第8話 広報官イネスは眠れない
王立広報局の窓から、夜明けの空が見えた。イネス・カルディアはこれで三日続けて家に帰っていない。
机の上には報告書の束が積み上がっていた。北の街道から、早馬で次々に届くのだ。四人が立ち寄った先の役人や町長が、その場に居合わせた人の話をまとめて送ってくる。どれも、見たままが書いてあった。
イネスはいちばん上の一枚を手に取った。
『関所にて、狼の群れと遭遇。勇者は道端に横たわり、観客が集まるまで参戦せず』
その下に自分の字で書いた公式発表の下書きを重ねてある。
『勇者レオル、民の集結を待ち、被害を最小限に抑える』
次の一枚は森の道の件だった。戦士が戦闘中に負傷した勇者へポーションを売りつけ、値段を銀貨三枚から五枚に上げたという。下書きは『戦士マルタ、補給の重要性を身をもって示す』。
麦の村の報告は聖女が横領を暴いた動機を村長夫妻の夫婦仲への関心とみていた。下書きは『聖女セレナ、住民一人ひとりの声に耳を傾け、不正を暴く』。
その次が鉱山町だ。
『鉱山町にて、魔術師が坑道のひびを報告せず進行。一行は崩落により落下、勇者が足首を負傷、戦士が財布一つを損失。坑道は一部使用不能、補修費を報酬から差引き。結果的に魔物の巣へ到達』
『賢者ロアン、最短経路を看破し、敵の巣へ迷わず到達』
最後の一枚は祭りの夜の報告だった。
『鉱山町の祭りにて、勇者が功績を独占すると宣言。他三名が勇者の失態を公衆の面前で暴露。住民は冗談と受け取り、大いに笑う』
『四英雄、互いの功績を讃え合う』
イネスは報告書の束を両手で持ち上げ、そのまま机に額をつけた。
「まあ、そういうことだ」
向かいの席から、ベルトの声がした。いつの間に来ていたのか、湯気の立つ杯を二つ持っている。
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてある」
ベルトは杯の一つをイネスの前に置いた。薄い麦茶だった。
そこへ広報局長が書類を抱えて入ってきた。
「イネス君。鉱山町の件の発表はまだかね。国民が待っている」
「今、書いています」
「頼むよ。前線が静かなうちに、国民の士気を上げておかんと。陛下も、毎朝の新聞を楽しみにしておられる」
局長は机の上の報告書には目もくれずに出ていった。読まずにいられる人がイネスにはうらやましかった。
昼前に届いた郵便に王都新聞が一部混じっていた。一面は関所の記事だ。
『勇者は民の集結を待ち、被害を最小限に抑えた 本紙記者、現地で目撃』
イネスは記事を二度読んだ。広報局はこの件の発表をまだ出していない。それなのに、新聞のほうが先に自分の下書きとそっくりの文章で書いている。
自分が書かなくても、誰かが同じように書いていく。それが少し怖かった。
報告書の束のいちばん下に小さな包みが挟まっていた。開けると、半分に割れた木の札が出てきた。黒い紋章が焼きつけてある。添えられた紙には角ばった字でこう書いてあった。
『魔王軍の割符。森の道で回収。雑兵の鎧は南の鍛冶組合の刻印入り。奪ったか、盗んだか、売ったかは不明。割符があるので、取引の線は捨てられない。 マルタ・グロシュ』
その下に刻印の形が丁寧な線で写してあった。
イネスは包みをそのまま騎士団の調査係へ回す手続きをとった。広報局の仕事ではない。けれど、あの守銭奴が売らずに送ってきた品を、机の中で眠らせておくわけにはいかなかった。
同じ束から、薄桃色の封筒も出てきた。宛名は『王立広報局 イネス様』。差出人は聖女セレナ・ヴェイル。開けると、きれいな字で一行だけ書いてあった。
『イネス様は、恋人はいらっしゃいますか?』
イネスは封筒ごと引き出しのいちばん奥にしまった。
午後には騎士団から報告書の写しが一通回ってきた。差出人はユリウス・ハルトという騎士だ。北へ向かう途中、ドレンの町で四人に会ったのだという。
『四英雄の友情は本物です。私は、心から感服いたしました』
