第6話 「絶対安全」とは言ってない
「山は嘘をつかねえ。ちゃんと見てりゃ、山のほうから教えてくれる」
案内役のガスは片目に黒い布を巻いた年寄りの鉱夫だった。何を話しても、最後は同じ言葉で締める。
三十年前、坑道の崩落で片目を潰したのだと、聞かれもしないのに教えてくれた。そのときも、山は前の晩から小石を落として知らせていたのだそうだ。
「見てなかった俺が悪い。山は嘘をつかねえ」
ロアン・ドルスはその言葉があまり好きになれなかった。嘘をつかないものは融通もきかない。
王都から北街道を八日歩いた鉱山町ドレンは、空気まで煤けていた。山の斜面に小屋がへばりつき、どの屋根からも黒い煙が上がっている。前線まではここからまだ遠い。
町の頼みは古い坑道の調査だった。十日前に五日の予定で坑道に入った鉱夫が三人、まだ戻ってこない。奥に魔物が棲みついたらしい。報酬は金貨一枚と、宿代の免除。戦線が膠着してから北の鉱石の値が上がり、町は一人でも多く鉱夫が欲しいところだという。三人の欠員は何より痛いのだ。
坑道の中は冷たく、湿っていた。レオルを先頭にランプを掲げて進む。見物人のいない坑道で、レオルは歩きながら三回欠伸をした。
四つ目の分かれ道を過ぎたところで、ロアンは天井の岩に細いひびが走っているのに気づいた。ひびの縁が黒く濡れている。上から水が染みている証拠だ。足元の小石にも、新しく落ちたらしいものが混じっていた。このひびの入り方はかなり危ない。
ただ、ここで引き返せば、別の入口から回ることになる。ガスの話では丸二日かかる。仕事が二日延びれば、宿の灯りの下で本の続きを読めるのも二日先になる。
ロアンの荷物のいちばん下には、『魔術構造論 第三版』の表紙をつけた本が押し込んである。中身は貸本屋で娘たちが順番待ちをしている恋愛小説だ。騎士が雨の中で令嬢に何か言いかけたところに、栞を挟んである。
早く、続きが読みたかった。
「ロアン、何見てんの?」
「なんでもない」
ロアンはランプを天井から下ろした。隣ではガスが残った片方の目で同じひびを見上げていた。
「おい、魔術師の兄ちゃん。このひびは」
「昔からあるやつだろ。大丈夫だ」
「山は嘘をつかねえぞ」
「山はつかなくても、ひびは黙ってるさ」
ガスは何か言いたそうだったが、ロアンはもう先へ歩き出していた。
そのまま二十歩ほど進んだとき、頭の上で岩のきしむ音がした。足元の床がなくなった。
五人まとめて、暗い穴へ落ちた。岩と土と悲鳴が一緒くたになって降ってくる。
セレナがとっさに杖を掲げて、光の膜を張った。落ちてきた岩が膜に当たってはじかれる。体はどさりと柔らかいものの上に落ちた。細かくて温かい砂だった。
ランプは割れていたが、あたりはぼんやりと明るい。壁の岩の隙間から、鉱石の青白い光がにじんでいた。
「……全員、生きてるか?」
「生きてる」
「生きてます」
「死ぬかと思ったわ! ロアン、お前、ひびに気づいてたろ!」
「気づいてた」
「なんで言わねえんだよ!」
「『絶対安全』とは、一言も言ってない」
「大丈夫って言ってたじゃん!」
レオルは立ち上がろうとして、顔をしかめた。右の足首が腫れている。
マルタは黙って自分の荷物を調べていた。予備の財布が一つ、なくなっている。落ちる途中で岩の下敷きになったらしい。
「銀貨四十枚。ロアン、お前の取り分から引く」
「それは……危なかったのは認めるけど」
その襟首をガスがつかんだ。片方の目が本気で怒っていた。
「あの坑道は俺が三年かけて掘った。先に言え。一言でいい。一言あれば、全員、別の道を行けた」
「……悪かった」
あまり心のこもらない声になった。こもっていないことは自分でも分かっていた。
そのとき、奥の暗がりで何かが動いた。
岩の陰から現れたのは牛ほどの大きさのトカゲだった。背中がごつごつした鉱石で覆われている。鉱石を食べる魔物、岩喰い《いわくい》だ。それが三匹。
