第4話 命の値段は銀貨三枚
「商売あがったりだ」
御者台のボルクがその台詞を口にするのは、今日だけで七回目だった。マルタは全部数えている。
ボルクは五十ほどの男で、日に焼けた顔に塩の粒のような白い無精ひげが散っていた。北の村々へ塩を運ぶのが仕事なのに、客の村がまるごと空になってしまったのだという。
関所を出た翌朝から、四人はこの荷馬車に便乗していた。護衛料は一日銀貨二枚。乗せてもらったうえに金が入るのだから、悪くない契約だ。
「村の連中がみんな南へ逃げちまって、塩を買う奴がいねえ。八回目だぞ、商売あがったりだ」
「なら、関所の避難民に売ればいい。百人はいる。相場の八割で売っても、運ぶ手間が省けるぶん儲かる」
「……お前さん、戦士だろ? 随分詳しいな」
「戦士だ。相談料は銅貨一枚」
ボルクは笑って、本当に銅貨を一枚くれた。
荷台の揺れに合わせて、マルタは膝の上で帳簿を開いた。昨夜の宿代が銀貨一枚と銅貨六枚。レオルが勝手に頼んだ二杯目の葡萄酒が銅貨八枚。これはレオルの借りにつける。
塩の袋にもたれていたセレナが、マルタの腰のあたりを眺めていた。
「マルタさん。そのお財布、四つもありますけど、どなたかへの仕送りですか?」
「答えたら、銀貨一枚」
「まあ。では」
セレナは本当に銀貨を一枚出した。マルタは受け取って、宿代用の財布にしまった。
「予備だ」
「……それだけですか?」
「それだけだ。返金はしない」
セレナは頬に手を当てて、なぜか満足そうに笑った。銀貨一枚で何を知ったつもりなのかは分からない。だが金は金だ。
荷馬車が森の道に入ったのは、昼前だった。両側の木が高くなり、日の光がまだらに落ちてくる。さっきまで聞こえていた鳥の声が、ぴたりと止んだ。マルタはそれを聞き逃さなかった。
「止まれ」
言い終わる前に矢が飛んできた。
道の両側から、灰色の肌をした小鬼の兵が十五体ほど飛び出してくる。魔王軍の雑兵だ。
「ボルク、荷台の下に入れ」
マルタは大剣を抜いて、御者台から飛び降りた。
レオルは荷台の上で剣を構えていた。見ている者はボルク一人しかいないのに、珍しくやる気を出している。理由はすぐに分かった。
「おっちゃん、見てな! 今から勇者の本気見せっから!」
一人でも、観客は観客らしい。
レオルは荷台から派手に飛び降りて、三体をまとめて斬り伏せた。四体目に向かって、くるりと一回転してみせる。その回転の最中に矢が肩に刺さった。
「いってえ! ちょ、マルタ、ポーション! ポーション!」
マルタは小鬼を一体蹴り飛ばしながら、腰の袋から小瓶を一本出した。
「銀貨三枚」
「高くねぇ?」
「いや。今五枚になった」
「なんで!?」
「需要が上がった」
「戦闘中に値上げすんなよ!」
「戦闘中だから値上げする。買うのか、買わないのか」
「買う! 買うから!」
小瓶を放ると、レオルは片手で受け取って一気に飲み干した。肩の傷が湯気を立ててふさがっていく。
「後で払う!」
「利子は月一割だ」
小鬼は思ったより手ごわかった。セレナの杖が一体の膝を砕き、ロアンの火花が二体の弓の弦を焼き切る。それでも、残りの動きがまるで乱れない。
マルタは足元に倒れた一体の装備に目をやった。
鎖帷子は目が細かく、錆一つない新品だった。腰の短剣の柄には南の鍛冶組合の刻印が打ってある。王国の店で売っている品だ。この鎖帷子なら、王都で一着銀貨四十枚はする。短剣と長靴を足して十五体分を数えると、金貨にして九枚近い。
ありえない、とマルタは思った。雑兵は安く使い捨てられるから雑兵なのだ。一隊に金貨九枚の装備を着せる軍はない。
