第13話 公式記録ではドラゴンを倒した
山頂の窪地で、マルタは帳簿に四つの欄を作った。国王の財布。王妃の面子。王女の気持ち。竜の宝の山。書きこみ終えるまでに、竜は二回あくびをした。
「まずは王子のほうだ」
マルタが言うと、セレナが待っていたとばかりに手を挙げた。
「殿下。ノルデンの王子様からのお手紙、お持ちですか?」
王女は旅装の内ポケットから、紐で束ねた手紙を出した。七通ある。セレナは一通ずつ丁寧に開いて、読んでいった。読むたびに、口元がゆるんでいく。
「天気のことしか、書いてありませんね」
「でしょう?」
「でも、全部の手紙に同じことが書いてあります。『今朝も、港の灯台から見る海は穏やかでした』。七通とも、灯台の話です」
「ええ。だから、何も書かれていないのと同じ」
「そうでしょうか。……四通目が、少し気になります」
セレナはその便箋を日にかざした。それから、手帳の隅に挟んでいた細い鉛筆を取り出して、紙の裏を横にそっとなぞった。鉛筆の粉がのった紙の上に白い溝で字が浮かび上がってくる。
「お手紙を書くとき、上に別の紙を重ねたまま、何か書いていらしたんですね。筆圧が下の紙に残っています」
マルタがのぞきこむと、字は読めた。
『ミレイユ。今夜も、灯台で。この結婚が延びるように、君も祈っていてほしい』
窪地が静まり返った。
「ミレイユさんというのはたぶん、灯台守のお嬢さんです。七通とも灯台の話だったのは、王子様が毎日そこへ通っているからでしょう。王女殿下に書くことが、ほかに見つからなかったんです」
王女は便箋の溝を指でなぞった。それから、心の底から安心したように笑った。
「よかった。向こうも、時間が欲しかったのね」
マルタは帳簿の王子の欄に一行書き足した。
『婚約の延期に反対しない(本人談ではなく、筆圧)』
そこから先の段取りはマルタが組んだ。
王女はいったん王都に帰る。婚約は取りやめにせず、延期にする。理由は「魔王軍との戦いが続くあいだ、祝い事は控える」。これなら、王妃の面子も、ノルデンとの同盟も潰れない。王子の灯台の件はセレナが王妃にだけこっそり伝える。
「母上にそんなことお伝えして大丈夫ですか?」
「大丈夫です。王妃様はご自分も、昔は好きな方がいらしたそうですから」
「……なんで知ってるんですか」
「謁見の日に侍女さんたちから」
王女が呆れた顔でセレナを見た。マルタは帳簿の王妃の欄に一行書き足した。
残るは竜だ。
マルタはザランの鼻先まで歩いていった。熱い鼻息が顔に当たる。
「竜。お前は静かに暮らしたい。そうだな」
「そうだ」
「なら、この山に人間の狩人も、騎士も、勇者も近づかないという勅令を、陛下に出させる。代わりに、相談料をもらう。金貨百枚」
竜が金色の目でマルタを見下ろした。
「人間の小娘が竜から金を取るのか」
「取る。勅令一枚で、この先百年静かに眠れる。一年あたり金貨一枚だ。安い」
ザランは喉の奥でごろごろと笑った。
「……面白い。持っていけ」
尻尾の先で、金貨の山を一掬い、マルタの足元に転がす。マルタは一枚ずつ数えた。百三枚あった。三枚を竜のほうへ投げ返した。
「数え間違いだ」
「……律儀な小娘だな」
「律儀ではない。帳簿が合わないのが嫌いなだけだ」
マルタはもう一枚、契約書の下書きを差し出した。
「それと、もう一件。王都が本当に危なくなったとき、一度だけ、空を飛んでほしい。報酬はそのときの相場で払う」
「一度だけか」
「一度だけだ。二度目は別料金にする」
竜は爪の先で、器用に羊皮紙へ印をつけた。
問題はレオルだった。
「で、俺の竜退治は?」
「ない」
「ないの!? 観客待ってたのに! 逃げちゃったけど!」
王女がくすりと笑って、竜の首を軽く叩いた。
「ザラン。帰り、みんなを背中に乗せていってくれる?」