その後ろの横穴から、かすれた声がした。
「おい……誰か、いるのか……」
行方の分からなかった鉱夫たちだった。予定どおり奥で作業を終え、引き上げようとした五日前に、落盤で出口をふさがれたのだという。横穴の奥には岩の割れ目から染み出した地下水が溜まっていた。三人は持ち込んでいた干し肉と固パンを分け合って、かろうじて生きていた。
「……まあ、結果的には近道だったな」
自分でもよく言えたものだ、とロアンは思った。
「ふざけんな!」
レオルは足首をかばいながら、それでも剣を抜いた。見ているのは鉱夫三人とガスの四人だ。四人もいれば十分らしく、目の色が変わっている。
ただ、岩喰いの背中は硬かった。レオルの剣は火花を散らしてはじかれた。
「硬っ! なにこれ、硬っ!」
ロアンは岩喰いの動きを見ていた。三匹とも、しきりに首を動かしている。鼻先をマルタのほうへ向けて。正確にはマルタの腰の袋へ。
「マルタ。その袋、何が入ってる」
「釘だ。拾った。三十二本」
「全部くれ」
「一本、銅貨一枚」
「あとで払う。たぶんそのうち」
マルタが袋を放ってよこした。ロアンはそれを受け取って口を開け、岩の壁のひびがいちばん深く入っているところへ投げこんだ。
三匹の岩喰いが、一斉にそちらへ首を向けた。鉄の匂いに我慢ができないらしい。壁に頭を突っこんで、釘をあさりはじめる。
ロアンはその真上の天井に走るひびへ、指先を向けた。
ぱちんと音がした。ひびの入った天井が岩喰いの上にまとめて落ちてきた。
土煙が晴れると、三匹とも岩の下で動かなくなっていた。
「……ひびってのは、こう使うんだよ」
ガスが片目を見開いてロアンを見ていた。
「兄ちゃん。あんた、最初からそのつもりで」
「そうだ」
嘘だった。
鉱夫たちを連れて地上に出ると、もう夕方だった。坑道の入口には町じゅうの人が集まっていて、助けられた鉱夫の家族が泣きながら駆け寄ってくる。
それを眺めていたロアンの隣に、ガスが立った。
「山は嘘をつかねえ。だが、あんたはつくんだな」
「つく」
「助かったよ。だが、あの坑道の補修はあんたらの報酬から引くよう、町長に言っとく。それとこれとは別だ」
ガスはそれだけ言って、家族たちのほうへ歩いていった。町長は補修費を数えて、報酬の金貨一枚を銀貨六十枚にした。マルタの顔がこれまで見たことがないほど静かになった。
入口の前で、町長が声を張り上げた。
「明日は祭りだ! 四英雄様を讃えて、広場で祭りをやるぞ!」
歓声が上がった。その真ん中で、レオルが両手を上げて応えている。さっきまで穴の底で「硬っ」と叫んでいた男とは思えない。
「みんな、ありがとな! 坑道の件はさ、まあ、だいたい俺が」
マルタとセレナが同時にレオルのほうを向いた。明日は面倒な日になりそうだ、とロアンは思った。
宿に戻って本を開くと、向かいの席からセレナが身を乗り出してきた。
「ロアンさん、その本、毎晩読んでいらっしゃいますね。魔術の構造って、そんなに面白いんですか?」
「面白い」
「今は何章です?」
「第七章」
「第三版の第七章はたしか索引だったと思いますけど」
ロアンは黙ってページをめくった。セレナは手帳に何か書いていた。何を書いたのかは知りたくない。
本の中では騎士が雨に打たれながら、令嬢に「必ず迎えに来る」と言っていた。ロアンはそこで本を閉じた。約束の台詞はあまり好きではない。
◇ ◇ ◇
同じ夜。遠く北にある、黒い石でできた城の一室。
書類が山のように積まれた机に、一人の男が向かっていた。痩せて背が高く、目の下に濃い隈がある。机の端には緑色の小瓶が置いてあった。
部下が新しい報告書を机に置いた。
「カルネ様。例の四人の最新の動きです」
男は黙ってそれを読んだ。関所。森の道。麦の村。鉱山の町。最後のページまで読み終えると、報告書を閉じて小瓶の蓋を開けた。
中身を一口飲んで、顔をしかめる。胃薬だった。
「……面倒なのが、四人まとめて来たな」




