第2話 世界を救うなら手当を出せ
翌朝、イネスは命令書を持って王城の東棟へ向かった。
四人が泊まっているのは歴代の勇者のために設えられた客間だ。本来なら、この国でいちばん立派な人たちが使うはずの部屋である。
扉の前に盆を持った侍女が立っていた。昨日、謁見の間で腰を抜かしていた娘だ。今日もエプロンの端を片手で握っている。
「あの、広報局の方ですよね。ミアといいます。昨日は、ありがとうございました」
「お礼なら聖女様に。……中、どうなってます?」
ミアは盆の上の茶器に目を落として、小声で答えた。
「勇者様は鏡の前でもう一時間くらい前髪を」
「……でしょうね」
扉を開けると、焼いたベーコンと蜂蜜と煙草の匂いがした。四人が何をしているのかは見る前からだいたい分かった。
イネスは命令書を広げた。
「国王陛下より。本日をもって、四聖印の選定者四名に魔王討伐を命ずる」
返事はほとんど同時に返ってきた。
「え、やだ」
「断る」
「まあ、お断りします」
「たぶん、行かないと思う」
「……全員ですか」
「全員だ」
マルタがベーコンを口に運びながら言った。
「理由を伺ってもいいですか」
「だって手当とか、なんも聞いてないし」
レオルは鏡から目を離さない。
「条件の書いていない命令は白紙の契約書と同じだ。署名はしない」
「それに、北のほうはお菓子がおいしくないと聞きますし」
「遠い。寒い。たぶん死ぬ」
四つの理由のうち、まともなものが一つもない。
「北の砦が落ちてから、前線は膠着しています。魔王軍も補給が伸びきっているそうで、こちらは第二防衛線を固めている最中です。急げとは言われていません」
「じゃあ行かなくてよくね?」
「行ってもらう必要は、あります」
命令書を丸めて投げつけたくなるのをこらえて、イネスはどうにかそう返した。断られましたと陛下に報告するわけにはいかない。
「……分かりました。では、条件を聞かせてください。陛下にお伝えします」
四人が直接交渉したいと言い張ったので、話し合いは王城の小会議室で開かれた。
長机の向こうには財務大臣が座っている。丸い顔の男で、太い指にはめた金の指輪をさっきから何度も回していた。
「では、条件を伺おうか」
最初に手を挙げたのはレオルだった。
「称号な。『救国の勇者』。あと凱旋式。大通りを馬車で、花びら付き。それから謁見の間の肖像画、俺のを真ん中にしてほしいんだけど」
「肖像画は歴代の勇者様方と並べることになるが」
「それがいいんだって。あの白髪のおじいちゃんたちの真ん中に俺がいたら、映えるじゃん」
「……検討する」
「報奨金、金貨三百枚。それと戦利品の優先権」
マルタの条件は一息で終わった。次にセレナがにこやかに切り出す。
「各地への自由通行権をお願いします。関所も、貴族のお屋敷も、修道院も。どこでも入れるものを」
「何のために、そんなものが」
「いろいろなお宅のお話を伺いたいので」
大臣は聞かなかったことにしたらしい。最後の一人に目を向けた。
ロアンはポケットから折りたたんだ紙を出して、机に置いた。
「禁書庫の閲覧権と、軽犯罪の恩赦」
イネスが紙を開くと、細かい字がびっしり並んでいた。
『借りた本の未返却、十四件』
『無許可の魔術使用、二十件前後』
『宿代の未払い、三件』
『その他、思い出し次第追加』
「これ、全部軽犯罪なんですか」
「軽いほうだろ。たぶん」
大臣は指輪を回す手を止めた。
「称号も、通行権も、恩赦も、なんとかしよう。だが金はない。第二防衛線の普請で、国庫は空っぽだ」
そう言って、分厚い予算書を机の上に滑らせる。
「見せろ」
マルタが手を伸ばし、一枚目から読みはじめた。
昼になっても、マルタは読み終わらなかった。途中でサンドイッチと焼き菓子が運ばれてくる。セレナは菓子の皿を自分の前に引き寄せた。レオルは窓ガラスに映る自分の横顔を確かめている。ロアンは椅子の背にもたれて、寝息を立てはじめた。
「この昼食代は国の負担か」
