第18話 勇者パーティー交換会
「交換?」
朝の食堂で、ロアン・ドルスは薄い麦茶の湯気の向こうにいる男を見た。まだ目が半分しか開かない。朝はだいたいこうだ。
ハルデンはグレンツから北東へ五日歩いた町だ。向かいに座っているのはその冒険者組合の支部長だった。丸眼鏡をかけた人のよさそうな中年で、さっきから同じ紙を三回広げ直している。
「はい。一日だけ、勇者様方に町の若いパーティーへ一人ずつ入っていただくのです。若手に本物の冒険を見せてやりたい。王立広報局からもぜひにと」
紙の端には広報局の印が押してあった。前線が膠着しているあいだに、各地の冒険者の士気を上げておきたいらしい。イネスの字ではない。たぶん局長だ。
「新聞、来る?」
レオルがパンを持ったまま身を乗り出した。
「来ます。王都新聞の記者が明日取材に」
「やる」
レオルが即答した。
「報酬は一人銀貨十枚ほどで」
「十五。一日拘束で十枚は相場の七割だ」
マルタが言い終わる前に支部長は頷いていた。最初から十五まで出すつもりだったらしい。マルタは少しつまらなそうな顔をした。
「まあ。よそのパーティーに一日入れていただけるんですか」
セレナの目はもう輝いていた。手帳は鞄の奥にしまってあるはずなのに、指が鞄の留め金をいじっている。
「俺は寝てる」
「くじ引きです」
支部長が四本の紐を握った手を差し出した。ロアンはいちばん短そうな紐を引いた。紐の先についた小さな木札には、『銀の環』とあった。
銀の環は十八と十九の若者四人の組だった。剣士で頭役のカイ。弓のソフィ。大盾のブラム。治癒術を少し使えるニコ。四人とも、右手の中指に同じ細い銀の指輪をはめている。
町を出る前にカイが指輪を外して見せてくれた。内側に細かい字が彫ってある。
『死ぬまで仲間を見捨てない』
「神殿で誓ったんです。出発の前に毎回、四人で唱えるんです。ロアンさんも、よかったら」
四人が輪になって、右手を重ねた。
「死ぬまで、仲間を見捨てない」
声がそろっていた。何十回も唱えてきたことが分かる声だった。唱え終えた四人が期待した顔でこちらを見る。
ロアンは煙草に火をつけた。
「……そういうのは、軽々しく言わないほうがいい」
「軽々しくなんかありません。本気です」
「本気なら、なおさらだ」
カイは何か言い返しかけて、口をつぐんだ。ブラムが大きな体を縮める。
「……賢者様って、もっと、こう、励ましてくれるものだと」
「励ますのは勇者の担当だ。今日は別のところにいる」
仕事は町の北の廃坑に棲みついた大蝙蝠の駆除だった。
坑道に入る前にロアンは入口のまわりを一周した。風の通り方。地面の傾き。崩れかけた支柱の数。出口はこの入口と、上にある換気穴の二つだ。
「何してるんですか?」
「逃げ道を数えてる」
「入る前から、ですか」
「入ってからじゃ遅い」
ソフィがくすくす笑った。冗談だと思ったらしい。
坑道の奥は広かった。天井から、黒い塊がびっしりとぶら下がっている。大蝙蝠だ。聞いていた数の三倍はいた。
それでも、最初のうちはうまくいっていた。ブラムが盾で押し、カイが斬り、ソフィが射る。ニコは後ろで、ブラムのかすり傷を治していた。
崩れたのはニコが一歩、横穴のほうへ下がったときだった。横穴の天井から塊がまとめて落ちてきて、ニコの悲鳴が上がった。
「ニコ!」
三人が同時に振り向いた。そして、三人とも横穴のほうへ走った。
盾も弓も、向きがばらばらになった。がら空きになった三人の背中に、大蝙蝠の群れが上から覆いかぶさってくる。
ロアンは考えた。
四人とも横穴に入れば、出口は一つきりになる。その一つを群れがふさぐ。ニコ一人を置いていけば、三人は出られる。
けれど、この三人は置いていかない。指輪にそう彫ってある。置いていけと言っても聞かないなら、三人が自分から出口へ走る理由を、別に作ってやるしかない。
「天井が落ちるぞ!」
ロアンは腹の底から叫んだ。
「入口側の支柱が折れた! 全員、上の換気穴へ走れ! ニコは俺が連れていく!」
支柱は一本も折れていなかった。
それでも、三人は走った。この場でいちばんまともなことを言っているように聞こえたのだろう。
ロアンは煙草を口から離して、指先の火を煙の中で思いきり膨らませた。白い煙が横穴いっぱいに広がる。蝙蝠たちが甲高く鳴いて散った。その隙にニコの襟首をつかんで引きずった。
換気穴の梯子を登りきったとき、ロアンの外套の裾は焦げていた。ニコの左腕には深い噛み傷が三つ残っていた。ブラムは盾を坑道の中に置いてきていた。駆除は半分も終わっていない。報酬は出ない。
帰り道、カイがロアンの横に並んだ。
「ロアンさん。……支柱、折れてませんでしたよね」
「折れかけてた」
「全部、まっすぐでしたけど」
「そういう見方もある」
カイは十歩ほど黙って歩いてから、言った。
「でも、ロアンさんはニコを見捨てなかった。やっぱり、俺たちと同じなんですね」
「違う。換気穴とニコが同じ方向にいただけだ」
カイは笑った。信じていない顔だった。
夕方、組合の広間に四つのパーティーが戻ってきた。どの組も、朝より明らかに疲れていた。
レオルの入った薬草採りの組は、昼まで、勇者が木陰で寝ているのを眺めていたという。午後になって村の子供たちが見物に来たとたん、勇者は飛び起きて猪を追いかけた。そして、薬草畑を端から端まで踏み荒らした。半日分の薬草が全部だめになった。
「猪は倒したじゃん!」
「畑も倒れました……」
セレナの入った組はもっと静かだった。
セレナは一日じゅう、誰にも何も言わなかったのだそうだ。三人組の中の誰が誰を好きなのか、気づいていても口にしなかった。ただ、手帳には書いた。その手帳を休憩中に組の一人が見つけて読んだ。
「三人とも、今夜は別の宿に泊まるそうです」
セレナは紅茶の杯を両手で包んで、困った顔をしていた。
「書くだけなら、大丈夫だと思ったんです」
「書いたものは読まれる」
ロアンが言うと、セレナは珍しく何も言い返さなかった。
広間の隅では支部長が一枚の紙を受け取っていた。マルタの入った組が一日かけて帳簿の付け方を教わった、その指導料の請求書だ。その組の今日の稼ぎより多かった。支部長は丸眼鏡を外して、目頭を押さえた。
帰り際、銀の環の四人が組合の玄関で頭を下げた。ニコの腕には包帯が巻いてある。ブラムは盾の代わりに、組合で借りた古い戸板を背負っていた。
「ロアンさん。今日はありがとうございました」
「礼を言われることはしてない」
「また、どこかで」
カイが右手を上げた。
夕日の中で、中指の銀の指輪が一瞬だけ光った。薄い紫がかった光だった。瞬きを一つするあいだに、消えていた。夕日の色とは違っていた。
四人は気づかなかったらしい。笑いながら、通りの角を曲がっていった。
ロアンは玄関の柱にもたれたまま、その角を見ていた。くわえた煙草に火をつけるのを忘れていた。




