第1話 勇者様方、せめて人前では善人でいてください
雨上がりの午前、王立広報局の若手官僚イネス・カルディアは、届いたばかりの素行調査書を三回読み直してから閉じた。閉じても、書いてあることは消えてくれない。
『勇者レオル・ヴァニス、二十二歳。虚栄心の塊。人目がないといっさい働かない』
『戦士マルタ・グロシュ、二十五歳。守銭奴。仲間にも高利で金を貸す』
『聖女セレナ・ヴェイル、二十歳。詮索好き。患者の家庭事情を、傷より詳しく聞き出す』
『魔術師ロアン・ドルス、二十三歳。虚言癖。多額の借金あり。経歴詐称の疑いあり』
四聖印に選ばれた英雄四人の調査書である。
三週間前、王城の地下に据えられた古い装置が光り、剣・盾・杯・星の四つの紋章が、石の壁に四人の名前を浮かび上がらせた。立ち会った神官は泣いて喜んだそうだ。四聖印は魔王に立ち向かう立派な人格者を選ぶ聖なる仕組みだと、教会は昔から教えてきた。国民もそれを信じている。
北の国境の砦が魔王軍に落とされて、十日がたっていた。王都は英雄を必要としていた。
「これ、調査係が別の四人を調べたんじゃないですか」
「そう思って三回確認させた。全部その四人のことだ」
向かいの席の先輩ベルトが眼鏡を押し上げた。困った話をするとき、この人はいつも同じ言葉で締める。
「まあ、そういうことだ」
窓の外では新聞売りの子供が濡れた石畳を走っていた。
「勇者様が決まったよ! 号外だよ!」
その声が魔導ランプの街灯のあいだを抜けて二階の窓まで届く。イネスは調査書を鞄にしまった。四人が国王に謁見するのは今日の午後で、付き添うのは広報局、つまり自分だった。
控え室には紅茶と焼き菓子が用意されていた。バターの甘い匂いに、煙草の匂いが混ざっている。
四人はもう揃っていた。イネスは挨拶もそこそこに、ここへ来るまでに決めておいた頼みを口にして、頭を下げた。
「いいですか。勇者様方、せめて人前では善人でいてください」
返事は四人ともよそを向いたまま返ってきた。
「任せろって。俺、勇者だぞ?」
壁の鏡で金色の前髪を直している、顔のいい青年が勇者のレオルだ。鏡から目を離さないまま、指を折りはじめた。
「ところでさ、見てる人、何人いる? 陛下と、大臣と、衛兵か。まあ、悪くないな」
「数えなくていいですから、そんなの」
「陛下に会う時間はどのくらいだ」
そう尋ねたのは壁に背を預けて腕を組んでいた戦士のマルタだった。目は壁の時計を見ている。
「一時間なら拘束手当を出してもらう。銀貨三枚」
「出ません」
「なら二枚にまける」
「出ません!」
聖女のセレナは行儀よく椅子に掛けていた。三つ目の焼き菓子を口に運んでから、うれしそうに両手を合わせる。
「まあ。今朝、陛下と王妃様がお話しされたかどうか、ご存じですか。廊下でずいぶん距離を空けて歩いていらしたので。どちらが先に謝るご予定なのか、気になってしまって」
「陛下には決して尋ねないでください、お願いですから」
窓際では魔術師のロアンが指先に小さな火を灯していた。煙草に火をつけるのはこれで三本目だ。
「ロアンさん、ここは禁煙です」
「消す。なあ、俺の経歴、どう紹介される?」
消すと言ったのに、煙草はくわえたままだった。
「王立魔術学院を首席で卒業、と」
「なら首席で頼む」
「本当は三位ですよね」
「三位でもほぼ首席だろ」
調査書に書いてあったことが、一行残らずこの部屋に揃っている。イネスは胃のあたりを手で押さえた。
謁見の間は天井が高い。壁には四つの紋章の旗が並び、その下に歴代勇者の肖像画が掛かっている。どれも白髪で穏やかな顔をしていて、清貧を貫いた聖人ばかりだと、イネスは子供のころに習った。
その肖像画の前に今は四人が立っている。衛兵の盾に自分の髪型を映している男。金目の調度を指で数えている女。王妃の横顔ばかり見ている娘。扉の位置を目で確かめている男。
「勇者たちよ、よく来てくれた。四聖印が選んだ君たちなら、必ずこの国を救ってくれると信じている」
国王は手元の名簿に目を落とし、魔術師のほうを向いた。
「魔術師ロアン。君は王立魔術学院を首席で卒業したと聞いている」
ロアンはイネスのほうをちらりとも見ずに、堂々と答えた。
「はい。首席です。論文も三本ほど書きました」
やめて、とイネスは心の中で叫んだ。
その直後に天井のステンドグラスが割れた。
色つきのガラスが降ってくる中を、犬ほどの大きさの魔獣が飛び込んでくる。黒くて長い体に数えきれないほどの脚がついていた。床を走るたびに、かさかさと乾いた音がする。魔王軍が近ごろ王都へ送り込んでくる斥候で、這い蟲と呼ばれているものだ。
「陛下をお守りしろ!」
「無理です、速すぎます! 騎士団は北の国境に出たままで!」
衛兵二十人が突き出した槍は、すべてかわされた。魔獣は玉座へ向かってまっすぐ走っていく。驚いた国王が椅子から立ち上がった。
そのとき、イネスは見た。勇者レオル・ヴァニスが王のもとへ駆けつけるのを。正確に言えば、王の横を通りすぎて、玉座の後ろへ飛び込むのを。