マルタがページから目を上げずに聞いた。
「……国の負担だ」
「なら、もう一皿」
会議室の時計の針が一時を回った。中庭で鳩が鳴いている。イネスはこの話し合いがいつ終わるのだろうと考えていた。
マルタの指がある行で止まった。
「王城備品、金の燭台二十四本。金貨四百枚」
「それが、何か」
「昨日、謁見の間で数えた。燭台は二十四本。全部真鍮だ。金ならあんな軽い音はしない」
大臣の顔から色が抜けた。
「わ、私は知らん。業者が間違えたのだろう」
そのとき、茶を注ぎに来ていたミアの手が、ぴたりと止まった。その横顔に気づいて、セレナが首を傾ける。
「ミアさん。掛け持ちのお屋敷というのは、もしかして」
ミアはエプロンの端を握りしめた。大臣のほうを見ないようにして答える。
「……大臣様のお屋敷の食堂に、先月、新しい燭台が二十四本、急に入りました。金色の。私、毎週、磨いてます」
「まあ。それで?」
「とても、重いです」
部屋が静まり返った。大臣は額の汗を拭きながら、まだ言い張る。
「あれは私が自分の金で買ったものだ」
「大臣の年俸は金貨八十枚。燭台は金貨四百枚。五年分だ。その間、何を食べてた」
マルタは表情ひとつ変えなかった。大臣の指から指輪が抜けて、床に落ちた。
大臣が白状したので、その日の夕方には屋敷から金の燭台二十四本が運び出された。溶かせば金貨四百枚になる。四人の手当はそこから出ることに決まった。
話し合いが始まったのは朝の九時で、条件が全部通ったのは午後三時だった。
報告に上がったイネスの前で、国王は何度も頷いた。
「そうか。あの者たちは出発の前に国の財布の穴を塞いでいったのか」
「いえ、陛下。あれは自分たちの手当を」
「謙遜はよい。四聖印の選んだ者はやはり違う」
国王の目が潤んでいる。イネスはそれ以上の説明をあきらめた。言っても通じない気がした。
帰り際の廊下で、マルタがミアを呼び止めていた。イネスは少し離れたところで足を止めた。マルタはミアの手に銀貨を十枚握らせている。
「証言料だ。証言は有料。払うのは私」
「えっ。あとで返せ、とかじゃ」
「返さなくていい。ただし、受取書に署名しろ」
差し出された紙には細かい字でこう書いてあった。『証言は自由意思により行い、本件につき以後いかなる請求もしない』。
「……これ、何ですか」
「タダで言わされたと、後から騒がれると面倒だ。それだけだ」
ミアは銀貨と受取書を見比べて、小さく息を吐いた。それから、エプロンの端を握っていた手をほどいて、ペンを取った。
その夜、イネスは広報局で公式発表の原稿を書いた。
『使命に目覚めた四勇者、王国の未来を案じ、慎重に準備を整える』
『財務大臣、健康上の理由により退任』
ベルトが肩越しに読んだ。
「まあ、そういうことだ」
「そういうことですか」
聞き返したときにはベルトはもう自分の席に戻っていた。
出発の朝、大通りは人で埋まった。
焼き栗の屋台から甘い匂いが流れてくる。子供たちが父親の肩の上で旗を振り、紙吹雪が晴れた空に舞っていた。イネスは人混みの端から、その様子を見ていた。
見送りの列が目に入ったとたん、さっきまで欠伸をしていたレオルの背筋が、ぴんと伸びた。片手を上げて、申し分のない笑顔で沿道に手を振っている。
マルタは手を振らなかった。見物人の腰に下がった財布の膨らみを、端から目で数えている。セレナは人垣の中に親しげに話している男女を見つけては、目で追っていた。ロアンは大通りから枝分かれする路地の数を数えている。
隣にミアが来て、イネスに話しかけた。
「いただいた銀貨、弟の学費に回せます。来月から、学校に戻れるんです。……銀貨十枚で、署名つきですけど」
「それは、よかった……のでしょうか」
ミアは笑った。イネスは返事に困って、焼き栗の屋台のほうを見た。
大通りの向こうへ四つの背中が遠ざかっていく。聞こえないと分かっていて、イネスは小さく声をかけた。
「いってらっしゃいませ。……せめて、人前では」




