第17話 勇者より勇者らしい男
「三百枚。銀貨十五枚」
宿の裏の物置で、ロアンが紙の束を机の上に置いた。
王都新聞の英雄人気投票の投票用紙だった。新聞の隅を切り取って、名前を書いて送る形のものだ。三百枚すべての名前の欄に同じ字で『勇者レオル・ヴァニス』と書いてある。
「お前、これ、どうやって」
「一枚書いて、残りは写しの術。俺が書いたのは一枚だけだ」
「字、全部同じじゃん」
「同じ人が三百回投票したと思えば、自然だ」
「自然じゃねえよ」
レオル・ヴァニスは文句を言いながらも、銀貨を十五枚数えて渡した。
最終発表は明後日の王都新聞に載る。投票の締め切りは明日の夕方に出る早馬までだ。それに間に合わせるために、ヴァレンからこのグレンツまで下りてきた。ここから王都までは歩いて二日。早馬なら半日で着く。
第二回の中間発表では四位まで上がった。竜に乗って王都の空を飛んだおかげだ。あと少し票を積めば、三位には届く。
けれど、一位のユリウス・ハルトにはまだ届かない。会ったのは鉱山町の祭りの夜の一度きりだ。まっすぐな目をした、まじめそうな騎士だった。なんであいつが一位なのか、レオルにはどうしても納得がいかない。
顔なら、俺のほうがいいのに。
次の日の昼、グレンツの郵便所の前に見覚えのある顔があった。
「勇者様! お久しぶりです!」
そのユリウス・ハルトだった。
鎧は泥だらけで、肩当てに大きな傷がついている。後ろには騎士が三十人ほどと、荷車が十台。荷車には包帯を巻いた兵士たちが横になっていた。
「前線の小競り合いで出た負傷者を、南へ運んでいるところです。今夜はこの町で休みます」
「はいっ、隊長!」
従者のピムがユリウスの隣で背筋を伸ばした。
町の人たちが、ユリウスのまわりに集まりはじめていた。
「ユリウス様だ」
「人気投票一位の」
「本物はやっぱり違うねえ」
レオルのまわりにも人はいた。でも、向こうの半分くらいだった。
レオルはロアンの脇腹を肘でつついた。
「おい。あれ、出すぞ。今のうちに」
ロアンが外套の内側から投票用紙の束を出しかけた。そのとき、ピムがロアンの手元をのぞきこんだ。
「あれ? 魔術師様、それ投票用紙ですか? 隊長、見てください、すごい数です。……全部同じ字ですね」
ロアンの手が止まった。ユリウスがこちらを向いた。
「同じ字?」
まずい、とレオルが思ったときだった。町の北の門のほうで、鐘が鳴りはじめた。
門の外の畑を巨大な熊がまっすぐこちらへ走ってきていた。
体は荷馬車ほどもあり、背中から肩にかけて、灰色の甲羅のような硬い皮に覆われている。鎧熊だ。北の森の奥にしかいない魔物が、魔王軍に追われて、南へ下りてきたのだろう。
門の前で、町の衛兵が槍を構えた。熊は槍ごと衛兵を弾き飛ばした。
「全員下がって!」
ユリウスが剣と盾を構えて、門へ走った。騎士たちがその後ろに続く。町じゅうの人がそれを見ていた。
レオルも走った。ユリウスより先に。ユリウスより前に。観客は町じゅうだ。ここで一位に勝たなくて、どこで勝つ。
「どけ! 俺が行く!」
ユリウスの横をすり抜けて、熊の正面に飛び出した。剣を思いきり振り下ろす。
がん、と鉄を打ったような音がした。剣は灰色の皮の上で跳ね返り、腕が肩までしびれた。
熊が前足を振り上げた。よけきれない、と分かった。
その瞬間、目の前に盾が割りこんだ。ユリウスだった。熊の前足が盾を叩き、ユリウスの体が二歩分、後ろへ押し下げられる。それでも、倒れなかった。
「勇者様、ご無事ですか!」
「……お前、なんで」
