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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
終宴
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終宴-かまどの嫁

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 国の名は風成(かざなし)

 民があかやま、あおやまと呼んでいる朱雀山と青龍山に囲まれた大きな大きな盆地。

 山はぞう、と聳え立ち、風道はないのに気は滞りなく澄んでいる。

 盆地にしては夏は爽やかで、冬は不思議とからっ風が吹かない。

 風は吹かないのに、どうしてか心地いい。

 だから、かざなし。

国は王朝国家にあり。

現主上の代は王朝の歴史のなかで最盛期と謳われている。

 主上とその侍従長、小御門月明が十年で創り上げた交易路は青龍山を越えて遥か遠く、桃李とうりから南端、桜狩まで繋がった。砂糖が主な交易品であったため、交易路は砂糖街道と名付けられた。その道々の国には陰陽寮が建てられ、最も安全な交易路として世界を潤し続けている。

 砂糖街道が出来てからというもの異国の砂糖が世に流れ、金より高価であった砂糖は平民の口に入るまでになった。

 白砂糖が珍しくなくなり、糖堂家は困ったかと言われればそうでもない。旦那はいち早く売り物と売り場を変え、百姓に配っていた黒砂糖と黒蜜を風成へ卸すようになった。

なつみ燗から始まった黒蜜菓子は小御門繁華街の銘菓となり、街にはきなこ飴を舐める子どもが行き交っている。なかでも黒蜜かりんとうは有名で、異国からの注文もしばしば。その独特の味わいは平民の舌に馴染みやすく、あっという間に広まった。

名もない南の村は今では黒砂糖の里、きんつば村の名を馳せている。

もっと黒砂糖が欲しいと異国に攻め入られても、村中を人形に護られ平和なものだ。初代の女陰陽師の美しさは評判で、どこぞやの姫君ではないかと噂されたが、弟子とおんなじように海ではしゃぎ、真っ黒に焼けたその姿を見たあとでは誰も信じなかった。

 交易路に伴う陰陽寮の拡大により、陰陽道もまた急速に世界へ浸透していった。

時代の流れにより陰陽師家の血は薄れていったが賀茂乃家の血は強く、代々女陰陽師が家を受け継いでいる。なかでも賀茂乃京菜は五女に恵まれ、陰陽寮に多大な貢献を果たした。

 さて陰陽師宗家、小御門家はというと――。

 

「火消し婆、もう余熱でええよ」

「はい、はい」

「それと米研ぎ婆、明日のもち米は巫女に洗わせて。始めから仕込まな、身につくもんも身につけへん」

「気をつけましょ」


 しかし米があったら研ぐのが性分なもんで、明日にならにゃわかりまへん。

 頭を掻く米研ぎ婆に、鹿の子は嗄れた溜め息を溢した。風のない風成、格子窓の外は桜吹雪が吹き荒れている。


「こんなんで明日から大丈夫やろか。お稲荷さまにご満足いただける御饌菓子をお出しできるやろか」

「無茶言わんといてください。お稲荷さまは鹿の子さんの菓子じゃなきゃあ、納得せえへん」

「最初から諦めてどないすんの!」

「いったぁ!」


 ぽかり、げんこつを食らったのは御饌巫女見習い。真新しい手帖を胸に抱いて半べそをかいている。小豆みたいな顔にごま粒みたいなお団子のせて、まるで若き日の鹿の子そのものだ。


