


「若造のくせに、生意気な口を利くな」


 三郎が若すぎたのも、反感を買った理由のひとつだった。二十歳の若造が、古くからの商圏に乗り込んできて、新しい売り方で荒稼ぎをしている。


 それが面白くない。

 売れているのが、悪い意味で目立った。

 後ろで幸四郎が、不安そうな顔をしている。


「兄やん、ここは引いたほうが……」


 だが三郎は引かなかった。

 喧嘩百戦負けなしの越智三郎である。


「そうまで気に入らんか。ならば、かかってこい」


「言われずとも!」


 先頭の男が、三郎の胸ぐらをつかみにきた。

 三郎はその手を払い、男の腕を掴んで引き倒した。残りの二人もかかってきたが、三郎は天秤棒を盾にしながら一人を突き飛ばし、もう一人の足を払った。


 だが揉み合いの最中に、三郎の背後で、がしゃん、と嫌な音がした。


「ええい、くそ……!」


 三郎は思わず叫んだ。

 竹つづらの中を見ると、漆器の見本が割れている。

 黒本膳にひびが入り、椀の一つは縁が欠けていた。


 三人の男は、三郎に叩きのめされて地面にうずくまっている。

 喧嘩には勝った。だが三郎の顔は暗かった。


 自分が喧嘩に勝っても、商品が壊れては意味がない。

 漆器は壊れ物だ。拳で殴り合えば、必ず漆器が犠牲になる。


「くそったれめ」


 三郎は割れた漆器を拾い集めながら毒づいた。

 幸四郎が駆け寄ってくる。


「兄やん、大丈夫か」


「おれは大丈夫だが、漆器が大丈夫じゃない」


 一度、大龍丸に戻るしかない。

 そう考えた三郎は唐津に戻り、大龍丸に残してある在庫を取りに行った。

 だが在庫にも限りがある。割れた分を補充すれば、売れる数はその分だけ減る。


(歯がゆい)


 唐津の港に戻った三郎は、損傷した漆器を検分しながら、歯噛みした。


(しかし今月分の講の代金は受け取った。ある程度の開拓もできた。今回はこれで終わらせて、桜井に戻ろう)


 時が経てば、絡んできた商人たちも少しは冷静になるかもしれない。

 そう思った三郎だったが、佐賀の商人との揉め事とは別に、もっと根本的な問題が起き始めていた。


 三郎が頼母子講の漆器売りを始めて成功したという噂が、商人の世界にまたたく間に広がったのである。

 九州の商人たちは、三郎の成功を聞きつけて、我も我もと頼母子講の物売りを佐賀の農村で始めたのだ。

 漆器だけではない。反物や金物など、さまざまな商品を頼母子講で売り歩く者が、農村に押し寄せた。


 農村は、もともと豊かではない。

 ひとつの村で講を組める余裕には限りがある。それを何人もの商人が奪い合えば、当然、ひとりあたりの取り分は減る。佐賀県の農村は、食い荒らされるように頼母子講式の商売人で溢れてしまい、三郎の販売を受け入れる余地はみるみる狭まっていった。


 その後、再び唐津にやってきた三郎だったが、新しく漆器を買ってくれる客は見つからず、既存の講の売り上げを回収するだけに終わってしまった。




 唐津の港に停泊した大龍丸の甲板で、三郎たち四人は仰向けに寝そべっていた。


 夏の夜だった。

 昼間の暑気が引いて、夜風が心地よい。


 唐津の夜空は暗い。門司港のように灯火で明るくはない。闇が深い分だけ、星が鮮やかだった。天の川が、空の端から端まで白い帯を引いている。その白い帯の中に、無数の星粒がちりばめられていて、見つめていると吸い込まれそうだった。