着せるとすれば、雑兵を餌にして、もっと高いものを取りに来ているときだ。この道でいちばん高いものは、荷馬車と、それに乗っている四人である。それに、これだけの装備を配れる財布の持ち主は、たいてい自分の金の使われ方を近くで見ている。
「ロアン!」
「なんだよ」
「こいつらは囮だ。本隊がいる。上だ」
マルタは道の右手の崖を指さした。ロアンは煙草をくわえたまま崖の上を見上げ、いつになく真面目な顔で指先を向けた。
ぱちんと音がして、崖の上の茂みに白い光が落ちた。
悲鳴が上がった。弓を持った小鬼が五体、六体と転がり落ちてくる。その後ろにひときわ大きな鎧の小鬼がいた。あれが指揮官だ。崖の上から、荷馬車ごとこちらを押しつぶす気でいたのだろう。
落ちてきた指揮官にレオルが真っ先に飛びかかった。
「おっちゃん! 今の見た!?」
「見た見た! 見たから何とかしてくれ!」
ボルクの声が荷台の下から返ってきた。
戦いが終わると、森に鳥の声が戻ってきた。
マルタは倒れた小鬼の鎖帷子を、一体ずつ剥がしていった。十五着で、売れば銀貨六百枚になる。
「戦利品の優先権は私にある。王命だ」
「お前、それ全部持っていく気?」
「ボルクの荷台が空いている。運賃は払う」
ボルクが肩を震わせて笑っていた。
「あんたら、本当に勇者様かい?」
「勇者は向こうで、私は戦士だ」
その勇者は指揮官を倒したときの自分の動きを、ボルクに説明しているところだった。これで三回目になる。説明するたびに、話の中の回転が一回ずつ増えていた。
マルタは帳簿を開いて、一行書き足した。
『レオル 借り ポーション一本、銀貨五枚。利子、月一割』
書き終えてから、鎖帷子の刻印のことを考えた。魔王軍の雑兵が王国の南で作られた鎧を着ている。戦場で奪ったのか、倉から盗んだのか、買ったのか。刻印を見ただけではどれとも決められない。決められないものを帳簿に書くわけにはいかないので、ページの端に刻印の形だけを写しておいた。
荷台から降りてきたボルクが、小さな布の包みを差し出した。
「これ、礼だ。北の岩塩。料理にひとつまみ入れると、うまくなる」
「いくらだ」
「ただだよ」
マルタは包みを手のひらにのせて、しばらく考えた。ただでもらう物はどうにも落ち着かない。
「……銅貨一枚。相談料の釣りだ」
ボルクはまた大笑いした。
指揮官の背負い袋を開けると、干し肉と水筒と、小さな木の札が出てきた。札は真ん中で斜めに割られていて、片側に黒い紋章が焼きつけてある。魔王軍の割符だ。取引の証拠で、相手がもう半分を持っているはずだった。
マルタは割符を指でつまんで、日にかざした。
「これはいくらになる」
「売るなよ、それ」
ロアンが珍しくまともなことを言った。
「なぜだ」
「魔王軍の取引の証拠だろ。売ったら、お前も取引相手の仲間入りだ」
マルタは割符を指先で裏返した。王国製の鎧を着た雑兵と、魔王軍の割符が同じ場所にあった。王国の誰かが魔王軍に鎧を売った、と考えるのがいちばん筋が通る。
マルタは割符を帳簿のあいだに挟んだ。
「なら、王都に送る。報告書と一緒に。広報局のイネスとかいう女に」
「俺の活躍も書いといてよ。回転、五回な」
「三回だった」
「じゃあ四回で」
値切るな、とマルタは思った。
その日の午後、鎖帷子十五着を積んだ荷馬車は、街道へ戻る坂で車輪を泥にとられた。押しても引いても動かない。結局、八着を道端に降ろす羽目になった。
「損失、銀貨三百二十枚」
「だから言ったじゃんか、欲張るなって」
「見積もりを誤っただけだ。欲張ったのではない」
マルタは帳簿の『損失』の欄に、その数字を書きこんだ。