「ねぇ、ばあさま。本当に今日で御饌巫女やめちゃうの?」

「そうよ。これからはあんたがしっかりせにゃあかん。あと五十数えたら蒸篭せいろからおまんじゅう出しといて。

ほんなら皆さん、お疲れ様でした」


 鹿の子は藁草履を脱ぐと、煤を落とさぬまま幣殿へと上がった。

 高座には相変わらず月明が座っている。

ただそこに御霊はない。たくさんの子どもや孫たちが、涙を流しながら月明を囲っていた。

 鹿の子があっけらかんと訊く。


「いつ頃旅立たれたの?」

「夕拝のあと、直ぐに。直会なおらいの菓子を食べてから息を引き取られました」

「そう、菓子は食べたんやね。あの人らしいわ」


 この日の菓子は鹿の子だ。今年の鹿の子を食べるまでは死ねないとは豪語していたが、本当に食べて逝くとは。

 鹿の子は次期当主の肩を選んで叩くと、甘えた声で願い出た。


「ごめんね蒼明そうめい。少しだけ、とうさまとかあさまをふたりにさせて」


 蒼明と呼ばれた美太夫は、泣き腫らした瞼を持ち上げ、こくりと頷いた。


「あんたの泣き虫はとうさま譲りねえ」

「すみませんねえ」


 人を払った幣殿はがらんとして、冬に戻ったようだった。こんなに幣殿に人が居ないのは何年ぶりだろうか。月明とおでこを突き合わせ、ふと心をすれ違わせた一年を思い出す。

 そう、たった一年だった。

後は少々暑苦しいほどの愛で満ちていた。

忙しい日々は変わらなかったが、そのぶん薮入りの甘ったるいこと。

会えない日が続いても不安になることはなかった。雪にいびられても狐巫女と側室は味方してくれたし、寂しくても毎朝必ず茶室に月明からの文が置かれていた。

それは前日にあった出来事が細々綴られたものだ。それから一日のうち、どれだけ鹿の子を想っていたか。朝廷から何度、かまどの煙を眺めたか。

手紙を書く暇があったら寝てくださいと、一度言うたことがあったが、その泣き顔があまりに情けないので、断るのはやめた。

納戸にしまい切れなくなったその手紙を一枚残らず、かまどで焼いたのは今朝のことだ。

幸せだった。

みんなには「人のことばっかり気にかけて、それで幸せなんか」と何度も心配されたが、それはそれは幸せだった。

果たして人の世話を焼いていただろうか。

鹿の子は目を瞑り、過去を振り返った。

初めて子を授かったとき、吐き気がひどくても休めず、御饌飴を炊き続けたし、かまどから出られない烙印を押され、土間の三和土に突っ伏して産気づいたこともあった。実家に帰っていたら間に合わなかったので、雪の温情かと思いきや、産後には不浄だと冷水を浴びせられた。そんな時は周りにすがりついたもんだ。

 思えば自分でいっぱいいっぱいで、我が儘ばかり言っていた気がする。子どもが生まれてからは尚更、遠慮なく月明に甘えた。甘えたらやっぱり暑苦しいほど、愛してくれた。

 歳いってからのいびりは辛かったけれど、胸張って言える。


「世界でいちばん、幸せな人生を送りましたよ」 


 そのひと言がやけに響く。鹿の子が月明の頬に手を触れた時にはもう、温もりが消えていた。

 そして眦を上げる。


「最後のお別れも満足にさせてもらわれへんのですか」


 鹿の子の丸くなった背中に手を置いたのは、お目付け役の雪だった。


「死に目に会いにけえへんかった、薄情な嫁がなにをぬかすか」

「一生、かまどの嫁。そう言うたんは雪様でしょうに」

「せやった、せやった。よう何十年も腰が曲がるまで煤汚れたもんや」

「雪様もよう何十年も飽きんと、いびってくれたもんですねえ」

「流石に飽きたわ。……覚悟はええか」

「はいな」


 願わくば、先代夫婦のように共に逝きたい。先代の龍明が妻の死期に合わせ、崖崩れのある山道へ牛車を走らせたように。

 鹿の子の小さい目がしわ瞼に収まる。


 ――コロン。


 次には干からびた小豆みたいな鹿の子の頭が、首から離れ、ころころ。

 月明の膝元へ転がった。




 この時、なんの前触れもなく、境内で突風が吹き荒れた。

 握っていた賽銭を飛ばされた若僧や、着物が乱れた町娘が幣殿の外で騒がしくするなか、「うひゃあ」と泣き叫ぶ、そんな微かな音を。

 鹿の子の耳が、最後に拾った。




 ――いびり倒してから、殺したる。




 公約を果たした雪は実にすっきりした顔をして、空きっ腹を撫でた。


「さて、さて」


 嫁いびりは嫁を殺して終わらない。雪はぼろ切れのように床に伏せた御饌装束の前で、菓子包みを広げた。

 主を亡くし、依り代に戻った久助だ。

その正体は氷砂糖。

濁りのない砂糖菓子。

 砂糖は不純物を取り除き、ぼこぼこ沸かした水に溶かしてやると、水のなかでちいさなちいさな砂糖の結晶が緻密に集まって、四方形の列を作る。

 鹿の子は久助を作るに当たって、まず砂糖から仕込もうと糖堂家に原料糖を頼んだが、製糖は年の暮れに終えていて一滴も残っちゃあいなかった。そこで百姓に配ったさとうきびの搾りかすを、少しずつ集めて送ってもらったのだ。