 ときおり流れ星が、一筋の細い線を夜空に引いて消えた。


 波が船底を叩く音だけが、規則正しく聞こえている。

 遠くで、漁師の舟がぽつんとひとつ、海面に揺れていた。


「兄やん」


 幸四郎が口を開いた。


「福岡か長崎に向かって、もう一度頼母子講で漆器売りをやろう」


「……」


「佐賀がだめでも、まだ手をつけていない土地はある。場所を変えればまだやれるはずだ」


 幸四郎の言い分はもっともだった。佐賀の農村は食い荒らされたが、福岡県や長崎県の農村にはまだ余地があるかもしれない。


 だが三郎は、すでに頼母子講の漆器売りに見切りをつけ始めていた。


「一度うまくいったからと、何度もこだわるな」


 三郎は星空を見上げながら言った。

 声は静かだったが、芯に硬いものがあった。


「二番煎じなどをしても、しくじるのが当然だ。場所を変えたところで、同じことが起きる。おれが福岡で講を始めれば、すぐに他の連中も追いかけてくる。いたちごっこだ」


「兄やん。二番出汁なら、そこそこうまいぞ。まだやれるなら、やるべきだ」


「お前の言うこともわかる」


 三郎は、星を数えるように目を動かした。


「しかし本音で言えば、常に新しいことをしたい。それが、おれだ」


「兄やん、飽きるのはよくないぞ。商いは飽きない、とも言うぞ。同じことをずっとやるのもまた偉大ぞ」


 幸四郎は粘った。


「百姓は同じ田畑を耕し、飯屋や茶屋は同じ場所で何十年と商う。それのどこが悪い」


「それも道理だ。だが」


 三郎は体を起こした。星空を背にして、弟を見下ろす。


「同じことをやっていては、貧乏から抜け出せまいぞ。せいぜいが平凡だ」


「平凡のなにが悪い」


「結果が平凡なら、まだ上出来だ。だが最初から平凡を目指すな。それは、平凡以下の結果となろうぜ」


 三郎の言葉に、幸四郎は黙った。


 三郎はふと、あの唐津の安宿で出会った少女の笑顔を星空に浮かべた。

 月原サキ。煤だらけの顔で風呂を焚いていた、士族の娘。


 ――いい暮らしがしたいですね。贅沢も好きなんです。

 あの言葉が、三郎の胸の奥でまだ鳴っていた。


(平凡で、おれとあの娘の運命を変えられるのかよ)


 星が、またたいた。

 三郎は若い。自分と、恋をした娘の運命が、ひとつの星と結びついているかのように感じた。わけもなく、ふと、泣きたくもなる。


 しかし三郎の挑戦的な頭脳は、次の瞬間、涙よりも先に新たなひらめきを得ていた。


「博多か」


 三郎はつぶやいた。

 サキのことを考えていると、自然とサキの出身地のことを考える。筑前黒田藩の武士の家。その本場といえば福岡だ。博多だ。


 だが、それだけではない。三郎の頭の中で、門司港で梅与から聞いた情報が、唐津の農村で感じた限界が、そして博多のことが、ひとつに繋がり始めていた。


「そうだ、博多に行けばいいのだ」


 三郎は甲板の上に立ち上がった。


「兄やん、なにを言い出すんだ」


 幸四郎が仰向けのまま、驚いた声を出した。田村と北條も目を覚ましている。


「博多だ。唐津でも伊万里でもない。博多に行く」


「よせよ、兄やん」


 幸四郎も体を起こした。


「博多といえば、音に聞こえた商都だぞ。大商人がガチガチに固めている。よそ者の行商人が小舟で乗り込んだところで、蹴散らされるのがオチだ」


「そうかもしれん」


「そうかもしれん、じゃない。確実にそうだ。博多の商人は結束が固い。よそ者にはきっと厳しい」


「幸四郎。おれにはひとつ、良い案がある」


「案?」


「まだ形にはなっとらん。だが博多に行けば、きっとうまくいく。まあ任せておけ」


「勘かよ。勘ほど当てにならんものはないぞ」


「頼母子講を思いついたのは、おれの勘だぞ」


「……」


 幸四郎は口をつぐんだ。反論の余地がなかった。


 星が流れた。一条の白い筋が、唐津の夜空を横切って消えた。

 三郎はそれを見て、ふっと笑った。


「決まりだ。明日、博多に向かう」


 夜が更けていく。

 天の川が少しずつ位置を変えていく。


 波の音は変わらない。大龍丸の帆柱が、夜風にきしんだ。

 唐津の闇は深く、星だけが鮮やかだった。

 三郎は甲板に仰向けに戻って、再び星空を見上げた。


(博多にはなにがある。おれはまだ知らない。だが、おれの勘が告げている。あの町に、おれの未来がある)


 眠りに落ちる寸前、サキの笑顔がまたちらついた。

 煤だらけの、あの顔が。


(また会いたいな)


 わけもなく、そう思った。




 翌朝、夜明けとともに大龍丸は唐津を発った。

 三郎は帆綱を握りながら、針路は東へ。


「博多に向かうのだ」


 大龍丸は唐津湾を出て、玄界灘の沿岸を東へと進んでいく。

 右手に虹の松原が続いていた。白い砂浜の上に、黒々とした松の緑が帯のように伸びている。朝日がその松のてっぺんに引っかかり、金色の光が梢の間からこぼれ落ちていた。


 海鳥が、大龍丸の上を旋回した。

 白い翼が朝日を受けて、金色に光る。

 鳥は一声鳴いて、沖のほうへ飛び去った。


 やがて低い丘陵が見えてくる。

 丘の上に松林が見える。島だ。

 しかし島は、近付いてみると、九州と細い陸路で繋がっていた。


「あれは確か、志賀島というのだ」


 三郎は説明した。

 志賀島ならば、ここは博多湾の入り口である。


10分後に、また投稿いたします。

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