「レオルさん!?」
「無理無理無理、脚多すぎだろ! 俺、虫だけはほんとだめなんだって! ここから指示出すから!」
国王は玉座の後ろから聞こえてくる声に目を丸くしている。その前をマルタが横切った。
「請求先は国か。それとも陛下個人か」
「今聞くことですか!」
「大事なことだ。国にしておく」
マルタは床に落ちたステンドグラスの欠片を一つ拾って懐に入れ、背中の大剣を片手で抜きながら前へ出た。
セレナは逃げ遅れて腰を抜かした若い侍女のそばに膝をついていた。侍女はエプロンの端を両手で握りしめている。ガラスで切った腕の傷がセレナの手の下でふさがっていった。治しながら、セレナは侍女の耳元でささやいた。
「失礼ですが、さっきの大臣さんとはどういうご関係で?」
「え、あの、お屋敷で掛け持ちをしていて……弟の学費が」
「まあ! それは大変。それで?」
「それ今必要ですか!」
イネスが叫んでいるあいだに、ロアンはもう扉の前まで下がっていた。
「出口は先にもらっとくよ」
自分の逃げ道を押さえてから、ロアンはようやく指先を魔獣へ向けた。玉座の後ろからは声だけが飛んでくる。
「ロアン、足だ、足! 足を狙え!」
ロアンは返事をしなかった。ぱちんと音がして、白い光が床を走る。魔獣の足が全部同時に止まった。
「これは……雷、ですか」
「たぶん効くと思った。知らないけど」
動けなくなった魔獣の頭をマルタの大剣が一振りで落とした。這い蟲はしばらく脚をばたつかせていたが、やがて動かなくなった。衛兵二十人が手も足も出なかった相手が、三十秒で片づいたことになる。
イネスは口を開けたまま立っていた。この人たちは本当に強い。四人とも別々の理由で動いていたのに、結果だけはきちんと噛み合っていた。
玉座の後ろから勇者が出てきたのは、そのあとだ。魔獣の死体を見下ろし、周りに大臣と衛兵と国王がいるのを確かめてから、剣を高く掲げる。
「安心しろって。勇者が来たぞ」
「……もう終わってます」
「いやいや、最後に倒したの、俺じゃん?」
「マルタさんです」
「じゃ、そういうことでよろしく」
国王が感動した顔で頷いた。
「おお、勇者よ。玉座の後ろから、戦況を見極めていたのだな」
「……ええ、まあ、そんな感じです」
そんな感じではなかった。けれど陛下の前で訂正するわけにもいかず、イネスは黙っていた。
治った腕をさすっていた侍女と、目が合った。侍女はエプロンの端を握ったまま頭を下げた。
「ありがとうございました。あの、聞かれたことは全部本当です」
イネスは天井を見上げた。ステンドグラスに開いた穴から、雨上がりの空が見えた。
翌朝の新聞は四紙とも、一面に大きな字を並べた。
『四英雄、王城を守る』
王都の新聞社はどこも、広報局の発表をもとに夜のうちに刷り、今朝は号外まで出している。通りでは売り子が声を張り上げていた。
「魔獣は三十匹だったそうだよ! 四人で全部倒したってさ!」
三十匹もいない。一匹だ。
イネスは新聞を机に置き、昨日のうちに書いた報告書を隣に並べた。
『勇者、魔獣を見て玉座の後ろに退避。同所より指示を出す』
『戦士、対処前に請求先を確認。ステンドグラスの欠片を無断で持ち帰る』
『聖女、戦闘中に侍女の人間関係を聴取』
『魔術師、自分の出口確保を最優先とし、その後撃破に参加』
これをもとに広報局から出した公式発表は、次のとおりだ。
『勇者レオルは王の身を背にし、魔獣の進路を断った』
『戦士マルタは王国の財政を案じつつ、迅速な解決を図った』
『聖女セレナは負傷者の心に寄り添った』
『賢者ロアンは退路を確保し、冷静に敵を制圧した』
書いたのはイネスだった。嘘は一つも書いていない。見たままを国民に知らせるわけにはいかないので、言葉を選んでいったらこうなった。
窓の外からレオルの声が聞こえてきた。
「おーい、新聞買ってきて! あと十部! 俺の記事、一面だぜ?」
イネスは両手で顔を覆った。指の隙間から、書棚に立ててある歴代勇者の名簿が見える。白髪の聖人たちの名前が並んだあの名簿に、いずれあの四人の名前も書き足されることになる。あの四人が本当に世界を救うのだろうか。
窓から中庭を見下ろすと、四人が揃っていた。レオルは新聞を高く掲げている。
「お前らもサイン用意しとけよ。そのうち人、集まってくるって」
その隣でマルタが指を折っていた。
「一枚、銀貨一枚。手数料は私がもらう」
「それ俺の取り分じゃね?」
「契約外だ」
少し離れた木陰ではセレナが新聞の隅を指でなぞっていた。
「まあ。私の記事は三行だけですのね」
その新聞をロアンが横から取り上げた。煙草の火種にしようとしている。
「三行なら、燃やしても惜しくないだろ」
「惜しいです。返してください。切り抜いて手帳に貼りますから」
見ていられなくなって、イネスは窓を閉めた。そこで背後の扉が開いた。広報局長が書類を抱えて立っている。
「イネス君。明日、正式な魔王討伐命令が出る。あの四人には君から伝えておいてくれ」
「……私が、ですか」