 搾りかすの寄り集め。まるで砂糖の久助だった。

 さとうきびに残る少量の糖蜜をこそげ落とし、煮詰めれば黒砂糖。それから更に水に溶かして、透明の結晶になるまで繰り返した。いわゆる氷砂糖ができあがるまでに半月。更に氷砂糖を砕いて砂糖水を作り、まあるい結晶を育むのに半月。

 まるまるひと月、手をかけている。

もとより腐らない砂糖、穢れひとつない氷の砂糖は半永久的に日持ちする。砂糖が溶けても再び砂糖水のなかへ入れたら、また元の大きさに戻る。

それは至宝といえる、強く美しい宝玉であった。

久助はその人生の何度か砂糖水に入れられ、それからまた何十年かけて砂糖を溶かし、親指の爪先程度まで小さくなっていた。

 つるんと透き通った砂糖菓子は、内になにやら秘めている。


「真ん中が黒ずんでるんか。食べて腹下さんやろなあ」


 訝しみながら口に放り込む。

 舐めな消えない飴玉は苦手だ。雪は口に入れてすぐ、久助をひと思いに噛み砕いた。


「これは、……まさかっ」


 氷砂糖の薄膜を砕き現れたのは、なんとひと粒の鹿の子豆であった。何十年も砂糖のなかで眠っていた鹿の子豆は、氷のなかに閉じ込められていたように、出来立てのまんま舌に転がった。

 風成の土で初めて作られた大納言小豆。今はもう珍しくないが、そのひと粒は仙豆せんずと呼ばれ、高級菓子として人々に親しまれている。雪も年に何度か甘納豆にして食す、大好物だ。

 しかし鹿の子が作った菓子――鹿の子豆を食すのは、初めてだった。

 雑味のない氷砂糖の甘味を打ち破れば、こっくりとした果肉が溢れ出す。

 果たして小豆とは、ひと粒でこれほどまでに存在感があったろうか。


「それが久助という、菓子ということか」


 雪のしわだらけの肌に、何本もの涙の筋が刻まれた。 

 鹿の子は月明に愛を注ぐと決めると、胸に秘めていた久助への想いを全部、ひと粒の鹿の子豆に閉じ込めたのだ。鹿の子のうちの、ほんのひと粒に。久助以外の、誰にも悟られぬように。

 月明を裏切ったのではない。

 鹿の子は妻として、月明を心から愛していた。

 ただ淡い恋心を捨てずに、側に置いていたのだ。


 氷砂糖の宝箱に――。


 鹿の子の恋心を核にもつ久助は、どれだけ幸せな一生だったことだろう。


「鹿の子さん……、あんたって人は」


 なんと罪な女だろうか。たかが豆ひと粒で、こんなにも心をかき乱す。 


「美味しかったで。口惜しいくらいにな」 


 程なくして幣殿に悲鳴が上がる。

 蒼明の手により本日、記念すべき三百五十八社目の雪の御社が壊された。







 ――小御門月明よ、そなたにいとまはない。


 月明は歳神さまの言葉にうんざりとしながら、神殿の屋根を見下ろした。


 ――いいかげん、あったかいお布団で眠らせてくださいよ。

 ――しかしお主は徳を積みすぎた。積みすぎたうえに更に積んだ。もう祖先神に収まる器ではない、これからは皆の神として現世を護らねばならぬ。


 すると月明は迷わず、千年使い古された御饌かまどを指差した。歳神さまは苦笑い。


ーー心変わりはないか。

――はい。私はかまどの神を、名乗りましょう。



 風成という国、龍穴にあり。

 龍穴とは栄えるべき土地を指し、二神四神獣の加護にある。

 一神は氏神、お稲荷さま。

もう一神はかまどの神さま。

かまどの神はたいへん見目麗しく、その肩には小豆みたいな妖しをひとつ、引っ付けていると、伝えられている。

甘いもん好きのお稲荷さまはいつもその小豆を物欲しげに、みつめているそうな。





うっかさんへ捧ぐ

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