「目の前の仲間を守るのに、理由がいりますか」
ユリウスは盾の陰からまっすぐに熊を見ていた。レオルのほうは見ていない。観客のほうも、見ていなかった。
「熊の甲羅は首の下で切れてる! 腹側はただの毛皮だ! たぶん!」
後ろから、ロアンの声が飛んできた。
「たぶんかよ!」
「私が足を止める」
マルタが大剣を横に構えて、熊の脚に叩きつけた。熊がよろめいて、上体を起こす。首の下の柔らかい毛が見えた。
「ユリウス!」
「はい!」
二人で、同時に踏み込んだ。ユリウスの剣が熊の喉元を突き、レオルの剣がその横を斬り上げる。熊は長い唸り声を上げて、畑の土の上に倒れた。
町のほうから、歓声が上がった。
レオルは肩で息をしながら、剣を下ろした。隣で、ユリウスが膝をついている。盾を持っていた左腕がだらりと下がっていた。
「おい、腕」
「大丈夫です、骨は。たぶん」
「お前までたぶんって言うなよ」
セレナが駆け寄ってきて、ユリウスの腕に手をかざした。
レオルは足元に転がっていた盾を拾い上げた。熊の爪の跡が三本、深く刻まれている。この盾がなかったら、同じ傷が自分の顔についていた。
ふと、北の門の外にある、崩れかけた納屋が目に入った。熊が通り過ぎたあとの今は誰もいない場所だ。
さっき、熊に向かって走る途中で、ユリウスがあそこへ寄り道したのを、レオルは見ていた。納屋の陰で泣いていた小さな女の子を抱き上げて、門の内側に押しこんでから、こっちへ来たのだ。町の人たちはみんな門の前のレオルを見ていた。ほかには誰も見ていなかった。
誰も見ていないのに、ユリウスは寄り道をした。
ロアンの投票用紙の束は騒ぎのあいだにどこかへ消えていた。
「どこやったんだよ」
「熊が来たとき、手が滑って火がついた」
「三百票が!?」
「銀貨十五枚は返さない。仕事はした」
二日後、宿に王都新聞が届いた。
『英雄人気投票 最終結果』
一位、騎士ユリウス・ハルト。二位、聖女セレナ・ヴェイル。三位、勇者レオル・ヴァニス。
レオルは新聞を三回読んだ。十一位から三位。悪くない。
表の下に小さな記事が載っていた。
『なお、グレンツの町では、勇者レオルが騎士ユリウスと共に鎧熊を討伐。勇者は騎士の盾を譲り受け、二人は固い友情で結ばれたという』
譲り受けてはいない。拾ったまま、返していないだけだ。
「まあ。私、二位ですって」
セレナが紅茶の杯を持ったまま新聞をのぞきこんだ。
「なんでお前が二位なんだよ」
「恋のご相談を無料にしていたからかしら」
「私は八位だ。前より一つ下がった」
マルタが帳簿に順位を書きこんでいた。
「手数料のせいだろ」
「手数料は順位と関係ない」
ロアンの名前は十位までのどこにもなかった。本人は気にもしていない様子で、王女殿下から届いた返事の手紙を、三回ほど読み返していた。
次の朝、町の門でユリウスの部隊を見送った。ユリウスの左腕にはまだ包帯が巻いてある。
「勇者様。昨日の戦い、一生忘れません」
「おう。……あ、盾、まだ俺が持ってるわ」
「差し上げます。勇者様の盾が割れてしまったと聞きましたから」
「割れてねえけど。まあ、もらっとくわ。後で返すかもしれないけど」
ユリウスは馬にまたがった。それから振り返って、まっすぐにレオルを見た。
「次は負けません」
「人気投票の話か?」
「剣の話です」
ユリウスは笑って、馬を進めた。その後ろで、ピムが元気よく手を振っている。
レオルは盾を背負ったまま、部隊の背中が見えなくなるまで、門の前に立っていた。観客は一人もいなかった。