イネスはその一文を長いこと見ていた。皮肉で書いたのではない。字がまっすぐで、ところどころインクがにじんでいる。この人は本気でそう思って書いているのだ。
茶を運んできたミアが写しをのぞきこんだ。
「ユリウス様って、いい方なんですね」
「……ええ。あの人は、そうでしょうね」
それ以上は言わずに、イネスは話を変えた。
「弟さん、学校はどう?」
「楽しいって言ってます。字がすごく上手になったんです」
ミアはエプロンのポケットから、小さな紙を出して見せてくれた。たどたどしい字で、『ゆうしゃさま ありがとう』と書いてある。その下に小さく『ぎんか じゅうまい』とも書いてあった。弟さんは金額だけは正確に覚えているらしい。
夕方、イネスは広報局の地下にある文書庫へ降りた。歴代の勇者の記録が棚一つ分並んでいる。
第一代。生涯、一度も嘘をつかなかった。
第三代。報奨金をすべて孤児院へ寄付した。
第五代。敵の捕虜にも、自分の食事を分け与えた。
第七代。魔王を倒したあと、王から与えられた領地を断り、山の修道院で祈りを捧げて生涯を終えた。
高潔。無欲。敬虔。どのページをめくっても、同じ言葉が出てくる。
棚の端から端まで目を通して、イネスは引っかかった。二百年のあいだに、別々の人間が書いたはずの記録だ。それなのに、言い回しがどれも似ている。第三代の孤児院への寄付のページだけ、紙の色がまわりより新しかった。
自分の机の上の報告書を思い出す。玉座の後ろに隠れる勇者。戦闘中にポーションを値上げする戦士。夫婦仲を嗅ぎ回る聖女。危険を黙っていた魔術師。同じ四聖印が選んだはずなのに、棚の中の人たちと机の上の四人は、まるで別の種類の人間だった。
考えられることは二つある。
一つは記録のほうが実際と違うということ。昔の誰かが、自分が今やっているのと同じ仕事をして、あとから文章を整えたのかもしれない。
もう一つは四聖印が選ぶ基準がそもそも人柄とは別のものだということ。
どちらなのかはこの棚のどこにも書いていなかった。
その足で、イネスは大聖堂へ向かった。四聖印の儀式に立ち会った老神官のエルマーは、礼拝堂の長椅子で咳止めの飴を舐めていた。
「広報局の方が何のご用かな」
「一つだけ伺いたいことがあって」
イネスは長椅子の端に腰を下ろした。
「四聖印が間違えることはありますか」
エルマーは飴を口の中で転がした。
「ありません。何百年ものあいだ、一度も。四聖印は選ぶべき方を選びます」
「では、今回の四人も」
「もちろん、選ぶべき方々です。あの日、私は石の壁に浮かんだ名前を見て、涙が止まりませんでした」
老神官の目は澄んでいた。嘘をついている顔ではない。
「四聖印は何を見て選ぶのですか」
「それは。……人柄、と、私どもは教わってきました」
教わってきた、と神官は言った。自分の目で確かめたわけではない、ということだ。
「……では、私たちが、何かを間違えているんでしょうか」
エルマーは答えなかった。飴が歯に当たって、からりと鳴った。
その夜、イネスは三日ぶりに下宿へ帰った。
窓辺の鉢植えのミントがしおれていた。水をかけてやってから、寝台に倒れ込む。目を閉じると、白髪の勇者たちの肖像画が浮かんできて、結局ほとんど眠れなかった。
夜明けに起きて広報局へ行くと、机の上に王都新聞の朝刊が置いてあった。ベルトが置いていったらしい。一面に大きな見出しがある。
『王都新聞主催 英雄人気投票、開催! あなたの一票で、真の英雄を決めよう』
その下に候補者の名前がずらりと並んでいた。勇者レオル。戦士マルタ。聖女セレナ。賢者ロアン。それから、騎士団の名のある騎士たち。ユリウス・ハルトの名前もあった。
「賭けてもいい。勇者は一位にならない」
いつの間にか後ろに立っていたベルトが、眼鏡を押し上げた。
「なんで分かるんですか」
「あの騎士の写しを読んだだろう。本物はああいうのだ」
イネスは新聞を机に置いた。窓の外では新聞売りの子供がまた声を張り上げている。
四聖印は間違えない、とあの神官は言った。それなら、間違っているのは何なのだろう。