「……五人もか」
「お願い」
竜は長い溜め息をついた。窪地の砂が全部舞い上がった。
歩けば九日の道のりを竜は半日で飛んだ。
次の日の昼、古い銅の色をした竜が王都の空に現れた。大通りの人々が一斉に空を見上げる。悲鳴が上がり、それから誰かが指さして叫んだ。
「背中に誰か乗ってるぞ!」
「勇者様だ! 勇者様が竜に乗ってる!」
「王女殿下もいらっしゃる!」
竜の背中のいちばん前で、レオルが剣を高く掲げていた。マントが風にはためいている。下から見れば、これ以上ない角度になっているはずだ。
マルタはその後ろで鱗につかまりながら思った。この男はいちばんいいところを必ず持っていく。値段のつけようのない才能だ。
竜が王城の中庭に降りると、国王が裸足のまま走り出てきた。
「リディア!」
王女は竜の背から飛び降りて、父親の胸に飛び込んだ。国王は娘の髪に顔をうずめて、それ以上は何も言わなかった。
少し遅れて、王妃が出てきた。背筋を伸ばして、娘の前に立つ。
「……婚約式のことは、後で話しましょう」
「はい、母上」
その王妃の後ろに、いつの間にかセレナが回りこんでいた。耳元で、二言、三言ささやく。王妃の眉がぴくりと動いた。手袋の指先を握り直して、娘の顔を見る。
「……延期で、いいでしょう」
国王が驚いて王妃を見た。王妃は国王のほうを見なかった。ただ、謁見の間で空いていた二人のあいだの距離が、半歩分だけ縮まっていた。
セレナがマルタの隣に戻ってきて、満足そうに頬に手を当てた。
「すっきりしました」
その日の夕方、金貨千枚が四つの袋に分けて届けられた。マルタは全部数えた。千枚ちょうどだった。今度は投げ返す必要がなかった。
◇ ◇ ◇
その夜、広報局で、イネス・カルディアは公式発表の原稿を前に頭を抱えていた。現地からの報告書にはこうある。
『王女殿下は、自らの意思で古竜のもとを訪れていた模様。古竜に敵意なし。四英雄、王女殿下・古竜・王家の三者間を仲介。戦士、古竜より相談料として金貨百枚を受領』
国王からはこう言われていた。
「娘が自分から竜のところへ行ったなどと、民に言えるわけがない。かといって、勇者たちの手柄を消すわけにもいかん」
イネスは羽根ペンをインク壺に浸した。嘘は書かない。それだけは決めてある。
『四英雄、古竜の山に赴き、王女殿下を無事に連れ帰る。古竜は四英雄の前に戦う意思を失い、王家に二度と刃向かわぬことを受け入れた。四英雄は、慈悲によって古竜の命を取らず、これを屈服させた』
読み返して、イネスは机に突っ伏した。
「まあ、そういうことだ」
ベルトが肩越しに原稿を読んで言った。
「そういうことに、なってしまいました」
どこにも嘘はない。竜は戦う意思を最初から持っていなかったし、王家に刃向かう気も最初からなかったのだから。
翌朝、王都新聞の号外が出た。
『四英雄、慈悲により古竜を屈服!』
その下に英雄人気投票の第二回中間発表が小さく載っていた。勇者レオル・ヴァニスは十一位から四位に上がっていた。
◇ ◇ ◇
竜が王都を飛び立ったのはその次の日の明け方だった。王城の中庭で見送ったのは王女とマルタだけだ。ほかの三人はまだ寝ている。
王女は竜の鼻先に額をつけて、小さな声で何か話していた。それから、一歩下がって手を振った。
「ザラン。次のお話、すぐに送るわね」
「騎士はあまり泣かせるな」
竜が大きな翼を広げると、中庭の木々が一斉にしなった。
飛び立つ直前、竜は首だけをこちらに向けた。金色の目がマルタを見下ろす。
「小娘。一つだけ言っておく」
「なんだ」
「お前ら四人には二度と関わりたくない」
それだけ言い残して、古竜は朝焼けの空へ飛んでいった。
マルタは帳簿を開いて、竜の欄に一行書き足した。
『次回、別料金』




