第3話 勇者様、観客が足りません
「なあ、ここ、ほんとに街道? 誰ともすれ違わないんだけど」
王都を出て、北街道を三日歩いた。道の両側にあるのは畑と牛と、たまに案山子くらいだ。レオルが数えた人間の数は今のところゼロである。
出発の朝の見送りは最高だった。紙吹雪も、手を振る女の子たちも、自分の名前を叫ぶ子供たちも、思い出すだけで胸が熱くなる。それが三日歩いたら、この有様だ。
前を歩くマルタは地図から顔も上げずに答えた。
「北の村から逃げる人はもっと先の関所で足止めされているらしい」
「なんで足止め?」
「知らん。行けば分かる」
そのとき、林の奥から遠吠えが聞こえた。一つ聞こえたと思ううちに二つ、三つと重なり、すぐに数えきれなくなる。木々のあいだから、灰色の狼の群れが姿を見せた。魔王軍の侵攻に追われて、北の森から下りてきたのだろう。どれも痩せていて、目ばかり光っている。
「十二頭。毛皮が一枚銀貨二枚。悪くない」
マルタが背中の大剣に手をかけた。セレナは杖を握り直し、ロアンは煙草をくわえたまま、指先に小さな火を灯す。
レオルは道端の草の上に寝転がった。
「……何をしている」
「寝てる。頼んだぜ」
「起きろ」
「だって誰も見てないじゃん。観客ゼロの戦いって、ただの労働だろ。俺、勇者だから。労働はしないの」
マルタが心の底から軽蔑した目で見下ろしてきた。慣れているので、特に気にならない。
草の上から眺めていると、三人の戦い方は見事にばらばらだった。マルタは大剣を一振りするたびに、口の中で何かを数えている。たぶん毛皮の枚数だ。セレナは杖で狼の鼻先を思いきり叩きながら、「まあ、お腹が空いているのね」と話しかけている。ロアンはその後ろから一歩も動かず、近づいてくる狼の足元にぱちぱちと火花を飛ばすだけだった。
「誰も見てないのに、よく頑張るよなあ」
「黙ってろ」
狼は結局、三人で追い払った。倒せたのは二頭で、残りは街道の先のほうへ逃げていった。
「毛皮二枚。銀貨四枚。お前の取り分はなしだ」
「えー」
「それと、お前が起きていれば十二頭とも片づいた。逃がした十頭はどこかで誰かの家畜を食う」
「考えすぎだって。狼なんだから、森に帰るだろ」
マルタは返事をしなかった。帳簿を開いて、何かを一行書き足しただけだった。
関所に着いたのは昼過ぎだった。
川にかかった石橋の手前に人がびっしり溜まっている。荷車や背負子や鶏の籠を抱えた、北の村から逃げてきた人たちだ。三十人はいるだろう。橋の真ん中には小屋が建っていて、太った役人が椅子にふんぞり返っていた。
「通行税、一人銀貨二枚。掲示の通りだ。払えないなら通さん」
「そんな。うちは子供も入れて五人なんです」
「なら十枚だ」
マルタが低い声で口を挟んだ。
「法で決まった通行税は一人銅貨五枚だ。銀貨二枚はその八倍」
「領主の命で、北の連中から取れるうちに取るのさ。どうせ戻る家もないんだ」
小屋の壁に貼られた告示をロアンが煙草をくわえたまま眺めていた。
「この告示、領主の署名がないな」
「な、なんだと!」
「署名のない告示はただの紙だ。あんたが勝手に書いたんだろ」
役人の顔が赤くなった。図星らしい。
セレナはいつの間にか列の中に入りこんで、赤ん坊を抱いた女の人に話しかけていた。
「まあ、ご主人はどちらに? 先に南へ? それとも、別の方と?」
何を聞いているんだ、あいつは。
もっとも、レオル自身も役人の話はあまり聞いていなかった。避難民の列の中に木の剣を持った少年がいたからだ。十歳くらいで、頬に煤がついている。その子がレオルの腰の剣をじっと見ていた。
「……もしかして、勇者様?」
少年の声で、列の人たちが一斉にこちらを向いた。
「勇者様?」
「新聞に載ってた、あの?」
「王城を守ったっていう!」
三十人分の視線が自分一人に集まってくる。背筋に気持ちのいい痺れが走った。
