第14話 聖女セレナの無料恋愛相談
「聖女様。あの、恋の悩みって、聞いていただけたりしますか?」
王都から北東へ五日。リュードの町の宿屋「麦穂亭」の食堂で、セレナ・ヴェイルは林檎のタルトを食べていた。
声をかけてきたのは看板娘のエマだ。十七歳。そばかすの浮いた頬を真っ赤にして、盆を胸に抱えている。
セレナはフォークを置いた。タルトより面白いものが、向こうからやって来たのだ。
「もちろんです。どうぞ」
エマの悩みはパン屋の息子のトビアスのことだった。
「毎朝パンを届けに来てくれるのに、何も言ってくれないんです。でも、私の分だけ、いつも一つ多く入ってて」
「それは好きということですね」
「やっぱりそうですか!?」
「ええ。ただ、トビアスさんは日曜日には仕立て屋のハンナさんと、川べりを散歩していらっしゃいます」
エマの顔から、色が抜けた。
セレナは不思議に思って、首をかしげた。喜んでもらえるつもりで話したのだ。知らないより、知っているほうがいいに決まっている。
「昨日、ハンナさんのお母様から伺いました。ご存じなかったんですね。でも、本当のことですから」
エマは盆を抱えたまま、何も言わずに厨房へ駆けこんでいった。セレナは手帳を開いて、エマとトビアスとハンナの名前のあいだに、矢印を一本書き足した。
その日の夕方には相談の客が三人に増えた。次の日の昼には食堂に列ができた。入口には誰かが勝手に紙を貼っている。
『聖女セレナ様 恋の相談 無料』
「無料はやめろ」
帳場の横で、マルタがその紙をはがそうとした。
「せめて一件、銅貨五枚」
「お代はお話でいただいていますから」
マルタは紙をはがすのをやめた。代わりに帳場の横に小さな机を出して、紅茶を一杯銅貨二枚で売りはじめた。
列の途中にはなぜかレオルが並んでいた。
「レオル様も、恋のご相談ですか?」
「いや、恋じゃなくてさ。人気投票、どうやったら上がると思う?」
「好かれたい相手に好かれたいところを見せないことです」
「……無理じゃね?」
「無理だと思います」
レオルはそのまま列から外れていった。
三日目には町じゅうの恋の話がセレナの手帳に集まっていた。
トビアスはエマとハンナのどちらが本命なのか、本人も決めかねている。鍛冶屋の跡取りのガイは実はエマが好きで、毎朝わざと宿の前を通る。ハンナの母は娘にはガイのほうがふさわしいと思っている。
それから、町の誰も知らない話がもう一つあった。
宿の主人のヨナスと、鍛冶屋の親方のドルフは二十年来の飲み友達だ。そのドルフが先日、酔ったついでに、セレナにだけ漏らしたのである。
『亡くなったエマの母さんは、ヨナスに嫁ぐ前、俺と婚約の話が出ていた。ヨナスは、知らない』
セレナは矢印だらけのページを眺めて、うっとりと溜め息をついた。
眺めているうちに、ある考えが浮かんだ。この町の皆さんはお互いのことを知らないまま暮らしていらっしゃる。もったいない。知ってしまえば、話が早いのに。
その日の午後、セレナは親切のつもりで、順番に回った。
ハンナにはトビアスがエマのパンだけ一つ多く入れていることを。ガイにはエマの気持ちがトビアスにあることを。ヨナスには亡くなった奥様とドルフさんの昔の話を。
どの人にも、笑顔で、丁寧に本当のことだけを話した。
四日目の昼、町の広場の噴水の前で、それは起きた。
「エマさんのパンだけ、一つ多いんですって?」
パンの籠を抱えたトビアスの前に、ハンナが立ちふさがっていた。トビアスが答えるより先に人混みの向こうからエマが飛び出してくる。
「ガイさんに私の気持ちを話したのは誰!?」
その後ろから、ガイが真っ赤な顔で追いかけてきた。
「俺はお前が好きだって、もう少しあとで言うつもりだったんだ!」
「今言わないでよ!」
そこへヨナスが現れて、ドルフの襟首をつかんだ。
「うちの女房に手を出そうとしたのか!」
「出してない! 二十年前の話だ! なんでお前が知ってる!」
「聖女様に聞いた!」
ドルフがセレナのほうを見た。広場にいた全員が見た。
セレナは噴水の縁に腰かけて、紅茶の杯を持ったまま固まっていた。
「あの。皆さんがお互いのお気持ちをご存じのほうが、いいかと思いまして」
誰も返事をしなかった。
レオルが噴水の石段に飛び乗って両手を広げた。
「落ち着けって! ほら、勇者が来たぞ!」
誰一人、レオルのほうを見なかった。レオルは広げた両手をしばらくそのままにしていた。
騒ぎは夕方になって半分だけ収まった。
エマとガイは広場の端に並んで座っていた。二人とも赤い顔のまま、口をきいていない。ハンナはトビアスに紅茶をかけて帰っていった。濡れたままのトビアスはセレナのほうを一度だけ見て、何も言わずに目をそらした。相談しなければよかった、と顔に書いてあった。
ヨナスとドルフはまだ口をきいていなかった。
宿に戻ると、食堂の入口でヨナスが待っていた。
「聖女様。申し訳ないが、今夜で、宿を引き取ってください。お代はいりません」
「あの、私」
「亡くなった女房のことを、他人から聞かされるとは、思いませんでした」
ヨナスは深く頭を下げた。怒鳴られるよりも、こたえた。
荷物をまとめながら、マルタが言った。
「向かいの宿はここの倍する。四人分の差額は出発までの分、お前に請求する」
「……はい」
セレナは素直に頷いた。紅茶の売り上げで、差額の半分は埋まった。それでも、半分は残った。
向かいの宿の食堂は薄暗く、紅茶も薄かった。
翌朝、女将が王都から届いた手紙を持ってきた。薄い封筒に広報局の封蝋が押してある。開けると、几帳面な字で二行だけ書いてあった。
『恋人はおりません。業務に関係のないご質問は、お控えください。 イネス・カルディア』
セレナはいくらか元気になった。手帳の『王立広報局・イネス』のページに、『恋人なし(ご本人談)』と書き足す。
向かいの席のロアンは本から顔も上げなかった。
「知ってるのと、言うのは別だろ」
「でも、本当のことですよ」
「俺は本当のことを言わずに生きてきた。それなりに役には立ってる」
「ロアンさんは嘘ばかりついているじゃないですか」
「だから分かるんだ。言わなくていいことを言わないだけで、世の中はだいぶ静かになる」
セレナは言い返せなかった。ヨナスの下げた頭がまだ目の前に残っている。
そこへ女将が紅茶を注ぎ足しに来た。それから、声をひそめた。
「聖女様。あの、ここだけの話なんですが。実はうちの甥が」
セレナは手帳を開いた。女将の話を一言も漏らさずに書き留める。最後まで聞いてから、ペンを置いて、手帳を閉じた。
「分かりました。誰にも言いません」
女将が出ていってから、ロアンが疑わしそうな目を向けてきた。
「本当に言わないのか」
「ええ。言いません。……言わなくても、秘密を知る楽しみが減るわけではありませんし」
セレナは手帳を鞄のいちばん奥に入れた。
それから少し迷って、もう一度取り出した。空いている行に一つだけ書き足す。
『ヨナスさん。ご挨拶に伺う。たぶん、開けてもらえない』