列の後ろで悲鳴が上がったのは、そのときだった。さっき追い払った狼の群れが、森から戻ってきたのだ。数が増えて二十頭近くになっている。そのうちの一頭が最後尾にいた老人の荷車に飛びかかった。
レオルはもう走っていた。
剣を抜く音はできるだけ大きくした。飛びかかってきた最初の一頭を、下から斬り上げる。振り向きざまに、二頭目の鼻先を柄頭で打つ。三頭目と四頭目が並んで来たので一歩下がり、二頭が鉢合わせたところをまとめて薙いだ。
背中で歓声が上がる。いい。すごくいい。
レオルはわざと一歩、群れの真ん中へ踏み込んだ。危ないのは分かっているが、そのほうが格好いい。残りの狼がまとめて飛びかかってきたところで、剣を一回転させる。灰色の毛が宙に散り、狼たちは悲鳴を上げて森へ逃げ帰っていった。剣を鞘に納めたとき、最初に斬った狼の毛がまだ宙を舞っていた。
振り返ると、避難民たちが口を開けてこちらを見ていた。木の剣の少年は剣を胸に抱えたまま固まっている。荷車の脇では老人のロバが後ろ脚を噛まれて座り込み、石畳に血が細く伸びていた。
レオルは前髪を軽くかき上げた。
「安心しろって。勇者が来たぞ」
拍手が起きた。荷車を襲われかけた老人が震える手で林檎を一つ差し出してくる。皺だらけの手のひらにのった、赤くて小さな林檎だった。
「勇者様、こんなものしかありませんが」
「いいって、いいって。……いや、もらうわ。ありがと」
受け取ってから、ロバの脚が目に入った。あの脚では荷車はもう引けそうにない。朝のうちに十二頭とも片づけておけば、ロバは噛まれなかったはずだ。
「……ロバのことは、ちょっと悪かったと思ってる。ちょっとな」
「いえいえ、勇者様がいなければ、私まで食われておりました」
老人に頭を下げられて、レオルは返す言葉がなくなった。
林檎は人の多いほうを向いてかじった。甘酸っぱい汁が口に広がり、拍手がもう一段大きくなる。最高だ、と思った。
その拍手にまぎれて、橋の上の役人が小屋から抜け出そうとしていた。脇に金の入った箱を抱えている。
「おい、どこ行くんだよ」
「わ、私は、魔物が出たので避難を」
「その箱置いてけって」
役人は箱を抱えたまま、橋の向こうへ走り出した。レオルは観客のほうを一度だけ確かめた。三十人、全員がこっちを見ている。それから役人の背中に飛びついて、橋の上に押し倒した。
ひっくり返った箱から、銀貨が石畳に散らばった。マルタがそれを手早く拾い集める。
「法定の税は銅貨五枚。差額は全員に返す。回収の手数料として、一割はもらう」
「もらうのかよ」
「もらう」
避難民たちはそれでも喜んでいた。
夕方、避難民たちは関所の焚き火で鍋を囲んだ。玉ねぎと干し肉を煮込んだ匂いが、橋の上まで漂ってくる。
木の剣の少年がいつの間にかレオルの隣に座っていた。トマという名前だった。
「勇者様、北の砦に行くの?」
「まあ、そのうちな」
「父ちゃん、砦で鍋を振ってたんだ。料理番。砦が落ちたとき、先に逃げてるはずなんだけど」
トマは鍋の湯気を見ながら言った。レオルも同じ湯気を見たまま答えた。
「見かけたら言っとくよ。お前の息子、勇者に会ったって自慢してたぞって」
「ほんと?」
「ほんとほんと。俺、目立つから。向こうから気づくって」
トマが初めて笑った。
ふと、焚き火の向こうに目が行った。眼鏡をかけた男が一人、膝の上の手帳にさっきからずっと何かを書きつづけている。レオルは立ち上がって、男の手元をのぞきこんだ。
『勇者は民の集結を待ち、被害を最小限に抑えた』
「……あんた、誰?」
「王都新聞の記者です。北の取材の帰りで。いやあ、いい記事が書けそうだ」
待っていたのは民ではなく、観客だ。けれど、悪くない書き方だった。
「名前の綴り、間違えんなよ。レオル・ヴァニスな。ヴ、だからな」




